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第九話

 朝から教室でずっと、私は涙を堪えていた。

 無視を決め込んでいた若菜ですら、私の様子にギョッとしていた。彼女らが私と絶交していることで、私が泣きそうになっているものと勘違いしたのか、香織と二人で心配そうに私の様子を窺っていた。

 昼休みには、香織が私に話し掛けようとする素振りを見せたけど、私はそれを無視して、小暮君の席に向かった。夢の中ことを香織に聞かせる訳にはいかない。

 小暮君は近付く私を怪訝そうに見上げて。そして、私の顔を見て狼狽していた。彼も、何か勘違いしたみたいだった。

 私は彼に真相を告げる。

 「小暮君に……伝言があるの……」

 「伝言……誰から?」

 彼は心配そうに私を見つめた。私の様子が普通で無いから、何事かと思ったのだろう。

 「……あの人……から……」

 私は、とうとう涙を堪えることが出来なくなった。どうにか声は出さなかったけれど。それでも私が泣いている様子は他のクラスメイトたちにも見られてしまって。教室中がざわついた。

 また、皆を誤解させるようなことをしてしまったけれど。私は自分が抑えられなかった。

 彼は立ち上がって。私の肩に手を回すと、私を教室から連れ出して。保健室まで私を連れて行った。


 泣きながら肩を抱かれて連れ込まれた私を見て、校医の荒谷さんは怪訝そうな顔をしていたけど、何も問わなかった。

 ベッドに座らされて。私が落ち着くまで、小暮君は隣に座って待ってくれた。

 「何があったんだ?」

 小暮君は、春人さんの能力について知っている筈だけど。私たちの間で『あの人』と言えば春人さんのことしか無いだろうに、私と春人さんが夢で話をするとは思いもよらなかった様子。

 「夢で……春人さんと話をしたの」

 私の言葉に、小暮君も荒谷さんも息を呑んだ。今の一言だけで、事情を察したらしい。

 「春人さんから……小暮君に伝言を頼まれたのよ。それ以外にもお話させて貰ったけれど……差し当たってあなたに伝えるべき話は──理由は春人さんにも判らないらしいんだけど──婚約指輪が効力を失っていて。今のままでは婚約解消の儀式が成立しないということなの」

 「なん……だと……?」

 小暮君は呆然と立ち上がって。そして、口元に拳を当てて、考え込む様子を見せた。

 「どういうこと?」

 荒谷さんも立ち上がって、私たちの傍まで来た。

 小暮君は荒谷さんを見て、頭を振った。

 「判らないが……確認すれば直ぐに判るだろう」

 彼は携帯電話を取り出すと、どこかに電話を掛けた。恐らく春人さんが眠る本家だろう。


 電話が終わって。暫く無言で待っていると、彼の携帯に折り返しの電話が掛かってきた。

 「……そう……なんですね。いえ、こちらは心配要りません。……ええ、そちらでよろしくお願いします」

 彼は電話を切ると、深くため息を吐いた。

 荒谷さんは心配そうに彼を覗き込む。

 「滝川さんの言った通りだった──婚約指輪は力を失っていたよ。儀式のために、代替品を用意するようお願いしたから、もう大丈夫だ。代替品の用意には時間が掛かるだろうけど、今ならまだ間に合うと思う。滝川さんのおかげで助かったよ」

 彼は胸を撫で下ろした。その様子に、荒谷さんもホッと息を吐いた。

 「そう……ならよかったけれど……どうして赤穂さんは滝川さんにそれを伝えたのかしら?」

 彼女の疑問も尤もで。小暮君も、私に目を向けた。

 私は、春人さんとの会話を思い出して。また、涙が溢れてしまった。

 それでも、どうにか言葉にした。

 「小暮君には……無理をさせ過ぎてしまっているから……夢での会話すら小暮君には負担になってしまうから、と。そして、香織と小暮君のことを頼むと……私に……」

 春人さんが、香織の心の内を見るのが怖いと言っていたことを思い出してしまって。私はそれ以上何も言えなくなってしまった。

 誰にそんなことが言えようか。

 恐らく、小暮君はそのことを察しているだろうけど。ひょっとしたら、それ自体、公然の秘密なのかも知れないけれど。だけど、言葉にしていいものでは無いだろう。

 小暮君も、荒谷さんも、沈痛な面持ちで。それ以上は何も言わなかった。


 ***


 衣替えが終わる頃、その時が来た。

 春人さんの容態が急激に悪化して、もう長くは持たないという知らせが入った。

 春人さんとの婚約解消と、小暮君との婚約の儀式の為に、香織が彼らの本家に呼ばれて。私は小暮君に請われて香織に付き添うことになった。そして若菜も、私たちのことが信用できないからと、香織に付き添うと言って憚らなくて。不安そうな香織に請われて若菜も同席が許された。

 迎えの車の中で、久しぶりに三人揃ったのだけど、道中ずっと無言だった。

 香織は、春人さんについて大事な話があるとしか聞かされていない筈だったけれど。私や小暮君の雰囲気から何かを察した様子で、悲しげに俯いていた。


 現地では、香織の両親が彼女を出迎えた。

 「香織、事情は一切説明できないけど。ここでは彼らの言う事に従って欲しい。理由も、聞いてはいけないよ」

 両親は事情を全て知っている様子。彼らも香織のために、香織を誘導するように本家から指示を受けているのだろう。それで香織が守られるのだから、彼らに異存がある筈も無かった。

 香織は、達観したように頷くだけだった。

 

 春人さんが眠る部屋に案内されて。香織だけが入室を許された。

 若菜が抵抗しようとしたけど、

 「そこで春人さんと会ってもらうの」

 そう説明して、大人しくさせた。さすがの若菜も、婚約者との面会を邪魔しようとは思わない様子。

 私たちはそのまま部屋の外で待機していた。

 婚約解消の儀式をせずに春人さんが亡くなったり、そのまま彼を封印したりしてしまうと、呪いが逆流する危険もあったし、次の婚約の儀式が成立しないのだ。

 部屋の中では、原因の説明はせず、ただ春人さんの容態を説明して。そして婚約解消の儀式が行われている手筈だった。

 「──いやああああああ!!」

 部屋の中から、香織の悲鳴。何か想定外の事態が発生したのか。

 外の皆は慌てて部屋に殺到した。

 中では、香織は春人さんにしがみ付いていて。小暮君は涼香さんに殴りかかっていて、同席していた人たちがそれを制止しようとしていた。

 若菜は香織の傍に、私は小暮君の傍に駆け寄る。

 「何があったの?」

 激高している小暮君の腕を掴む。

 「このばか、香織に話しやがったんだ! 全てを台無しにするつもりなのか!?」

 涼香さんは、涙を流しながら、それでも何も言わずに彼を睨んでいた。

 「……涼香さんを責めないであげて。彼女にも、譲れない想いがあるのよ……」

 私の言葉に、涼香さんは俯いて泣き出してしまった。それでも、彼女は自分の気持ちは吐露しなかった。

 「それより、香織のことなんだけど」

 彼を香織の方に向き直らせる。香織は、春人さんにしがみ付くのを止めて、床に座り込んで泣いていた。若菜が香織を外に連れ出そうとしていたけど、香織は動こうとはしなかった。

 「私に、香織に話させて欲しいの。彼女を取り巻く全てのことを」

 彼は、私に何か言いたそうにして。それでもうまく言えず、がっくりと項垂れた。既に部分的にでも秘密は漏れてしまっていて。このままでは、彼女はどうにかなってしまうだろう。それを懸念して、諦めた様子。

 「……たのむ」

 その一言だけ発して、彼は膝をついた。

 私は香織と若菜の傍まで歩いて。二人の手を取った。

 「私の話を聞いて欲しい。多分、色々と誤解していると思うの。でも、私の話を聞いてくれれば、納得して貰えると思う。だから、一緒に来て」


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