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第八話

 気がつくと、私はどこかの丘の上に居た。

 草木が生い茂り、足元には色んな花が咲いていたのだけど、匂いは何も感じなかった。

 少し歩くと、崖になっていて。手前に柵とベンチがあった。

 崖の方を向いて、ベンチに座ってみる。

 眼下に広がるその光景に見覚えは無かったけれど。そこがどこか、私には察しがついた。

 先日、小暮君たちに連れられて行った場所。

 先の方には海が広がっていて。その際には小さな港があって。手前には小さな駅。そこから真っ直ぐこちらに伸びる道沿いに、彼らの本家があった。その一室に春人さんが眠っているあの屋敷が。

 これは、夢?

 呆然と景色を眺めていると、いつの間にか、隣に誰かが座っていた。

 その人物は、春人さんだった。

 やはり夢なんだなとぼんやり考えていたのだけど。それは、ただの夢では無いみたいだった。

 「はじめまして。君、見舞いに来てくれた子だよね?」

 そう、挨拶をされて。私は、彼が元気である姿を見てみたいと自分でも知らずに願ったのかな、などと考えたのだけれど。

 彼は私の思考を読んだかの様に、頭を振った。

 「僕はもう長いこと眠り続けているけど、時々意識がはっきりすることはあるんだよ。それでも肉体は動かせないんだけどね。僕の力は、夢を操ることなんだ。本来なら、夢に悪意を乗せて、見せた相手の心身を蝕むものなんだけど」

 それが、私自身が作り出した夢なのか、彼の言う様に能力によるものか、判然としなかった。

 「信じられないなら、紫苑に確認してくれれば判ると思う。紫苑は僕の力を知っているし、少し前までは何度か夢で話もしていたからね」

 穏やかに語る彼の表情を見て。ベッドで眠っていた彼の姿を思い起こして、切なくなって。思わず涙を流してしまった。夢の中でも泣くことができるんだと、初めて意識した。

 「君は……優しい子なんだね。赤の他人の僕のために、涙を流してくれるんだ……」

 悲しげにそう呟く彼の表情は、小暮君に良く似ていた。

 「君が悲しむことは、何も無いんだよ。これは、僕が自分の意思でやっていることなんだから。香織に告げられないのは、悲しいけれど仕方が無いことだからね」

 諦めた様な彼の表情に、私は胸を締め付けれられた。

 「それなら、せめて香織の夢に出て……事情は説明出来ないまでも、香織と話をしてあげられませんか?」

 香織のためだけではなく、寧ろ春人さん自身のために、そうして欲しいと思ってしまった。

 だけど、彼は悲しげに目を伏せた。

 「僕は……もうすぐ死んでしまうから。死に逝く者に対して、未練を残させたくは無いんだ……なんて言うのは格好付け過ぎかな。本当は、彼女の心の内を見るのが怖いんだ。香織は、紫苑のことが好きなんだろう?」

 私は、もう彼の姿を見ていられなくなって、目を背けた。

 何て答えればいいの?

 私が見ている香織は、小暮君のことが気になっている様子で。彼の指摘通り、香織は小暮君に惹かれているのだと思う。だけど、それを肯定して見せる勇気は無かった。

 それでも、私の様子から、彼は状況を察したみたいで。小さくため息を吐いた。

 「君が気にする必要は何も無いんだよ。こうなることは初めから想定していたんだから。寧ろ、その方が僕自身未練を残さずに済む。後顧の憂い無く逝けるんだから」

 穏やかにそんなことを言われて。

 「そんなの、あんまりじゃないですか……」

 私は涙が止まらなかった。

 「いいんだよ。全て、承知の上でのことなんだから。そして、僕の想いを無駄にしないために、君にお願いがあるんだ」

 彼は私の手を取って。懇願するように握り締めた。

 涙を流しながらだったけど、私は彼を見つめ返した。

 「儀式に足りない物があるんだけど、紫苑を含め、誰もそれに気付いていないんだよ。このままでは、婚約解消の儀式が成立しなくなってしまう。次の婚約だけの問題なら、それでも構わないんだけどさ。今引き受けている呪いを完全に封じるためにも、儀式は必要なんだ」

 俯く彼の姿が痛々しくて。

 「私に出来ることであれば、何でもしますから……悲しみや不安を抱えたまま逝かないで下さい……」

 思わずそう言っていた。

 彼の手をしっかり握り返す。

 「……ありがとう。君みたいな人が香織の傍に居てくれると思うと、僕も安心して逝けるよ。──実は、婚約指輪のことなんだ。僕の婚約指輪が、効力を失っているみたいなんだよ。理由は判らない。すり替えられてしまったのか、それとも別の原因でその力を失ったのか。ともかく、今の指輪では、婚約解消の儀式は成立しないだろう」

 婚約解消の不成立。その一点だけで、誰の仕業か想像は容易で。だけど、春人さんは敢えてそのことを指摘はしなかった。

 私もそこは追及しないでおいた。

 「私は何をすればいいんですか?」

 「そのことを、紫苑に伝えて欲しい。それだけでいいんだ。後の手配は、紫苑が全てやってくれるだろう。君にお願いしたのは、今の紫苑ではこの夢での対話すら負担になってしまうからなんだよ。彼には無茶をさせ過ぎてしまったからね……」

 彼は私から手を離した。

 「……そろそろ、僕も限界みたいだ。まだ少しだけなら、大丈夫だと思うけど。何か聞きたいことはあるかい?」

 そう問われて。私は彼がどうして香織のためにそこまでするのか問いたくなった。

 「春人さんが……香織のことを愛するようになったのは……きっかけとかあるんですか?」

 私の質問に、彼は恥ずかしげに頭を掻いた。

 「僕は、幼い香織と何度も会って……愛おしくなったんだよ。当時香織は、殆ど家から出ることも出来なくて、友達とかいなかったからだろうけど……僕が見舞いに行くことを凄く楽しみにしてくれていたよ。まだ幼いのに、両親に負担を強いていることをすごく気にしていて……苦痛をずっと我慢して、平気な振りをしていたんだ。僕の前でも、無理して笑顔を作っててさ。それが見てて辛かったから、僕の前では我慢しなくていいんだよ、って言っても、香織はとぼけて見せるんだよ。だから、こっそり夢の中に入って、香織の心を覗いたんだ。そうしたら……香織、泣いていたんだよ。夢の中ではずっと。だけど、僕の存在に気付いて……夢の中なのにまた我慢しちゃうんだ。凄く、いい子で……そんな子が一族の守護になってしまったことに、物凄く憤りを感じたんだ」

 「一族の守護?」

 「一族の守護と言うのは、我々に降りかかる呪いを一身に受けて、皆を守り、身代わりとして死んでいく者なんだ。避雷針みたいな能力と思ってくれれば判り易いかな。だけど普通は、自然にその能力が発動することは無い筈なんだ。恐らく、誰かが守護にならなければ危険な状態にまで呪いが蔓延していたんだろう。あの子は、幼いながらもそれを敏感に感じ取って、家族を守ろうとしたんだと思う。……守護になったのは、病気がちになった幼稚園入園時頃だろうから、覚えてはいないだろうけどね」

 「そんな……」

 「こういう言い方をすると、同情してるだけなのかと思われるかもしれないけど……あんないい子が、何も報われず、ただ死んでいくだけだなんて……僕には耐えられなかった。凄く愛おしくて……幸せにしてあげたいって……僕は生まれて初めて、そう思える相手と出合ったんだ。この子のためなら、全てを差し出していいってね」

 「それって……恋愛感情と言うより、父性愛みたい」

 「そう……なのかも知れないね。だけど、僕にはどちらでもいいんだよ。どちらにせよ、僕がやれることは一つしか無い訳だし。だから、僕はそれを実行したんだ。両親は悲しんだけど、反対はしなかった。親戚はみんな、最初は反対していたけど……香織だけではなく、一族全体を救うためと言ったら、それ以上何も言わなくなった。涼香は未だに反対しているみたいだけど、紫苑は判ってくれたよ」

 彼は徐に立ち上がった。

 「誰かと話をするのは……多分これが最後だろう。君と話が出来てよかったよ」

 寂しげに眼下を見下ろす彼の様子に、私はまた涙が溢れてしまった。今見えているこの光景は、彼の思い出の中なのだろう。彼が小さい頃に見ていた光景なのか、それとも最後に見た光景なのか。もう、彼には見ることは叶わない光景。

 「突然夢に訪れて、ごめんね。香織たちのこと……よろしく頼む。僕には、これ以上のことは何もしてあげられないから」

 そう言い残して。彼は、崖とは反対側に歩いて行った。

 彼を含めて辺りの景色が色を失っていく。

 私は、呼び止めようとする自分をどうにか押さえ込んだ。

 彼を呼び止めて、私はどうするつもりだったのか。そして、彼に何と言うつもりだったのか。自分でも判らなかった。


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