第六話
どこまで連れて行かれるのかと思っていたら、行き先は保健室だった。
彼は挨拶も無しに、無造作に扉を開け、私を引っ張り込んだ。
中では校医の荒谷さんが机で書類を整理していたみたいだったけど、私たちを見て椅子を回して体ごとこちらを向いた。
「何、堂々と女子を連れ込んでるのよ」
彼女は気さくに話しかけてきた。
「……真尋さん、からかわないでください。それより、薬を──」
「またなの?」
彼女は机の引き出しから私物と思しきポーチを取り出すと、中から薬瓶の様な物を取り出して小暮君に渡した。
小暮君はそれを無造作にひったくると、蓋を開けて中の液体を一気に飲み干す。
彼は、暫くそのまま息を荒くしていたけど、やがて落ち着いたらしく、ため息を吐いた。
「大丈夫?」
涼香さんは、彼の具合が悪いのは私のせいだと言っていた。真偽は判らないけど、気になって仕方が無かった。
「……ああ。そんなことより、滝川さんに話があるんだ。──真尋さん、ここ使わせて貰うよ」
彼の言葉に、荒谷さんは目を眇めた。彼を見て、私を見る。その目が、一瞬値踏みをするかのように見えた。
彼は、さっきも彼女を名前で呼んでいた。
「小暮君の事情に通じているみたいで、かつ、この四月からの新任の方でしたよね……。──そういう事?」
「ああ。彼女はこちら側の人だ」
私の言葉に、彼は隠そうともせず同意を示した。
「香織のために、俺達はここまでやっている」
「ちょっと、紫苑くん?」
続けて事情を説明する小暮君に荒谷さんは椅子から立ち上がって注意を促す。
だが、彼はそれを手で制した。
「滝川さんにお願いがある。……こちら側に来て欲しいんだ」
こちら側。さっきも彼が使っていた、境界があることを示す言葉。それは、彼の属する何かが、通常の物では無いことを表している様に思えた。
「それって……大丈夫なの? 何の力も無い私のことを、小暮君の独断で決めてしまって」
思いつくまま、懸念を口にする。その私の言葉に、荒谷さんは驚いている様子。
彼は、荒谷さんに向けて、
「ずっとこんな調子なんですよ。もう何度も、少ない情報から核心を突かれて、その度に動揺させられて。このままでは俺の体が持たないよ。……実のところ、俺は滝川さんには何ら情報を渡していないんですよ。彼女が知っていたのは、香織が婚約していたという事実だけで」
苦笑いしながら説明した。
「この前、涼香のバカが少し情報を漏らしてしまって。このままでは何もかも香織に筒抜けになりそうなんですよ。彼女は香織の友達なんで」
「──バカで悪かったわね」
タイミングよく、涼香さんが保健室に入ってきた。
「なんでそんな女をこちら側に引き込む必要があるのよ。なんなら私が──」
彼女が何か言いかけて。恐らく不穏当な内容な気がするのだけど、それを小暮君が眼光だけで止めさせた。
「──判ったわよ……」
彼女は拗ねた様に横を向いた。そして、横目でこちらを窺う。
「……それで、その女にどこまで説明するのよ?」
「必要なら、全て」
彼の言葉に、涼香さんも荒谷さんも目付きが険しくなる。
「そこまでする必要は無いと思うのだけど」
荒谷さんは、小暮君を落ち着かせようとしているのか、ゆっくり諭すように言う。
──状況が全然見えない。
彼の属するものは、私が想像していた物よりもはるかに大きい気がするし、その背景に至っては全く想像できてなかったのだけど。それでも、彼はそれも時間の問題であるかのように私を扱う。
「滝川さん、この前電話で俺に言い掛けたことと、その理由をこの場で言ってくれないか?」
それは、何かテストの様なものなのかな。
「この前って。春人さんのお加減はいかがですの、って尋ねたこと?」
私の言葉に、涼香さんと荒谷さんは驚いた様な表情になる。
「理由は、別に確証は何も無いのだけれど。香織が小さい頃は病弱で怪我も多くて、呪われている子と呼ばれていたこと。春人さんと婚約を交わしてからは元気になったこと。その春人さんが香織と会えない状況にあること。その辺りに絡んでの話なのか、小暮君と涼香さんが香織のことを憎む様になっていたこと。小暮君は、今は憎んでいる様子は無いけれど、香織には話せない事情を抱えていること。一連のことが香織のためであり、香織のことを心配していると言っていたこと。それらを踏まえて。理由は判らないけれど、香織が呪われていたことは本当で、それを春人さんが婚約することで、香織の呪いを代わりに受けているのではないか。そう思ったの」
私の推察は、あくまで彼らの言う『呪い』という物が、現実にあるものと仮定しての話だったのだけれど。
荒谷さんは、椅子にドカッと腰を下ろした。
「……それって、涼香さんが何か情報を漏らした後の話?」
「いいえ。春人さんのことを尋ねられて動揺した俺を見て、涼香はそれを咎めるつもりで俺の呪いについて話をしてしまったみたいで」
荒谷さんはため息を吐いた。
「……それで。紫苑くんの呪いの話を聞いて、あなたは次にどう推察したの?」
その続き、か。一応考えては見たのだけど。
「小暮君が許容量以上に呪いを引き受けている、と聞いて。動揺すると具合が悪くなることは見聞きしていたので、かなり無理してるのではないか。それは、香織が受ける筈だった、春人さんが受けている呪いの一部を小暮君が代替して受けているのではないか。そうまでする必要があるということは、春人さんはかなり危機的な状況にあるのではないか。そう推察しました」
保健室は暫く沈黙に包まれて。
私は、彼女らの反応から、そう遠くない推察だったのかな、とぼんやり考えていた。
「……あなたは、その考えを香織さんに話すつもりなの?」
荒谷さんが沈黙を破る。
「……いいえ。出来れば、小暮君の口から、香織に事情を説明してあげて欲しいと思っていました。こんな話、香織が耐えられるかも判らないけれど、香織は何も知らされないという事実に押しつぶされてしまいそうなんです。春人さんとは会わせて貰えず、その事情も教えて貰えない状況。しかも、春人さんとの婚約が理由で親戚関係がギスギスしていると彼女は感じていて、ずっと一人で悩んでいるんですよ。小暮君がいつまでも何も言わないのであれば、そのうち仮定の話として、香織に話したかもしれません」
私は小暮君に向き直って。
「──何時まで秘密にしておくつもりなの?」
小暮君に問う。
彼は、苦しげに俯いた。
「最後まで、話すつもりは、無い」
それは、本当に、彼も苦しそうで。だけど、彼の決意は固そうだった。
「それでは、香織の心が持たないわ」
再度、指摘する。だけど、彼は。
「春人さんとの婚約は……もう直ぐ解消して貰う。香織の心は、俺が絶対何とかするから。だから、それは心配しないでくれ」
そう、宣言した。
婚約解消。香織の呪いを引き受けるための婚約。だけど、解消してしまったら、その呪いはどうなるのか。そのまま春人さんの身に留まるのか。それとも──
「それは、春人さんを人柱にして、次はあなたが婚約するということ!?」
思いのほか語気が強くなってしまった。だって、あんまりな話なんですもの。
私の言葉に、小暮君は叱られた様にビクッと震えた。
「──どうしてそこまで判るのよ……」
涼香さんは唖然としていた。




