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第五話

 「ただいま」

 帰宅して、母への挨拶もそこそこに、自分の部屋に入った。

 着替えもせずに、そのままベッドに倒れ込んだ。考えすぎて、頭が痛かった。

 あれから色々と想像を巡らせてみたけれど、香織の部屋で思いついたこと以外、何も思いつかなかった。

 結局。これ以上のことは、彼らから情報を引き出さないと判断出来ないという結論に達した。

 少し躊躇したけど、約束でもあったし、小暮君に電話を掛けることにした。

 数コールの後。

 「もしもし?」

 『……あんた誰?』

 思わず固まってしまう。

 女の声。この声は──

 『こらっ、人の電話に勝手に出るな!』

 電話の向こうで、くぐもった声が聞こえた。

 『誰なのよ、この女は──』

 『もしもしっ?』

 焦った小暮君の声。ようやく、本来の持ち主の手に戻ったらしい。

 「滝川です。今の、涼香さん、よね? ……おじゃましてしまったのかしら?」

 電話口で、小暮君が吹き出した。

 クールな人だと思っていたのだけど、案外お茶目な人なのかも知れない。

 『いや、気にしないでくれ。……たのむ』

 妙なところを気にする人だな。私なんかにどう思われても関係無かろうに。いえ、私が知れば、そのまま香織に伝わってしまうことを気にしているのか。こっちも結構面倒な状況なのだと思わず笑ってしまった。

 『……それで、どうだった?』

 私からの用件など、そのこと以外思いもよらない様子で。ちょっとだけ意地悪してみたくもなったけど、彼も真剣なのだろうと思い直した。

 「特に、目新しい事柄は無かったわ。呪いについても、彼女自身が呪われていると言われていたこと以外は知らないみたいだし」

 『そう、か……』

 私の答えに、彼は安堵のため息を漏らす。

 だけど、私の話はまだ終わりではない。

 「一つ、聞かせて欲しいことがあるのだけど」

 『……何だ?』

 電話では、彼の表情は見えないけど。この前のように焦っている様子が窺えた。何について焦っているのかは知らないけど。

 「春人さんのお加減はいかがですの?」

 『なっ……!?』

 直接会って聴いた方がよかったのかもしれない。彼の驚きが、どういう意味合いのもなのか、電話越しでは微妙に判断がつかない。

 だけど、私の言葉がよほど意外だったのか、彼の動揺具合はよく判った。

 『──ちょっと、誰だか知らないけどさぁ。紫苑のこと揺さぶるの止めてくれない?』

 また、涼香さんが出てきた。動揺する彼を見て、無理やり電話を奪ったのだろう。

 『ただでさえ、許容量以上に呪い引き受けちゃってんだからさぁ』

 ……えっ?

 『──ばか! その話を軽々しくするんじゃない!』

 電話の向こうでもめている。

 『え? だってこれ身内用の携帯じゃん──』

 プツッ!

 唐突に、電話が切れた。いえ、切られたのか。

 今の僅かなやり取りだけで、私の頭はパンクしそうだった。


 ***


 翌週。

 教室に入ると、自然に小暮君の方を見てしまった。心なしか、やつれている気がした。

 彼は、私に気付いて。そして、目を逸らした。まずいことを知られてしまったと思っているのか。

 私も、彼が目を逸らさなければ、自分から目を逸らしてしまっただろう。

 あれから、色々想像を巡らせて。香織の家で思い至ったことよりも、事態はもっと深刻らしい。

 などと思案していると。

 「なーんか怪しいのよね」

 後から入って来た若菜が零した。

 「……何のこと?」

 どういう意味で怪しんでいるのか判らずにいると。

 「先週はそんな風じゃなかったのにね。一人で会いに行ってるんだ?」

 若菜は不機嫌そうに、小暮君の方を見ながらそう口にした。

 なるほど。休日を挟んで様子が変わっていることに気付いたのね。若菜にしては鋭い。 

 私は彼女の耳元に顔を寄せる。

 「私から働きかけるって言ったでしょ。香織のことがあるから、この前連絡先を教えてもらったの」

 今更私と彼がどうこう思われるなんて、思ってもいなかったのだけど。

 「ふ~ん……」

 若菜は香織の話を額面通りに受け取ったのか。香織の様子を見ていれば気付きそうなものなのに。それとも気付いた上で、それでも香織の事情を鑑みて、構わないと判断したのかもしれない。

 「それで、どんな話をしたの?」

 とりあえず状況を確認しようと思ったらしい。若菜は自分の席に座ると隣の椅子を引き寄せて、バンバンと叩いて私に座るよう促した。私はため息を吐いて、それに従った。

 椅子を更に寄せ、彼女に顔を近づける。

 「小暮君の携帯に電話したら、……涼香さんが出たわ」

 「──はあ!?」

 彼女は思わず声を大きくしてしまう。慌てて口に指を当てて、静かにするよう促す。

 「……どうしてなのよ?」

 「さあ? 彼らが何処で何をしていたのかまでは聞かなかったけれど。従兄妹同士で、彼女の方は彼に気がありそうだから、仲良くしているんでしょうね。彼女が勝手に出てしまったみたいで、彼がそれを奪い返して。香織の様子を彼に伝えたのだけど、その時彼は具合が悪かったみたいで、また涼香さんが携帯を奪って、切られてしまったの」

 涼香さんが漏らしてしまった言葉はとりあえず伏せた。秘密にしているみたいだったし、不確かな情報を広めたくもなかった。

 「じゃあ、なんであんなに気まずそうにしてるのよ?」

 若菜は外を眺めている小暮君を指差す。

 「……休日に涼香さんと一緒にいることを知られて気まずいんじゃないの?」

 「……ふ~ん」

 どういう意味で受け取ったのかは判らなかったのだけど。若菜は暫くそのまま小暮君を眺めていた。


 昼休みに、涼香さんが私たちの教室に入ってきた。

 彼女は教室内を見回すと、昼食時のままでまったりしていた私たちの所まで詰め寄ってきた。

 「滝川さんって、どっち?」

 不意のことに一瞬躊躇したけど。何のことは無い、小暮君の携帯画面に表示された名前を見ていたのだろう。

 「私よ」

 そう言って立ち上がる私の腕を、彼女は掴んだ。

 「ちょっと来てよ」

 何事かと思ったけど、そのまま従う。彼女は、教室の一番後ろまで行き、そして窓側の隅まで移動した。そこは小暮君の席の真後ろ。

 小暮君はというと、机に突っ伏して休んでいた。やはり具合が悪いのか。

 「あんたのせいで、紫苑がこんな風になってしまっているのよ」

 私のせい?

 「……涼香、止めろ」

 小暮君はのそのそと立ち上がり、こちらを振り向いた。

 不機嫌そうな彼の顔は、寝不足のような、痛みを堪えているような、そんな感じに見えた。

 「嫌よ。これ以上見てらんないもの。──滝川さん、あなた、何者なの?」

 えっ?

 彼女が何を言いたいのかが判らず。ただ首を傾げるしかなかった。

 「とぼけないでよ。あなたは何を知っていて、紫苑に何を言わせたいの?」

 険しい目付きで詰め寄られる。

 この前の電話での話を指して言っているのか。

 「……私は、ただの、香織の友達よ。あなたたちの事情を何か知っている訳ではなくて。ただ香織のことが心配で、香織のために私が出来ることをやっているだけよ」

 私の返事に、涼香さんよりも小暮君の方が強く反応した。

 彼は私の両肩を掴んだ。

 「じゃあ、どうして、電話であのことを?」

 強く掴まれて少し痛かったけど。香織のために、ここで怯んでいる訳には行かない。

 「推察よ。あなたたちと香織の言葉や態度から、その程度のことは私にでも推察できたわ」

 小暮君は顔を顰めて。そして、私の体を壁に押し付けた。

 「思わせぶりなことを言うのはもう止めてくれ! 俺の心が持たないから!」

 必死な形相で声を荒げる小暮君を見て。

 「小暮君……どうして、あなたはそう──」

 思わずため息が漏れた。

 「──周囲に誤解を与えるようなことを言うのよ。わざとなの?」

 「……えっ?」

 私の言葉が想定外だったのか、彼は毒気を抜かれたように、周囲を見回した。

 涼香さんは苦笑いしていて。

 若菜は引きつった笑みを浮かべていて。

 香織は泣きそうな顔をしていて。

 クラスメイト達は、驚愕の目で見ていたり、顔を赤くして口元に手を当てていたり、ワクテカした様子でこちらに注目していたりしていた。

 「えっ?」

 彼は問いかける様に、再び私を見た。

 事態が飲み込めていない彼に、私は耳元で囁く。

 「あなた、この前階段で香織を助けたときもそんな風に周囲に誤解を与えて、噂になっていたのよ? 涼香さんとも痴話喧嘩みたいな噂が流れていたし。その上で今の台詞、噂しか知らない人が聞いたら、三角関係に割り込んだ私に誘惑されて、平常心を失ったようにしか見えないわよ?」

 私の言葉を暫し噛み締めて。自分の台詞を思い返したのか、彼は顔を赤くして私から離れた。これはこれで、また誤解されてしまいそうな行動だったけど。

 今の状況だと、私は悪女か小悪魔か。

 そんな風に見られているんだろうな、などと自嘲していると。彼は私の腕をまた掴んで引っ張って。そのまま教室から連れ出されてしまった。

 これ以上、誤解を重ねてどうするのだろうと気になったけど、思いつめたような彼の目を見て、私はおとなしく従うことにした。


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