第四話
土曜日、私と若菜は香織の家に集まった。香織の秘密を、若菜に打ち明けるために。
先日の件で、私も若菜からの追求対象になっていたのだけど、その件は香織もずっと気にしているみたいだった。
香織の部屋で、ミニテーブルを囲んで座る。
ミニテーブルには、手土産に買ってきたジュースやらコンビニスイーツやらを並べて。でも、まだそれには手もつけないで。
緊張している香織の様子に、若菜も大人しくしていた。香織につられて緊張しているみたいだった。若菜が生唾を飲み込む音が、私にまで聞こえた。
「若菜……今から言うことは、本当に、秘密にしてね」
香織の念押しに、若菜は黙って頷く。
「小学校からずっと一緒だった美弥子は既に知っていることなんだけど。私、──婚約しているの」
「……えっ? ええーっ!?」
若菜が仰け反る。そして、安堵したらしく深いため息を吐いた。
「何よ、もう。深刻な顔してるから、悪い話を聞かされるんじゃないかって心配しちゃったじゃない」
なるほど。若菜が珍しく大人しくしていると思ったら、そういうことだったのね。
「おめでたい話じゃないの。秘密にしたいのは判るけどさ」
そう。本来なら、喜ばしい話である筈なのだ。だけど、香織はずっと浮かない顔をしていた。
「うん……そうなんだけどね。でも、そのことで……親戚関係がギスギスしているのよ」
「あー……。あれはそういうことなんだ」
小暮君とその従兄妹、涼香さんだっけ? 彼女に思い当たったのだろう。
「でも。香織の婚約で、何でそんなことになるの? 遺産相続とか?」
そこは、私も疑問だった。涼香さんだけなら、想像できなくもない。叔父のことが好きで、奪われたみたいな感情なのかと。だけど、そもそも叔父と姪では結婚出来ない訳で。それに、香織の話では、昔は小暮君も涼香さん同様に香織のことを嫌悪していたらしいので、話が繋がらない。
「それが……私にも判らないの。誰も教えてくれないし……」
香織は俯いて、涙を浮かべる。それでも、続きを若菜に聞かせた。
「婚約した彼は紫苑くんたちの叔父で、赤穂春人さんって人なの。私、小さい頃から病弱で、怪我も多くて。よく学校を休んで寝込んでいたの。春人さんは、紫苑くんと涼香ちゃんを連れて、よく見舞いに来てくれたわ……。その頃は、まだ紫苑くんも涼香ちゃんも、すごく仲良くしてくれていたのだけど。私と春人さんが婚約して、その後私が元気になって。普通に学校に通えるまでに回復した頃から、みんなとは疎遠になっていったの。まぁ、私を見舞う必要が無くなったから、彼らが来る必要も無かったのでしょうけど」
香織は俯いてため息を吐いた。そして、また若菜を見る。香織の瞳から、涙が零れていた。
「でもね……春人さんまで疎遠になっているの。事情は教えてくれないのだけど、何やら忙しくしているらしくて。私、婚約者ともう何年も会っていないの!」
そう。香織はそれが不安でたまらないのだ。香織がその彼のことをどう思っているのか、私は知らない。誠実な彼女のこと、婚約を真摯に受け止めていただろう。だけど、放って置かれては彼女の心も揺らいでしまう。
「──なによそれ? こっちから逢いには行けないの?」
若菜は憤慨している。私だってそう思うよ。
「一度だけ、彼の家に押しかけたの。だけど、不在かどうかすら教えて貰えなくて。そして、その時には、紫苑くんと涼香ちゃんは、私のことを憎んでいたみたいなの……」
香織が嗚咽を漏らす。こんな香織、見ているだけでも辛い。だけど、私にはどうしてやることも出来なかった。
「……意味判んないし。でも、来週にでも当人たちに聞けば判る話だよね」
「──やめて!」
切り裂くような香織の悲鳴に、若菜も怯んだ。
「若菜がそういうことを言い出しかねないから、今まで秘密にしてたんだよ」
私も若菜を諌める。
「……だって、ここでうじうじ悩んでいても判んないことでしょ? だったら──」
「その時期を、香織自身に見極めさせるべきだ、って言ってるのよ。私も、彼らに話を聞くべきだとは思ってる。だけど、ただでさえ拗れている関係に香織は心を痛めているの。そこは、冷静に判断してあげてよ」
私も、自分の不甲斐無さに泣けてくる。傷ついてでも若菜の言う様に、即行動に移した方がいい場合だってあるに違いない。だけど、私は香織が傷つくところを見たくは無かった。
「……わかった。香織の尻は叩くけど、無理はしないことにする。美弥子はどうするの?」
若菜がこちらの話に移す。小暮君の件も含めての話だろう。香織も、まだ泣き止んではいなかったけど、気になっている様子で私の方を見た。
「私は、逆に向こうから歩み寄って貰えるように働きかけてみるわ。先日、私が小暮君と話をしていた内容なんだけど、香織が話したこの件なのよ。お互い、香織の秘密について知っていることを悟って、ね。彼は香織のことを真剣に心配していたわ。彼が、香織に自分のことは構うなと言ったことの真意については……何も聞き出せなかったのだけどね」
彼女らが想像している様な逢瀬では無いことを説明する。彼から二重スパイみたいなことを頼まれていることは伏せさせて貰うけど。
私の話に、香織は安堵のため息を漏らした。
その様子に、先日感じた気まずい事柄が、やはり気のせいでは無かったと確信してしまう。
彼が自分に構うなと言った理由も私には想像出来るし、香織も本当は気付いているのだろうけど。そこは敢えて誤魔化したのだ。
「何よそれ。何も収穫無しなの?」
若菜に突っ込まれる。私が何の成果も無しに引き下がるとは思っていないのか。
「一つだけ、ある。この前、若菜が気にしていたことよ」
私の返事に、若菜は首を傾げた。
何のことか思い出せない様子。
「香織がこの話に触れても大丈夫なのか不安ではあるのだけど。──『呪い』の件よ」
彼らが言う呪いとは、一体何を指しているのか私には想像もできていなかった。まさか額面通りの言葉とも思えなくて。
だけど、香織はそのまさかの話を始めた。
「……さっき、私が小さい頃、病弱で怪我も多かったって言ったの覚えてるよね……。私、小さい頃からずっと、呪われている子、って呼ばれていたの……」
その話は、私も初耳だった。それで、あんなに強く反応していたのか。
「でもね。今ではすっかり元気になったから……もう呪われているなんて言われてないから!」
今では人一倍元気な香織を見て、呪われているなんて誰も思わないだろう。だけど──
「小暮君も、呪いという言葉に強く反応したのよ。そして、香織が呪いという言葉に強く反応したという話に、すごく動揺していたわ」
これまでの話を踏まえて。一つだけ、私にも想像できることはあった。それで、辻褄は合う。だけど、あまりに非現実的で、自分でもどうかと思ってしまう。
「うーん……、呪いという言葉については、他に思い当たることは無いけど……」
香織には判らない様子。
もし、私の想像通りであるなら。彼らが香織の知らない秘密を抱えていて、それを彼女に隠していることにも頷けてしまう。だから、正しかろうが間違っていようが、ここでは黙っているべきなのだろう。
そんな風に思案していると。
「美弥子が何か気付いてる気がするー」
若菜が私の様子に何かを感じたらしく、突っ込まれてしまう。
香織は不安そうに私を見つめた。
「……いえ、確かなことは何も。想像できることはあるけど、自分でも、それが正しいとは思えないのよ。不確かなことで香織を不安にさせても仕方が無いし。だから、今は何も言えないわ」
言い切る私に、若菜は不満そうだったけど何も言わなかった。
香織も、黙って頷いてくれた。




