9.猫とキャンディ
幸羽は少し前から目覚めていた。 しかし目を開けようとはしなかった。
目を開けて、まだ悪い夢の続きだったらどうしようかと怖かったのだ。
本当は幸羽も気づいていた。
自分が着ているのがパジャマではないのも、顔に触れる枕カバーがお気に入りのタオル地の物でないことも。だから尚更硬く目を閉じていた。
そんな幸羽の耳に予期せぬ声?が聞こえた。
「ニャーン」
(えっ、ねこ?) 猫好きの幸羽は思わず目を開けてしまう。
すると、枕元に真っ白な猫が座っていた。
幸羽が起きたのに気づくと、猫は目を細めて頬をなめ始めた。
「えっ、ちょっと待って、痛いよ」
ザラついた舌でなめられて、クスクス笑ってしまう。 起き上がって猫の頭をなでる。
「あなたはここの子なの?」 話しかける幸羽に答えるように猫は鳴いた。
「そっか…」
幸羽は飼っていた猫のことを思い出した。
黒猫のミーコは寂しい時や悲しい時、幸羽が布団をかぶって泣いていると、何処からともなくやって来て慰めてくれたのだ。
悩みや愚痴も聞いてくれたし、時にはグチグチ泣き言を言う幸羽に噛み付くという教育的指導?までする賢い猫だった。
幸羽はため息をついた。
「 天国のミーコに叱られるわね。しっかりしなくちゃ」 独り言を言いながら自分に気合を入れる。
「ニャーン」
鳴き声に呼ばれて猫を見ると、朝会った男の子が側に立っていた。
いつの間に来たのだろうと幸羽は少し驚いたが、微笑みかけた。
「太郎ちゃんどうしたの、私に何か用があるの?」
太郎は少し首をかしげると、半ズボンのポケットからキャンディを取り出し幸羽に差し出した。
「えっ、もらっていいの? そう、ありがとう」
コクリとうなずいた太郎から、キャンディを受け取る。
早速、包みを開けてキャンディを口に放り込んだ幸羽が、顔を上げるとすでに猫も太郎もいなかった。
(えっ、いつの間に出て行ったの? 素早過ぎるわ。 まるで忍者みたいね)
そんなことを思い、しのび装束で猫を連れた太郎を想像してしまう。
「ヤダ、可愛いかも!」
イチゴミルク味のキャンディに心が慰められ、ほっと息をつく。
(やっぱり甘い物の力は偉大よね。 それにしても参ったわ。 帰れないってどういう事よ。いったい何処に苦情を言えばいいの?) 眉間にしわが寄る。
幸羽は正直蒼聖の話を全て信じたわけではなかった。 異世界だなんて話だけではまだ納得できない。
しかしここの人達が自分を騙すメリットも思い当たらないのだ。
それに変な夢を見ているという疑いも捨てきれない。
「夢の中でも、冗談でも、ほんとに異世界でも、今の私はここにいるのが現実なんだから、仕方ないよね。 どうにかしなきゃ。
ああ、職場の人にはすごく迷惑をかけるなぁ。 心苦しいけど、どうしようもないし。
それよりも亜紀、心配させちゃうよね。失踪だもんね」
過保護な親友の顔が思い浮かぶ。幸羽は深呼吸をして、また落ち込みそうになった気分切り替える。
「あー、ダメ、これからの事かんがえなくちゃ。 問題はどうやって暮らしていくかね。
取り敢えず住む所はここに置いて貰えるみたいだけど…… 仕事とか見付かるのかな。 うーん」
ぶつぶつ独り言を言っていて、ふと気づく。
「なんだ、私、結構元気じゃないの。これだからお気楽だの、ノンキ者だのいわれちゃうのよね」
幸羽は自分に突っ込みを入れた。
どうやら、いつものように開き直りモードに入ったなと、幸羽が自己分析していると部屋の外から声がかかる。
「幸羽ちゃん、富貴江だけど入っていいかしら?」
「はい、どうぞ」 返事をすると富貴恵が顔をのぞかせた。
「気分は悪くない?」 気遣わしげに聞かれて、幸羽はうなずいた。
「大丈夫です。すみません取り乱してしまって…… 」 布団の傍に座った富貴恵は優しく微笑んだ。
「いいのよ、無理もないことですもの。いきなり見知らぬ場所に放り出されたら、誰でもそうなりますよ。
でもね、蒼さんから聞いたと思うけれど、住む所の心配はしなくていいのよ。
家にずっといてもらってもかまわないから」
「でも、ホントにいいんですか? あの私、宿泊代払えないと思うんですけど…… 」
「いいのよ、そんなこと。気になるなら私のお手伝いでもして頂戴」
「有り難う御座います。すごく助かります。 お言葉に甘えて、お世話になります」
幸羽は深々と頭を下げる。 そして思いついたように付け加える。
「あっ、でも仕事が見つけられたら、ちゃんと払いますから」
富貴恵は少し考えるふうに首をかしげた。
「そうね、あちら側のルートなら探せないこともないかしら」
「あちら側?」
「あら、ごめんなさい、独り言よ。それより御飯にしましょう。お腹空いたでしょう。 あなた半日寝ていたのよ」
「えっ、そうなんですか?」
驚いている幸羽に、富貴江はニッコリ微笑むと食堂へと促した。
話が進みません。温泉にたどり着くまでに行き倒れの予感がしてきました。