33.幸羽の異変
誰かの話声で幸羽が目覚めると、すでに暗くなっていた。 今、何時だろうと思いながら体を起こし、枕元の灯をつけると、太郎がドアをすり抜け入ってきた。
「あら、太郎ちゃん、見に来てくれたの? 」 ベッドの側までやって来て、心配そうに幸羽を見上げる、サラサラのおかっぱ頭を撫でる。
「もう平気よ。心配してくれてありがとう」 微笑んで見せると、太郎は安心したようにコックリと頷くとドアの方を振り返る。
「幸羽君、目が覚めたかい。入るよ? 」 聞き覚えのある声に答えると、ドアを開けたのは思った通り蒼聖だった。
「体調が悪いって聞いたけれど、具合はどうだい? 昨夜は、倒れたそうじゃないか」
幸羽はベッドサイドに立つ蒼聖をぼんやり見上げた。 久しぶりに会った美形の術者の、少し低めの良く通る声が耳に心地良く響く。
うーん、美人は声もいいのかしら? 声も身体の造形に左右されるのかな。
うっかり思考の海を漂い始めた幸羽は、名前を呼ばれてハッとした。
「幸羽君、君、大丈夫かい? 」 眉を寄せた蒼聖に顔を覗き込まれて、幸羽は思わず後ろに仰け反った。
「ち、近いです! 蒼さん 」 頬を赤らめた幸羽に、怪訝そうな顔をした蒼聖は、やっと自分の行動に気づいたのか苦笑いして謝る。
「ああ、すまない。若い女性に失礼だったね」
それから、蒼聖は気を取り直したように表情を改めて幸羽に告げた。
「ちょっと視てみるから横になってくれるかい」
幸羽は言われたようにベッドに横になる。 蒼聖はしばらく無言で幸羽を凝視した後、集中するように目を閉じる。 すると、その身体の周りに陽炎の様な揺らぎが現れた。 そして、幸羽が目を瞬いているうちに長い黒髪が銀色に変わる。
これが…… 確かに「銀の聖」だわね。 なんか目も金色になってるし、神々しいというか、いつも以上に眩しいというか……
幸羽は、一瞬の間に起った変化に目を見張る。
そんな幸羽を気にも留めない様子で、蒼聖は幸羽の身体の上に手をかざすと、スキャナーのように頭から足先へと滑らせた。 幸羽は蒼聖の動作を見て、呆気にとられる。
これって、まさかエコー検査? それとも人間ⅭT? ⅯRI? 医療機器要らずじゃない。
これが普通なの? こっちには病院に、検査技師じゃなくって検査人がいるの?
幸羽が少々混乱しているうちに、蒼聖による検査? は終わったようだ。 そしていつの間にか、蒼聖の目と髪色も黒に戻っていた。
もしかして悪い病気なんだろうか…… 幸羽は、腕を組んで目を伏せたまま考え込んでいる蒼聖に、恐る恐る声を掛けた。
「あの、蒼さん? 」 ハッとしたように顔を上げた蒼聖は、不安気に見ている幸羽に優しく微笑んだ。
「ああ、すまない幸羽君。大丈夫だよ。 目立った異常はないみたいだ。 私は専門ではないけれど病気に罹っている様には視えない」
ホッとした幸羽は続けられた言葉に首を傾げた。
「ただ、生命力という体のエネルギーの循環が悪いというか、流れが偏っているんだ。 それに体内保有量が減っているのは少し問題かな」
言語補正が働いているので、言われている言葉そのものは分かるのだが、その内容が理解できない。
「簡単に言うと体力が低下しているんだよ。 疲れがたまっているのかな。無理をしてはいけないよ」 困惑した表情に気づいた蒼聖が分かりやすく教えてくれる。
そういう事かと今度は幸羽にも理解できた。 そして、こちら特有の常識や約束事などについての知識不足を感じて反省した。
ここで暮らすのだから勉強する必要があるだろう。出来れば早急に。
そして念のため蒼聖が視た映像を、術医師の百城先生に診てもらうことになった。
「ところで幸羽君、何か変わったことは無かったかい。 気になる事や困っている事、なんでもいいよ。
君の不調の原因が周りの環境にあるのなら調整しないとね。 もう適応しているとは思うけれど、一応君の身体は異世界製だからね」
冗談のように言われて幸羽は思わず笑ってしまった。 そして、場合によっては難しい状況になりうることなど思ってもみなかった。
「気になるって言えば…… 」 幸羽はここしばらく感じていた体の違和感や眠気などについて話す。
「それで、前にシンちゃんの卵を受け取ったばかりの頃も、すごく眠い時期があったんです。 まさか、また別口なんてことは…… 」 幸羽は密かに気になっていた事を尋ねた。
蒼聖がきっぱり否定してくれたので幸羽も懸念が晴れてすっきりした。 その後はここ最近の過ごし方などを話題に談笑する。
そして、ふと思い出して太郎を探すと、ちゃっかり幸羽の隣で布団にもぐって寝ていた。 そんな太郎を二人は顔を見合わせて笑った。
一頻り笑うと太郎を起こして食堂へ向かう事にした。
いつもの夕食の時間はとっくに過ぎていたが、蒼聖も帰って来たばかりだと聞いて幸羽はハッとする。
常に忙しく滅多に帰って来ないと聞いていた凄腕術者が一月位で戻るはずがない。
護衛のために館に居た時も、シンちゃんが卵のうちは日帰り仕事を熟していた位引く手数多だった。
もしかして蒼聖は自分の為に戻って来たのではないか。 また面倒をかけたのではないだろうかと申し訳なく思った。
「あの蒼さん、まさか私のために戻ってきたなんて言わないですよね」 問われた蒼聖が情けない顔をした幸羽に苦笑する。
「確かに富貴恵さんから相談は受けたけれど、たまたま近くに居なければ戻らなかったよ。 一仕事終わったところだったから、此処の美味しい御飯が恋しくなったんだよ。 気にするような事じゃないよ」
やはり自分の所為なのかとシュンとしてしまった幸羽を、太郎はじっと見つめていた。 そして、おもむろに半ズボンのポケットからキャンディを取り出し、幸羽にそっと差し出した。
「太郎ちゃん! 」 可愛い慰めをもらって感激した幸羽が太郎を抱きしめた。
幸羽に感謝され、その腕の中で満更でもない様子の太郎を、蒼聖はやれやれという顔で眺めていた。
そんな風に三人が、廊下で騒いでいると歩が部屋から顔を出した。
「何騒いでるの? アッ、蒼さんお帰り」 仕事で疲れているのか煤けた様な顔で、ひらひらと手を振る。
どうやら歩も部屋に籠っていて夕食はまだだったらしい。 一人加わって四人で歩く。
「それで、締め切りに間に合いそうなんですか? 」
「う~ん、ギリギリかな。今日も徹夜かな。早く終わらせて、俺も気兼ねなく寝たいよ! 」
たっぷりと寝たので体の具合は良くなったと笑う幸羽を、歩は羨ましそうに見て頭を掻いた。 そんな歩と並んで歩いていた幸羽は、急に寒気を感じて立ち止まる。何だろうと思いながら、どうかしたかと問いかける歩には、何でもないとかぶりを振った。
そのまま階段を降りて行くと、太郎と先に下で待っていた蒼聖が幸羽を見て目をすがめる。
「幸羽君、君…… 」 蒼聖が何か言いかけた時、丁度玄関のドアが開いて朗と良太が入ってきた。
「ああ~、今日も疲れたぜぇ」 「はぁー、オレも! あれ、蒼さんお帰り」
賑やかに二人が近づいて来ると共に、幸羽は身体の力が抜けるのを感じた。 立っていられず、その場に頽れた幸羽を蒼聖が抱きとめた。
「えっ、幸羽ちゃん? ちょっと、どうしたの」 歩が焦った声を出す。
「幸羽君、まずい。 二人とも止まれ。そこから動くな! 」
「な、なんだよ。 オイ」 蒼聖の制止の声に朗たちがその場に立ち竦む。
幸羽には、そんな物音が遠くに聞こえていた。
誰かが、目を閉じたままの自分を抱き上げて運んでいる。
気遣う声に答えたいと思ったが、息苦しくて声が出せなかった。
そして、急に息苦しさがなくなったと思ったら、背中に柔らかな物を感じた。
薄目を開けてみると自分の部屋の天井で、ベッドまで運んでもらったのだと分かる。 視線を横に向けると蒼聖の顔があった。
「蒼さん…… 」
「幸羽君。大丈夫かい? 」
「私…… 何だか、また力が抜けたみたいになって…… 」 怠くて、喋るのも億劫だ。
「ああ、私がついていながら、すまなかった。 君の生命力が一気に減ってしまった所為だ。 心配いらないよ。 休養すれば回復するからね」
宥めて言い聞かせるような蒼聖に頷いた。
「はい…… 」 瞼が重くてまた目を閉じる。
「ゆっくり休むといい。 この部屋の中なら安全だ」
蒼聖の声を聞きながら幸羽は、深い海の底に沈んでいくように、眠りの中に落ちて行った。
うーん、また寝落ちで終わってしまいました…… 次回は別視点の話になると思います。
読んで下さってありがとうございます。




