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冬の足跡

作者: Perseus7

ある緑豊かな国の、さみしい冬のことです。

その国の貴族の家に、寝込んでしまった男の子がおりました。

男の子はとても恵まれた子で、十をこえる年までほとんど病気にかからなかったのですが、今年の冬、とうとう重い病気になってしまいました。

ゴホゴホと苦しいせきをして、熱にうなされる息子に、男の子のお父さんは、あるひとつの約束をしました。春になったら咲く花をつみに行こうと。そうしたら、お前のことを心配しているお隣の子に、花を届けに行こうと。

男の子はよろこんでその約束にうなずきました。大好きな両親と出かけられて、大好きな友だちにお土産ができると思ったから。

男の子はまだおさなかったので、自分に春が来ることをうたがっていなかったのです。

けれど、雪がとけてしまうように、男の子ははかなくなってしまいました。

動物たちが眠ったままの、真冬の夜のことでした。





アレクサンドロはふと目が覚めると、しんとした部屋の中にいました。身体を横たえていた寝台は、なぜか白い石でできていましたが、ふしぎとアレクサンドロは硬さも冷たさも感じませんでした。

ここは、どこだろう? アレクサンドロは考えましたが、この部屋ように氷に似た壁や床におおわれた所など、心当たりはありませんでした。それどころか、元いただろう自分の部屋のことさえ思い出せないことに、アレクサンドロは気がつきました。


「ぼくは……どこから来たのだろう」


冷たい部屋の中で、唐突に雪が舞いました。

とまどうアレクサンドロの前で粉雪なような、きらめく靄が立ち上ると、すぐに消えて、忽然と真っ白な女性が姿を現しました。


「アレクサンドロ、あなたはわたくしの城で預かることになりました。ひと冬だけ、あなたはここで過ごすことができます」


水晶が響き合うような声で、その女性は告げました。

目を丸くして彼女を見上げるアレクサンドロに、真っ白な女性は少し腰をかがめて、自らの胸に手を当てました。


「わたくしは冬の女王、ヴィスコンティ。北の果て、氷の城の主です」





なにもわからずに氷のお城で過ごす日々が続きました。

石の寝台から起きて向かう朝の食卓には、いつもパンとスープ、ミルク、そしてときどきチーズや干した果実が並べてありました。お城で出されるものにしてはふさわしくないかもしれませんが、ここはあるかもしれない豊穣の秋の女王が住むお城ではなく、動物たちが巣穴にこもる冷厳な冬の女王のお城なので、道理なのかもしれません。アレクサンドロとしては、豪華でなくても、ゆたかな実りのなごりを思わせるパンやスープに不満はありませんでした。

氷の城の食卓に着く人は、あまり多くはありませんでした。

もともと、お城にいる人々はさして多くありませんでしたが、ここにいるとどうもお腹が空かないので、食卓の顔ぶれはさらに少ないものでした。習慣で顔を出すアレクサンドロの他には、穏やかな顔つきの老人がひとりと、泣き虫な女の子がひとりと、それからときどき、三つにも満たないような幼い子供をかかえてやってくる冬の女王だけでした。

冬の女王はぼんやりした子供に、ミルクにひたしたパンをやったりみルクを飲ませたして、時折アレクサンドロや泣き虫な女の子の頭を撫でたりしました。

その食卓でアレクサンドロは、冬の女王にこうたずねたことがありました。


「女王さま、どうしてここには人しかいないのですか? 動物はみな、眠ってしまっているからですか?」


すると、冬の女王はふしぎなことを言いました。


「いいえ、アレクサンドロ。それは違うのです。人には人の、鳥には鳥の、魚には魚の王がいるのですよ。わたくしはこのとおり、人の形をしているから、人の冬を司るのです。ですから、わたくしは鳥と言葉を通わすことも、同じ表情をしてあげることもできないのです」


アレクサンドロはびっくりして、さばらく冬の女王を見つめていました。

知ることのできなかった、世界のひみつを知った気がしたからでした。





朝の食卓でとなりにすわる女の子は、すこし泣き虫な女の子でした。

きらいな野菜がスープに入っていただけで、すこしだけ泣きそうな顔をする女の子は、よく向かいに座る老人になぐさめられていました。「大丈夫、大丈夫。おじょうちゃんなら食べきれるよ。心配するこたぁないさ」と。

女の子はだれかに似ていました。よく泣き、よくおどろいて、よく笑う、そんな女の子でした。


泣き虫や女の子とは、お城の庭でよく遊びました。

天に向かって根を伸ばしているような、不思議な水晶の樹の周りで、雪の上をかけまわって、つかれると書庫にいる老人をたずねて、本を読んでもらったり、いろいろな話をしてもらったりしました。

そんなある日の午後のことです。

風の子のように遊んだ後のふたりは、書庫の椅子に腰掛けた老人の膝に、身を乗り出すように腕や頭を預けて、一冊の本を読み聞かせてもらっていました。

その本は、木の根元に住む兎の話でした。森の奥深くに住む、兎の夫婦ははじめての子供によろこんで、はねわまり、そして、兄弟を産もう、家族でこの棲家をあたためようと話してしました。


「もうすぐ産まれるよ、冬が終わる前には、元気に産声をあげてるよ」


兎の子供がもう一匹生まれるところに差し掛かると、それまで静かに話を聞いていた女の子が、とつぜん立ち上がって、こう言いました。


「わたし、弟の顔を見にいかなきゃ」


あくる朝、女の子はいつものようで、いつもとはすこし違う様子で食卓に着きました。

スープには女の子のきらいな赤い野菜が入っていましたが、女の子はすました顔でペロリと食べてしまいました。

アレクサンドロはおどろきました。


「もう、泣かなくなったね」


女の子は得意げに胸をはりました。


「そうよ、わたし、しっかりしたお姉ちゃんになるんだから」


そうして朝食をしっかり食べて、女の子は出かける準備を終えました。

軽い足取りで廊下を、庭を過ぎて行く女の子をアレクサンドロは追いかけました。

とうとう女の子は門の外に出て、真っ白い世界に足を踏み出します。

晴れやかな顔の彼女は、アレクサンドロやお城に向かって手を大きく振り、歩き出しました。

雪道に点々とついた小さな足あとは、遠く、はるか遠くのほうにつづいて、消えるように見えなくなりました。





しわくちゃの顔の老人は、やはりしわしわの手をしていて、泣いた女の子をなだめている時などはさらにしわをよせて笑顔を作ってしました。


遊び相手がおらず、さみしくなって老人をたずねたアレクサンドロを、しわくちゃの手はあたたかく迎えました。

細い、老いた手でアレクサンドロの髪を撫でて、老人はほほえみました。


「やあ、わたしにも、きみのような孫がいた気がするよ。娘が産んだ孫でね、かわいくてしょうがなかったよ。わたしの孫がまただれかと結ばれて孫の顔を見るように、そうやって綿々と続いていくことを想像すると……とても満たされた気分になったものだ」


そして、「ああそうだ」と老人はしわくちゃの顔を門の向こうに向けました。


「あいつの墓のところへ行かないとなあ。ずうっと昔に、約束をしたんだった」


ふと思い出したようにほてほてと歩いて行き、老人はそれきり戻りませんでした。

アレクサンドロはまた、置いてけぼりになったのです。




夜、氷のテーブルに着いたアレクサンドロは、一人分の食事しか用意されていないことに気づきました。

今夜はひとりなのだろうか、アレクサンドロは子供を連れた女神の座る席を見やりました。

すると、どこからか霧が集まるように、ダイヤモンドダストが混じった白い靄がその席に渦巻きました。

静かな渦が晴れると、そこには冬の女王が座ってしました。


「この冬に留まった魂は、とうとうあなただけになりましたね」


水晶のような声で、冬の女王は言いました。

白魚のような手は膝にあり、雪のような胸にはだれもいませんでした。


「……どこへいってしまったのですか?」


アレクサンドロはたずねました。


「あの子は、家へ帰りました。それがあの子の願いだったのです」


それを聞いて、アレクサンドロは肩を落としました。


「先をこされてばかりですね……ぼくの願いとは、いったい何なのでしょうか。女王さまは、ご存知ですか?」


アレクサンドロは問いかけましたが、その問いには冬の女王は黙ってほほえむだけでした。

代わりのように、冬の女王はこう言いました。


「アレクサンドロ、わたくしは人の祈りが好きなのです。何よりも純粋な願いは、わたくしには星のように輝いて見える。ですから……」


冬の女王は祈るように胸の前で手を組んで、目を閉じました。

まぶたに映る星を見るように。


「星のようにかがやく願いがわたくしの元に届くたび、わたくしはひと冬だけその魂を氷の城にとどめておくことにしているのです」





ぼくの家のテーブルには、だれがいたのだろう? 冬の女王の去った食卓で、アレクサンドロは思いました。

だれもいない食卓なんて、初めてのような気がします。

きっとだれかと一緒に食事をしていたのでしょう。

家族だろうか、とアレクサンドロは思いました。

ふしぎなことに、何も思い出せないにも関わらず、アレクサンドロは家族というものを思うと、あたたかいものを感じました。

そして、だれもいなくなった空間がたまらなくなって、食事の途中で席を立ってしまいました。


泣き虫な女の子と遊びまわった庭をひとりで走り、走り、走り。

透明な木々の合間を走り抜けようとして、アレクサンドロは木の根につまずいて転んでしまいました。

雪のせいか怪我をしなかったアレクサンドロは、泣きそうになりながら顔を上げて、はっと目を見張りました。


木の根元には、花が一輪、つぼみを開かせようとしていました。


アレクサンドロは、雪に埋れた花を見つけました。

そして自分の願いを見つけたのです。





長い……長い幸福の時を生きたと、アレクサンドロは思いました。

十余年の生は、それだけしか生きていない彼にとっては十分長い道のりでした。

人々との想いが詰まった道を追想して、アレクサンドロはたったひとつ、小さな思い出を拾い上げました。

ひとつのささやかな、そして幸福な願い事でした。


その願いを叶えるために、アレクサンドロは氷の城に別れを告げました。

お城の外に出ると、外はまだ雪におおわれたままでしたが、川のせせらぎがかすかに聞こえました。

雪解けが始まっているのです。

もうすぐそこに春が来ているのを、アレクサンドロは感じました。





ある朝、フローリアという女の子が目を覚ますと、小さな白い花が、枕元で朝日を受けて咲いていました。

真っ白な花を拾い上げて、フローリアは涙をこぼしました。

この見たこともない一輪の花が、冬に約束した春告草だと、彼女にはわかったのです。


「ありがとう……おやすみなさい、アレクサンドロ……」


フローリアはそっと、春告草を抱きしめました。

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