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虹色幻想

茜(虹色幻想5)

作者: 東亭和子

 その娘は全身に赤い刺青をしていた。体を覆った布から見える腕や足は、不思議な文様で満たされていた。その文様は、首からあごにかけてまるで蔦のように描かれている。

 彼女は巫女だ。漆黒の闇の中、左右に大きな篝火を焚き、巫女は村人の前で跪いた。そして神託を告げる。それは絶対で、逆らうことは許されない。

「近いうちに災いが起こる」

 巫女はそう告げた。村人がざわめく。巫女の後ろから村長が出てきて、皆を黙らせた。

「明日、また神託を行う」

 人々はその言葉を聞き立ち上がり、めいめい家へ帰って行った。

すぐる

 村長が一人の青年に声をかけた。青年は村長に呼ばれて振り向く。端正な顔をした青年は村長の一人息子だった。

「こっちへ来なさい」

 村長は巫女が入っていった小屋へ優を招いた。小屋の中は簡素で、正面に鏡を祭った台があるだけだった。この小屋は神託を下すときにのみ使用した。巫女は鏡の前に跪いていた。村長は巫女に背を向けるようにして、小屋の中央に座った。優は村長に向かい合って座った。

「近いうちに粛清を行う」

 優は黙ったまま頷いた。粛清、それはこの村の裏切り者を処分することだった。

 優はやがてこの村を継ぐ。そのために成人してからは父の手伝いをしていた。すなわち、粛清を父と共に行っていた。巫女が未来を予言する。その未来がこの村にとって災いならば、早めに対処をするのだ。

 村長は優に凶器となる弓を渡した。これで家に火を放つのだ、と。

「巫女は神託する。裏切り者の家に火が放たれると。お前はそれを実行するのだ」

 裏切り者は隣村の村長と通じているという。隣村が攻めてくる前に行わなければならない。優は弓を握り締めた。厳しい顔をして村長を見る。

「裏切り者の名は?」

「有馬だ」

 有馬の名前を聞いて巫女の肩がビクッと動いた。優は視界の片隅でその様子を捉えた。

「有馬ですか、大事になりそうですね」

 優は目を細めた。有馬は村の有力者の息子だ。彼は優より三つ年上の二十一だった。大人しい性格で、有力者の息子であることを鼻にかけることはなかった。

「ああ、そうだな」

 村長は深いため息をついた。優は静かに立ち上がり、村長に頭を下げて小屋を出て行った。優が出て行くのを見てから、村長は後ろにいる巫女に言った。

「お前もしっかりやるのだぞ」

 巫女は震える声で答えた。

「はい、お館さま」

 背後で巫女が頭を下げた音が聞こえた。


 優は小屋を出た後、家には戻らずに河原へ向かった。今日は眠れそうもない。明日の粛清に少し緊張していた。それから巫女の様子が気になった。優は草原に寝転がり、星を眺めた。沢山の星がまぶしいぐらいに光っていた。少しして足音が聞こえた。優は起き上がらず、足音の主が来るのを待った。

「優様」

 優しい声が頭の上から聞こえた。優は顔を反らせて声の主を見た。

「どうした、茜?」

 茜と呼ばれた娘は、刺青の巫女だった。茜は小さい頃に村長に拾われた。その時にはもう、体中に刺青があった。その赤い刺青を見て、優が茜と名前を付けた。恐ろしがる村人から茜を守ったのは村長だった。村長は茜を保護し、育てた。茜には力があったのだ。未来を予言する力が。村長はその力を利用した。茜は育ててもらった恩返しに、その力を使った。使い続けた。

「優様。どうか、おやめ下さい。どうか…」

 茜は跪き、優に頼んだ。その頬には涙が流れていた。優は起き上がり、茜の涙を拭った。茜の涙は暖かかった。そして清らかだった。

「そんなに有馬が好きかい?」

 優は知っていた。茜が有馬を好きなことを。二人がいつ出逢って、想いを通じ合わせたのかは、知らないが。

「きっと何かの間違いです。有馬様がそんなことをするはずがありません」

 だからどうか、と茜は優を見て強く言った。

「占をしたのは茜だろう?間違いなどあるはずがない」

 茜の占は絶対だった。今まで外れたことがない。だからそれは出来ない、優はそう言うと立ち上がった。茜は優を見上げ、涙を流した。

 茜にも分かっていた。有馬が裏切ったのは真実だと。それでも間違いだと思いたかった。茜は有馬に焦がれていたから。優しい有馬に憧れていたから。

 有馬が悪い男なら、優は茜を渡すことはなかっただろう。有馬は賢い男だ。大人しいが村人に人気がある。優は唇を噛みしめ、うつむいた。辛かった。茜は有馬を選んだのだ。自分ではなく、有馬を。

「有馬が好きなら、言えばいい。この粛清を話せばいい。この村から逃げれば、見逃してやる」

 優はそう言うと河原を立ち去り、家へ帰って行った。

 茜は優の後姿を眺め、頬に流れる涙を拭い、立ち上がった。そうして暗い夜の川へと入っていった。冷たい川の水が茜の心を落ち着かせた。涙に濡れた顔を洗う。茜は震える手を握りしめた。

 もうすぐ有馬がここに来る。

 話すべきか、それとも。

 目を閉じて深呼吸をした。

 草を踏む音が聞こえた。

「茜?」

 有馬が呼んでいる。茜は静かに岸辺に向かった。水の音が夜の闇に響いた。


「裏切り者に、聖なる粛清がくだる。裏切り者の家は燃えるだろう」

 茜は昨日と同じ場所で、村人に告げた。真の暗闇の中、村人はざわめいた。そして、有馬の家から火の手が上がった。優が火を放ったのだ。その炎は踊るように有馬の家を燃やしていた。村人が燃えていく有馬の家を呆然と見つめている。

「聖なる炎が裏切り者を焼き尽くす」

 村長が静かに告げた。有馬はこの村を滅ぼそうとした、と村人に説明した。

 いつのまにか優が戻っていた。優は茜に告げた。

「粛清は終わった」

 優の目が茜を見ている。茜は目を合わせることが出来なかった。その場にいることすら出来ず、小屋へ戻っていった。鏡の前に座り込む。優を裏切った。心地悪さが茜を満たしていた。優は茜の姿が見えなくなると、自分も姿を消した。

 有馬の家からは三人の焼死体が発見された。有馬とその両親の死体だった。村長はその結果に満足した。これでしばらくは安心だ、と。

 粛清が終わった次の日、茜は小屋でお祈りをしていた。そして未来を見た。その出来事に唖然とし、恐怖した。

 降りしきる雨の中、優は横たわっていた。胸が切られ、血が流れていた。目は何も映さず、胸は動いていなかった。そして優を覗きこみ、微笑んでいる有馬の顔が見えた。

 これは近い内に起こる出来事だ。

「どうした?顔色が悪いな」

 小屋から家へと戻った茜を見て、村長は様子がおかしいことに気づいた。

「いいえ、何でもございません。少し風邪を引いたのでしょう」

「そうか」

 村長はそれ以上聞かなかった。村長に話すことは出来ない。裏切りを告げることが出来なかった。そして茜は気づいた。優の姿がないことに。

「優様は?」

「さあ、どこかふらついてるのであろう」

 雨が降ってきたな、村長が外を見ながらつぶやいた。

 雨?茜は外を見た。激しい雨が降っている。夕立だった。茜は館を飛び出した。後ろから村長の声が聞こえた。茜は無視して走った。優がいつもいる場所は河原だった。

 雨の中、遠くに有馬の姿が見えた。手には剣を持っていた。

「やめて!」

 叫んでも、雨の音で伝わらない。いつの間にか茜の目から涙があふれていた。

 やめて、優様を殺さないで。お願い、間に合って!

 有馬が剣を上に振り上げた。

「!」

 茜が優の前に立ちはだかった。鉄の刃が茜の胸を切り裂く。痛みに茜は崩れ落ちた。

「茜!?」

 有馬が驚いた顔をしていた。胸を切られた茜が横たわっている。優は茜を抱えた。出血が止まらない。優の手が血に染まったが、雨がすぐに流してしまった。茜が優を見上げて微笑んだ。

「よかった…」

 茜の手が優の頬を触った。よかった、ともう一度つぶやくと、茜の手から力が抜けた。

「茜!」

 冷たい雨が茜の血を流していった。


 泣き声が聞こえた。誰が泣いているの?

 小さな自分が見えた。茜は小さな自分の前に座った。

「どうしたの?」

 小さな自分は顔を上げて、泣き腫らした目で言った。

「寂しいの。母様も父様もどこにもいないの」

 そうしてまた泣き出した。

「茜」

 遠くから名前を呼ばれた。小さな自分が顔を上げ、声のした方へ走っていく。

「茜、こっちだよ」

 小さい優が手招きをしていた。そして近寄った小さい茜を抱きしめる。

「大丈夫だよ。俺が傍にいるから、大丈夫だよ」

 そうして二人は手を繋ぎ、消えていった。


 ああ、そうだ。私を拾ってくれたのは、見つけてくれたのは優様だった。不安で泣いていた夜、一緒に寝てくれた。傍にいてくれた。どうして忘れていたのだろう?ずっと傍にいてくれたのに。

 茜の頬に涙が流れた。

「茜?」

 目を開けると優の顔が見えた。体が動かない。

「動いてはいけないよ。酷い傷なのだから」

「ごめんなさい、優様」

 茜の涙を優は拭った。

「謝るのは俺だよ。かばってくれてありがとう」

 茜は首を横に振った。優は悲しそうな顔をした。

「すまない、有馬を殺した」

 有馬、今その名前を聞いても茜の心は騒がなかった。不思議だ、あんなに焦がれていたのに。いや、焦がれていると思っていたのかもしれない。

「いいんです」

 茜は静かに言った。

「有馬様は私を信じていませんでした。私の力は嘘だと思っていました」

 茜は有馬には告げなかった。本当に力があると。

 あの日、茜は有馬に告げた。優が粛清を下すことを。そして有馬に逃げるようにと言った。

 有馬は逃げた。茜を置いて。一緒に逃げようとも言ってくれなかった。

 その時、茜は気づいた。有馬は茜を利用しただけなのだと。今まで優しかったのは、そのためなのだと。

 大人しい性格の裏には、激しい野心が隠れていたのだ。茜はそれが見抜けなかったのだ。

 バカだった。

 優が死ぬ未来を予知した時、茜は動揺した。優のことしか考えられなかった。

 きっとそれが真実。

 茜は微笑んだ。

「ずっと、お傍でお守りします」

 大好きだから。

 茜は優の手を握った。小さい頃のように。優の手は大きくて、暖かかった。安心した。

「早く元気になれよ」

 優は茜の手を強く握り返し、静かにつぶやいた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公たちが生き生きと描かれていて、最後までどきどきしながら読み進めることができました。
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