4話
あいつが・・・・私の兄、信也がうちに来たのは、今からだいたい十年前の日のことだった。
よく晴れてたのを覚えてる。
その日、父は信也を連れて家に帰ってきた。
父は医師をやっていて、収入もあった。私と母に自分、それにもう一人子供が加わったくらいで、経済的には何ら問題なかった。
私の家は、そういう家だった。
玄関にやって来たのは、私と同い年ぐらいの男の子だった。
「美香、この子が今日からお前のお兄ちゃんになる子だ。仲良くするんだぞ」
新しく家族が増えるというのは、あらかじめ父と母から説明を受けていたので、とくには抵抗を感じることはなかった。
私はうなずいて、父が言う『お兄ちゃん』を見た。
第一印象。
正直言って、怖かった。
ボサボサの髪に、着古してよれよれになっているTシャツ。土で汚れたベージュの短パンから見える細い足と、肩から伸びたひょろ長い手にはいくつもの痣があった。
ぼろぼろのビーサンを履き、まるでどこかの遠く離れた戦地からやってきた少年兵のようだ。
一番怖かったのは、目だ。
同じ年とは思えないほどに憎悪が溢れた、汚泥のように淀んだ茶色の眼をしている。
その目は、地べたを見たまま動かなかった。
「ほら信也、お前の妹になる美香だ。挨拶してやってくれ」
父に挨拶を促されても、信也は動かなかった。
「・・・・信也」
父は少し険しい顔をして言う。
「・・・・・・・・・・・・よろしく、お願い、します」
信也は口をもごもごと動かして、まるで興味のない、といった風に喋った。
「・・・・よろ、しく」
「・・・・・・」
一応挨拶は返しても、反応は無かった。
うつむいた顔は影になっていて見えない。日差しが強くて、陰が濃い。
父は、ぱんっ、と手を叩いた。
乾いた音が鳴る。
男の人の、大きな手でしか出ない音だ。
「よし、じゃあ中に入ろう。お互いのあいさつも済んだんだし、とりあえずはお昼にしようね」
父は、笑顔になって、信也を家に上がらせた。
後ろから歩いてくる信也に、
「君は、これから家族になるんだ。そして僕はお前の父親だ。なんだって言っていいんだぞ?」
と言った。
「・・・・・・」
信也からの返事はなかった。
私とあいつは、促されるまま、会話もないまま、リビングへと向かう。
これが、私とあいつの出会い。
■ ■ ■ ■ ■
「一体どういうことなのよ・・・」
目が覚めたら、またベッドの上だった。
しかも前と同じベッド。
横から美香ちゃんの声がして顔を向けると、額に手を当ててため息をつく美香ちゃんの姿。ベッドの横に置いた椅子に座っているみたいだ。
「だから、これが君たちの能力なんだってば。何回言えばわかるのさ・・・」
右側からランドの声がする。ランドの方を見ると、モスグリーンの瞳と目が合った。
「あ、起きたみたいだよ」
「おはよう信也」
「あぁ・・・おはよう・・・」
のそのそと体を起こし、あたりを見回す。
初めに起きた部屋と同じ部屋だ。
「おはよう、キクモトシンヤ。大丈夫? 自分が誰だかわかる?」
「・・わかるよ。そのくらい」
「ちょっと説明してみてよ」
「菊本信也。17歳で、同い年の妹がいる。すごいかわいい妹がいる。あと、すごくかわいい妹がいる」
「うん、大丈夫みたいだね」
「頭はもうダメね」
美香ちゃんがなぜか、冷たい目でこちらを見てくる。ぞくぞくするね。
「――――――うあっ!?」
突然、頭に鋭い痛みが走った。思わずこめかみを手で抑える。
「し、信也!? 大丈夫?」
美香ちゃんが、ベッドに身を乗り出す。
別に何でもないといった風にランドが言った。
「ああ、まだちょっとダメージが残ってるみたいだねぇ。ま、そのうち慣れるさ」
「ちょっとランド!」
「そんな怖い顔するなよ、キクモトミカ。せっかくボクが作った顔が台無しだぜ?」
美香ちゃんはランドをにらみつけ、ランドはニヤッと笑って受け流す。
痛みはすぐに引いた。
「とりあえず休んでてよ。少ししたらまた来るから」
ランドはニコッと笑って椅子から飛び降り、ドアを開けて部屋を後にした。
部屋には僕と美香ちゃんの二人だけ。ベッドに座った僕と、その横に座る美香ちゃんが残される。
唐突に、ふと、映像がフラッシュバックした。
怖いくらい鮮明に、脳裏に映し出される。
落ちる僕。
落ちる美香ちゃんの姿。
笑うランドの声。
首の折れた美香ちゃんの表情。
無表情。
流れる血。
とてつもない衝撃。
背骨の折れる音。
暗転する視界。
「・・・・・うっ・・・」
気持ちが悪くなる。胃の中で何かが暴れまわるような、激しい嘔吐感。胃液が逆流しそうになる。こらえる。万が一に備え、口を手で押さえる。
何なんだ、この映像は。
この幻は。
美香ちゃんの首は、繋がっているじゃないか。
あんな風に、骨は出ていないだろう。
「信也・・・・」
「・・・・大丈夫。大丈夫」
美香ちゃんに応える。
自分に言い聞かせる意味も兼ねて、繰り返し言う。
美香ちゃんは生きてる。
生きてる。
死んでない。ちゃんと生きてる。
目の前にいる。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
「信也、あのね。落ち着いて聞いてね」
「・・・・うん」
「私もさっき説明を受けて、正直混乱してて、何言ってるか全然わかんないかもしれないけど、ちゃんと聞いてね」
「・・・・うん」
美香ちゃんは、何度か深呼吸を繰り返した。
呼吸の音だけが、室内を満たす。
かすかに聞こえる、風で木の葉が揺れる音。
「・・・・ランドから説明されたことは、おぼえてる?」
「・・おぼえてるよ」
魔法使いの手駒がどうのこうの、っていう話のことだろう。
僕らは、敵を殲滅しなくちゃならない。敵の手駒を全員殺すのが仕事。
人を殺すのだ。
僕らが、この手で。
殺さないと、ランドに殺される。
「あの時ランド、私たちに『一つだけ『能力』をつけていいことになった』って言ってたでしょ」
「うん」
「それでね、その『能力』なんだけど」
美香ちゃんは、ネグリジェの裾を強く握りしめ、沈痛な面持ちで告げた。
「【不死】って言うらしいの」
■ ■ ■ ■ ■
窓から入る日差しがオレンジ色に染まり、日が暮れたことを告げた。
戻ってきたランドに連れられてリビングに行く。部屋全体が明るい色合いでやさしい感じのする部屋で、初めて入る部屋だった。
夕食。
献立は、木の器に入った牛肉のシチューとライ麦パンだった。ライ麦パンなんて食べたことがなかったが、素朴な味わいで意外とおいしい。これをシチューに浸して食べるとさらにおいしくなって、ぱくぱくと食事が進んだ。
ランドが作ったらしい。料理は得意なんだそうだ。
久しぶりにテレビをつけないで食べる夕食は、どこか懐かしく、どこか寂しくもあった。
美香ちゃんも、少しずつだが食べ進めている。美香ちゃんは基本的にパン好きなので、ライ麦パンは口に合うようだ。僕もおいしいと思ったが、さらにおいしくなったように感じる。
しばらくみんな無言で食べ進めていると、ランドが話を切り出した。
「二人とも、シチューは美味しいかい?」
「・・・・・」
「・・・・・・・う、うん」
何も言わない美香ちゃんの代わりに応える。
「そうかい、よかったよかった。僕の得意料理なんだよ、シチューは」
「へぇ・・・」
「それにしても、一人じゃない食事はいいもんだね。いつもよりおいしく感じる」
「・・・・・・」
またしても沈黙が訪れた。
■ ■ ■ ■ ■
しばらくして、三人ともほぼ同時に食べ終わった。
「キクモトシンヤ」
食器を片づけていたランドが、顔を上げて僕を呼んだ。
天井に付いたシミをぼーっと眺めていた僕は、ランドのほうに首をやる。
「・・・なに?」
「キクモトミカから話は聞いたかい?」
「・・聞いたよ」
全部説明してくれた。
ランドが美香ちゃんに話した内容は、おそらく全て。
能力の話も。
「どう思った?」
ランドは、小さく首をかしげて言った。
ひどくおかしそうに、笑いながら。
「・・・・・・ほんとに、あんた」
狂ってるよ。
言いかけて、飲み込む。
「・・・いい人だよ。超善人」
「アッハハハ、それ、よく言われるんだよねぇ」
笑い声をあげ、作業に戻るランド。
口元の笑みは、剥がさないままで。
「ねえ、信也」
隣に座った美香ちゃんが、僕に声をかけた。顔はこちらに向けず、うつむいたまま。
「ん? どうしたの?」
笑顔で応じる僕。
美香ちゃんは、怯えるような口調で言った。
「・・・・信也は、怖くないの?」
「怖いよ」
怖い。怖いに決まってる。
できることなら、全部ほっぽって逃げ出したいぐらいに。小心者なのだ、僕は。
だけど。
「君がいるから、頑張れるんだ」
「・・・・・そう」
君がいるから、生きていられる。
君のおかげで、息ができる。
心臓が動く。
この恩は、たとえ一生かかっても返せないものだ。
「やあやあお二人さん、終わったよ」
ランドが皿洗いを終え、テーブルに戻ってくる。
向かい側の椅子に座ったランドに、質問した。
「なあ、ランド」
「どうしたの?」
「最初の敵はどこ?」
ランドは一瞬驚いたように目を開き、その直後、やっぱりな、という風に笑った。
「やる気になったんだね?」
「まあ、仕方なく」
「そうかい。いやあ、本当に申し訳ないと思ってるんだよ、ボクだって。申し訳ない気持ちでいっぱいだよ」
「嘘つけ」
こいつはうそつきだ。どうしようもないくらいの。
それにはもう気付いた。
「それにしても、本当にいいのかい? そりゃあやってくれた方がうれしいけれど」
「もう決めたんだ」
僕の中でこれは、決定事項なんだ。
「いいよ、なってあげる。君の手駒に」