11話
菊本美香。
僕の、たった一人の大切な人。
それ以外の人間は要らない。
ずっとそうだ。
■ ■ ■ ■ ■
起き抜けに殴られた。
眩しい朝日が東の空を茜に染め、新しい1日がやって来ることを告げる。ゴルドの街を出た僕らは馬車に揺られ、次の街へと着々と進んでいた。
その中継地点である街道沿いの森。開けた場所でテントを張り、交代交代に見張りをして夜を明かす。
僕が殴られたのは、夜が明けて間もない頃。起き抜けに殴られた、というか、殴られて起きた、のほうが正しい。
「で、弁明は?」
土の上に正座した僕の前、キッと睨みを効かせて腰に手をあてた金髪蒼目の美少女、菊本美香。そもそも『美少女』という単語自体が指し示すのが全世界で美香ちゃんだけなので、彼女の名前を説明文尾に付ける必要性など皆無なのだけれど、一応付けておく。
・・・・・・それはそうと、最近正座ばっかしてる気がする。
どうでもいいけど。
「弁明って、何の?」
「嘘つかないでね伸也」
「え、いやだから、一体何に対する弁明が欲しいの、美香ちゃんは」
皆目検討がつかない。
……わけではない。心当たりはある。それはもうたくさん、山のように。
しかしここで「はいありますごめんなさい」と平伏して罪を懺悔すれば、美香ちゃんの知らなかった事まで話してしまいかねない。そうなったらもはや、何回死ぬとかそういうレベルじゃなくなってくる。
下手したら、絶交、絶縁、離別。
そんなの死ぬよりもっとつらい。
死ぬほどつらい。
「あんた、私の下着盗んだでしょ」
「やってないよ」
キッパリ言った。言い放った。下手したら、僕を糾弾する美香ちゃんよりも強く。
「本当にやっていない」
「・・・・・・」
「嘘だったら君を嫌いになる」
「意味がわからないんだけど」
美香ちゃんは不思議そうな顔をして言った。
「それが信也にとってどんなペナルティになるの」
「君を嫌いになったらその時点で、僕のアイデンティティーはほぼほぼゼロになったと言って良いよ」
「別に困らないでしょ。ペナルティになってない」
「キャラがなくなったらただのモブだよ」
「今と何ら変わらないじゃないの」
なんかすごい辛辣だ。キッツイ。下着がなくなって気が立ってるんだろうか。
今日の美香ちゃんの服装は、白いシャツに淡いピンクのカーディガンを羽織り、膝下のロングスカートと旅用のブーツを履いていた。少女趣味全開の服装にゴツいブーツが完全に浮いていたが、僕としては全然アリ、むしろアンバランスな感じがかわいく思った。
そこまで計算されたコーディネートだとすれば、お洒落ってすごい。僕なんてゴルドで買った、同じような服の着まわしなのに。
「何見てんのよ」
服装をじろじろ見てたのがばれたらしく、いっそう顔を険しくした美香ちゃんがずいっと身を乗り出してきた。威圧されて思わずたじろぐ。
「い、いや、美香ちゃんの服かわいいなーって」
「今それどころじゃない……」
はーっ、とため息をつき、
「ともかく、信也がそこまで言うなら、信用する」
「わーい」
「12%くらい」
少ねえ。
「そんなに大事な服だったの?」
「……お気に入りの下着だった」
敢えて下着を服と呼んだ気遣いを土足で踏んづけた美香ちゃんのその台詞は、なんいうか、可愛かった。
美香ちゃんもちゃんと、女の子女の子してる。お兄ちゃん安心。
しかし、となると盗んだ犯人は。
「ごめん美香ちゃん、ちょっと神崎定識何回か殺してくる」
「待て」ゴスッ
「はぐっ」
鳩尾に鋭い蹴りが入り、おもわず立ち上がっていた身体がガクッと膝をつく。
「何故止める、美香ちゃんよ・・・・・・」
「信也は少し早計よ」
「先手必勝」
「バカ。一旦一緒に考えてよ」
暴力を振るった直後に命令するとはなかなかにハイセンス。まあいいけど。
しかし、この世界の女子の下着事情って、細かいところどうなっているんだろうか。男のは前とあまり変わらず、パンツは紐で締めるトランクスタイプ、シャツはほとんど前の世界と同じデザインだ。
たとえ気になっても、流石に下着のことなんて聞くのは憚られる。
「ねえ美香ちゃん」
黙考する美香ちゃんに声を掛ける。
「何?」
「この世界の女子の下着事情ってどうなってんの?」
憚られるけど気になるからやる。それが僕。
聞かれた美香ちゃんは案の定、少し顔を赤くして恥ずかしそうに答えた。
「……あんまり、前とは変わらないわ。どっちも」
「そうなんだ。ありがとう」
感謝は伝えてこその感謝。ありがとうはきちんと言おう。可愛い顔を見せてくれことに対して特に。
うーむ、どうだろう。
「紫苑さんのに混ざってるとかは? 可能性として一番ありそうだけど」
「確かめてみたけどそれはなかったわ」
「確かめたっていつ?」
「さっき信也殴りに行く前に」
「あれ、紫苑さんもう起きてるの?」
「一緒に起きたの」
仲良きことは美しきかな。
紫苑さんとも仲良くできてるのか。
「どうして敬語なんだろうね、あの子。確か前は、もうちょっとハキハキした感じだったのに」
あまり話したことは無かったけど、美香ちゃんからの情報では紫苑さんは、どちらかというと快活な感じの女の子だったはずだ。
「話してなかったっけ」
「何が」
美香ちゃんは少しためらいを見せた後、口を開いた。
「忘れてるんだって、昔のこと」
表情は作らずに、淡々と。
「…………え」
「全部全部、忘れてて、それで」
「身体以外全部、作り物なんだって」