10話
取引、しないか?
僕と美香ちゃんは、能力によっていくら殺しても殺せない。かといってお前のように強いわけじゃないから、人なんて殺せるはずない。
このまま一方的な蹂躙が続いてもどっちの得にもならない。むしろ損ばかりだ。僕は痛いし、お前も疲れてる。……いろんな意味で。
だから、取引だ。
一緒にやりたいことがある。
神崎みたいに強い奴ならきっとできることだけど、弱い僕らにはできないことだ。
その内容については、美香ちゃんも揃ってから話すとして……。
どうだろう?
ひとまず、休戦と行かない?
■ ■ ■ ■ ■
「で、あの人に背負われて、一緒にジャンプしてきたわけね」
「そう。そういうこと」
あらかたの説明を終えて、ベッドにばふっと身体を投げ出す。
僕らは再び、濡れガラスのヤドリギの一室に戻っていた。
美香ちゃんに僕、神崎に紫苑さんの四人は、あのあと一旦それぞれの宿に帰って僕の『取引』について話し合うことになった。詳しい事情を話すのはそのあとだ。
僕と神崎はともかく、美香ちゃんと紫苑さんには、積もる話もあるだろうし。
「美香ちゃんの方はどうだった? なにかされなかった?」
「さっき話した通りよ。なんか連れてかれて、転がされて、縛られた。それからちょっと話してたら、あんたらが来た」
なされるがままに……。
「どんなこと話したの?」
「別に。……ねえ、信也。紫苑、ちょっと変じゃなかった?」
美香ちゃんは腕を組んで顎に手をやり、まるで探偵か何かのように言った。
紫苑さんが、変? うーん……、よくわからないけれど……。
あ。
「そういえば、来てるマントがやけに長かった。あの身長には長すぎるよね、あれ」
下手したら引きずるくらいの長さだったからな、あれ。
自分で買ったなら、もう少しサイズの合ったものを着るだろう。ということは、誰かからもらったものか。誰か……。神崎? または……。
「……あのマント、魔法使いからもらったんじゃないかな?」
「変な推理しないの。私が言ってるのはそういうことじゃなくて」
はぁとため息をついた美香ちゃんが、心配そうに窓の外を見やる。
あの目は、紫苑さんのことを思っているのだろう。
美香ちゃんの親友。僕もまあ、何回か面識はある。うっすらとしか覚えてないけど。
「紫苑、なんか、変だった。今までの紫苑じゃない感じだった」
「具体的には、どこらへんが?」
「口調とか、表情とか、ふるまいとか」
「……ふぅん」
そうか。よく見てるんだ。そりゃそうだ、親友なんだから。変わったことがあったら普通は気付く。
親友なんだから。
「でもさ、美香ちゃん」
「ん?」
「また会えて良かったね、紫苑さん」
「……」
僕の言葉に美香ちゃんは真剣だった表情をほどき、一瞬驚いた顔になってからそっぽを向いた。……どうしたのだろう。照れたのかな。
「ねえ、信也……いえ、兄さん(・・・)」
「……」
あぁ、と。
僕は忘れていた。完全に忘れていた。きれいさっぱり忘れていた。
美香ちゃんからあの子を奪ったのは、僕だった。あの時の美香ちゃんは、本当に辛そうにしていたのだ。親友を失ったのが辛かったのだろう。その親友がいなくなったのは、僕のせいなのだ。
本来、兄は妹から『お兄ちゃん』やそれに類する単語で呼ばれると大いに喜ぶはずなのだけれど、僕らの間での『兄さん』は、また違う意味を持つものになっている。
蔑称とか、そういう感じの。
僕らがまだ、『兄と妹』だった時の呼び方。今でも僕は兄妹のつもりだけど、美香ちゃんとしては僕は『他人』らしい。最近は埋まってきたと感じた溝も、まだまだ深かったようだ。
だから僕も、あの頃の呼び方で答える。
「なんだい、美香」
「大嫌い」
「僕は君が大好きだよ」
美香は振り向き、僕の方を見た。キッと眉を吊り上げ、憎悪にまみれた瞳で僕のことを捉える。
怒っている美香もやっぱり可愛かった。
数秒睨まれ、ふっと視線が外される。ビンタかな、と身構えたけど、幸い平手が飛んでくることはなかった。美香の手が痛まずに済んで何よりである。
別に僕の頬が痛まなかったのは、どうだっていいことなのだ。
美香はカバンを肩にかけ、ドアの方に向かう。
「……そろそろ約束の時間よ、信也」
ドアノブに手をかけてこちらを見る美香の顔には、いつも通りの無表情が貼ってあった。
そう、いつも通りの。
だから僕もそれに応えるように口角を引き上げ、明るい声で言う。
「じゃあ行こうか、美香ちゃん」
■ ■ ■ ■ ■
「おーい」
先に来て待っていたらしい神崎と紫苑ちゃんに手を振る。神崎はこちらを一瞥しただけで何も言わず、紫苑さんはそもそも呼ばれたことにすら気づいていない模様。ぼ~っと虚空を見つめている。
時刻はちょうどお昼時。
僕らは話し合いもかねて、近くの酒場で一緒に食事をすることになった。待ち合わせはその酒場の前。どうやら神崎たちの方が早かったらしい。
近くまで行って神崎にねぎらいの言葉をかける。
「お待たせ」
「……まさか来るとはな」
「だってお昼ごはんだし」
「……ちっ」
舌打ちされた。
「じゃあ、入ろうか。ね、美香ちゃん」
「ええ」
後ろの美香ちゃんに言って、酒場に足を踏み込む。
■ ■ ■ ■ ■
話し合いは円滑に進んだ。主に話し合うのは美香ちゃんと神崎で、僕と紫苑さんは蚊帳の外状態。神崎をからかったり料理を食べることしかできない。
苦ではなかった。
約一時間ほどで終わった話し合いの結果、僕らは一緒に行動することになった。
少なくとも僕が提案した『取引』の内容が終わるまでの間は、一緒に。
他の魔法使いの手駒がやってくるかもしれないため、午後にはこの町を出発する流れとなった。僕らも神崎たちも、移動しやすいように荷物だけは少ないのだ。
「とりあえず、次は南に進む」
食事が終わり酒場から出たとき、神崎がそう言った。
「なんで?」
「そっちの方で、でかい事件があったらしい」
「良く知ってるね」
「酒場で言ってるやつ居たろ」
「聞いてなかった」
「カスが」
「文房具に罵倒された!」
「死んどけ」
「けんかするな信也」
「兄さんうるさいです」
「「すみません」」
兄が妹に頭が上がらないのは世界共通かもしれない。
そんなこんなしながら、宿に到着。店主にいなくなることを告げ、店を出る。
再び神崎たちと合流し、街の南門まで移動する。途中ふと、あのジャンプで連れてってくれれば早いのにと言ったら、今日はもう使えないらしい。一日一回限定で超人的な力が使える能力らしい。
案外不便だな。
思い出深……くもない街を抜け、南門の前に立つ。兵士の人に外に出ることを告げると、軽い身体検査ののち、やっと石門を通してくれた。
この仰々しい門とも、これでお別れ。
南に向かう馬車に乗せてもらうことになった。乗車料の交渉は美香ちゃんがやってくれた。金額は決まったけど……。
「大分ぼられてない?」
「……そんなこと、ないわよ」
「えぇーー……」
馬車に揺られ、街を抜ける。
吹く風は、僕らをどこに連れて行くのか。
ともかく、初めての馬車での旅が始まった。