9話
神崎は強かった。とにかく強かった。
まず、さっきからパンチが重い。一撃喰らうごとに身体が粉々になるので、そのたびに意識が飛ぶ。
覚醒しても、また次の一撃。まったくもって隙が無い。神崎に対抗しうるほどの力はないけど、このままじゃひたすら殺され続けるだけ。美香ちゃんの安否を確かめることもできない。
「おい、神崎っ」
「……」
「おいっ!! っ」パンチが入る。
腹にめり込みながら内臓を潰し、背骨もへし折って貫通。当然死ぬ。
少しおいて目が覚め、再び神崎との会話を図る。
「神崎!」髪の毛を掴まれ首筋に回し蹴り。
無残にも倒れ行く首なしの自分が視界に映った。斬新だなと感じて死んだ。
覚醒後、リセットされた身体を走らせ、神崎から逃げる。地面を蹴って前へ跳躍。しかし直後背中に蹴りの一撃を受け、上半身と下半身が見事に分離。内臓を辺りにばらまきながら意識が遠のくのを感じ、とどめに頭から自慢に落ち、頸椎らへんから変な音がして死亡。
覚醒して再度走る。ただまっすぐに走る。
走って走って走って、ただ一心に走り続けて、気付く。
神崎の攻撃が止まった。
走りつつ後ろを振り返ると、遠くの方で神崎らしき人物がうずくまっているのが見える。
「……?」
気になったので、足を止めて観察してみる。
……どうしたのか、全く動く気配がない。
少し近づいてみる。距離が10メートルぐらいになるまで忍び寄ってみると、小刻みに震えているように見えた。両手で頭を押さえ込んで、なにやらボソボソ喋っている。
「…………い。人間じゃない。人間じゃない。人間じゃ………」
延々と呟いていた。まるで、自分に言い聞かせるように。
…………
「……おーい」
呼びかけてみても反応は無く、ひたすら呟いている。こちらの存在にも気付いていないらしい。
……どういうことだろう。
震えている、ということは、何かに怯えている? でも何に?
人間じゃないって何のことだ?
そういえばさっき、こいつなんか言ってたような……
「あ」
わかった。なるほどそういうことか。
怖いんだ、人を殺すのが。
だからなんか、カテゴリーがどうたらとか言ってたのか。僕を人じゃないと自分に思い込ませてから攻撃する。自己暗示ってやつだ。
……いやでもその前に何回か僕のこと殺してなかったか? わからん。
まあなんにせよ、敵が動いてない、もしくは動けない今の状況は、僕にとって大変有利な状態だ。
さて、ここで二つの選択肢が生まれる。
一つは、このままこいつを放置して逃げる。
もう一つは、動かないうちに殺しておく。
安全なのは前者。このまま逃げれば、おそらく町の中まで行ける。そのまま美香ちゃんと合流、逃走の流れ。でも、いつかは追いつかれる。そしてまた狙われる。
安心なのは後者。一回殺せばもう追いかけられることもないだろう。つまりこれ以上殺される心配もないわけで、痛い思いをしなくて済むのは万々歳だ。ただしこいつに仲間がいた場合、そいつから恨みを買って厄介なことになるかもしれない。
……さて、どうするか。
僕はなるべく静かに歩を進め、神崎の背後に陣取った。肩のカバンからナイフを取り出し、それを持って。
「おい、神崎」
神崎が僕の呼びかけに振り返ると同時、ひざを折って神崎の首に刃を押し当てる。途端神崎に力が入り暴れようとするが、少し肉を切るとおとなしくなった。
完全にこちらが有利。もはや神崎の命は僕の手にかかっている。
「神崎、聞いてくれ」
「……っ」
僕は少しナイフを神崎の首に食い込ませながら、できるだけ人当たりのいい笑顔で言った。
「取引、しないか?」
■ ■ ■ ■ ■
■ ■ ■ ■ ■
「先輩すみません、いきなり連れてきて」
「……いや、その、なんで、生きてるの紫苑。あなたは……」
「それは兄に聞いてください。私はまず、私の仕事をしなければならないので」
「は、はあ」
紫苑はローブの内側から束になったロープを取り出し、もたもたと手こずりながらも私の体を縛っていった。……不器用かよ。
胴と手首、足首も縛る。映画などでよく見る、人質の縛られ方と同じだ。
抵抗はしない。いや面倒くさいからとかでは決してない。ただ単に、なにもできることがなかったのだ。
相手はスキップするだけで街壁を飛び越えられる超人。私のような、ただ死なないことしか力のない女が太刀打ちできる相手では絶対に無い。
しばらく時間がたって、紫苑が低くしていた身を起こす。
「…………できました」
「……」
しっかり縛られてしまった。
「この後、どうするの?」
「待機です」
「は?」
「私の兄が来るまで待機です」
「……」
縛られて芋虫状態の私の横に、ちょこんと体育座りをする紫苑。何やら自慢げな表情。任務とやらを達成できたのかそんなにうれしいのだろうか。
改めて紫苑を見て、やっぱり混乱する。
紫苑は、死んだはずなのだ。二年も前に私の兄が、信也が殺した。なのになぜ、私の横で座っている? 息をしている?
この紫苑は、誰だ?
「先輩は、前の私をご存知ですか」
「………?」
「いえ、何でもありません」
紫苑が何やらおかしなことを聞く。
前の私?
「……ねえ、紫苑」
「はい、なんですか」
おかしい。
紫苑は私に敬語を使ったことはなかった。何しろ同級生で同い年なのだから当然のことだ。
しかしなぜ、この紫苑は敬語を使う?
「あなた、死んだわよね」
「はい、おそらく」
「……」
表情は変わらず、一貫して無表情。
紫苑はよく笑う女の子だった。活発に体を動かし、辺りに笑顔の花を咲かせる、クラス内ではいわばムードメーカ的役割を担っていた。
なのに、無表情。
「あなたは、誰?」
「……紫苑。神崎紫苑です」
ウソだ。
ウソなのだ。でなければ、何もつじつまが合わない。
死んだはずの人間が、なぜ何食わぬ顔で生者と会話できるのか。
魔法使いの魔法だとしても、二年も前の魂を拾うなんて、できることなのか。
私がそう聞こうと声を出すより早く、冷えた彼女の声が聞こえた。
「すみません、訂正させてください」
「……? 訂正?」
「私は、神崎紫苑だったはずの者です。おそらく」
「……それって、つまりどういう――――――――」
爆音。
そう形容するにふさわしいまでの音量の音が、私の耳に届く。それと同時に地面が揺れ、後方から強い風と共に砂煙が舞った。思わず身を固くし、衝撃に耐える。
少しして、砂まみれだった視界が晴れる。
すると、後ろから何やら声が聞こえた。
「―――――――っと優しく、丁寧に飛んでよ。ちょっと激しすぎじゃないの? 神崎」
「っるせ! 黙っておぶられときゃ良いんだよこのクソ菊野郎」
「人の名前で遊ぶのは感心しないなぁ。神崎、神崎…………定規?」
「……マジで殺してえ……」
「あっははー残念残念殺せませーんあははははは!」
「…………」ブチュッ
「痛い、ねえ神崎君、目を潰すのは良くない。痛いし、おまけに視界がなくなるから。ていうか攻撃すんのやめて」
「うるせえ死ね」
砂塵の中から現れたのは、はたして。
私の兄、信也と。
紫苑の兄、神崎であった。