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煉獄のバラッド -九曜伝-  作者: 宮崎
運命は夜明けを待つ
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#06 倉間家当主・倉間静流

 何十という畳が入れ替えられたばかりなのか、新鮮な藺草(いぐさ)の匂いがした。思い切り息を吸い込めば、清清しく癒される気分になれるだろう。


 結月は、そんな心地よい空間であるはずの座敷の中央に正座し、項垂れていた。

 庭の池にある立派な鹿威(ししおど)しの鳴る音を、座ってからもう何度聞いたことだろう。それは本来、結月の好きな音だった。ゆっくりと規則正しく鳴り響き、心を落ち着かせる。


 しかし、今日ばかりはその限りではなかった。結月を糾弾し、責め立てるように聞こえて、泣きたいような気分にさせる。


「……戦果は残した。ただ、及第点はあげられないね、結月」


 ようやくかけられた穏やかな一声は、広間によく通った。続いて、扇子を閉じる乾いた音が上座から響く。びくり、と身体を震わせ、結月は顔を上げた。


(――また、失望させたのかしら)


 顔を上げる前からわかっていたが、実際に目にすると心が痛い。結月の大好きな兄は、結月が思ったとおり、困ったように微笑んでいた。


 及第点はあげられない。昨夜の失態は、そんな一言だけでは済まされない。

 朝になって屋敷に戻ってから、それは現実味を帯びて結月の心を揺さぶった。ニュースにもなっていたあの被害状況を見る限り、祓師の仕事としては最低最悪な結果に終わったと言える。


 それなのにどうして、兄は優しい目でこうして自分を見ることができるのか。いっそはっきりと叱責してくれたのなら、なにを考えているのか理解できるに違いない。だが、この理知的な兄は結月に対し、非情な決断をする場面でも昔から一度として感情を荒げたことがなく、今回もそうするつもりはないようだった。


「申し訳ありません、静流(しずる)様。すべては護衛としての役目をきっちりと果たせなかった、私の不徳の致すところ」


 結月の後ろに控えた波流が、下げていた頭をさらに下げた。

 昨夜の討伐結果を報告するために広間に上がってから、波流は既に何度も同じ申し開きを繰り返している。このまま続けていけば、いずれ波流の額に畳の跡がついてしまう。そうさせているのは自分だ。己の情けなさを感じながら、結月は目の前の兄――倉間静流に頭を下げた。


「ご期待に添えられず申し訳ありませんでした。折角、お兄様が各家の反対を押し切ってまで、私に試術の機会を与えてくださいましたのに」

「……僕は、結月の判断に一定の理解は示している。妖魔に襲われている人間を見つけたら、その場にいたのが僕でも保護を優先しただろう。ヒトの犠牲者を出さないこと、これは大前提だ」

「はい……」

「ただ、特殊な状況だったということも加味しても、実害を出したことは看過できない。――よって、結月には屋敷外での能力の使用を禁ずる」


 静流の落ち着いた声に、結月は涙を堪えた。

 昨日の夜、同じくこの広間で静流に見送られたことを思い出す。その時、勇んで出て行った自分は一体なんだったのか。己を過信していた。絶対にやれると思っていた。未熟がゆえに後塵を拝している自分に、やっと許された機会。それでも活躍できると信じて疑わなかったし、早く一人前として認められなくてはと、ただ結果に固執していた。


 今は、そんな風に浅はかだった昨日の自分がただ恨めしい。


「期間は向こう一週間。謹慎中にもう一度基礎から勉強し直しなさい。次の仕事では、波流に頼らずとも結界の一つくらい張れるように」

「はい…………、は、え、ええっ?」


 悲嘆に暮れていた結月は、予想外の展開に驚いて素っ頓狂な声を上げた。まっすぐに見上げた先には、最初と同じく苦い笑みを浮かべた静流の顔がある。


「次、があるのですか?」

「次というのは?」

「その……、祓師として、仕事をしてもいいということですか……?」

「赦す」


 その一言に、結月の潤んだ瞳がなおいっそう潤み、大きく見開かれた。

 もう駄目だと思っていたのに――ウソみたいだ。


「お兄様……っ!ありがとう、お兄様!」

「結月、静かに。まだ皆様がいらっしゃるのだから」

「……は、はい。失礼いたしました」


 結月は無意識に腰を浮かしていたことに気づき、慌てて座り直した。祓師としての未来が取り上げられるかもしれない事態に、周りがすっかり見えなくなっていた。思い返してみれば、結月は当主会議の場に喚問されていたのだった。


「波流も、ありがとう。守ってくれて」


 そっと振り返って小声で伝える結月に、波流は黙って頷く。頬が紅潮した結月は、まだ歓喜に打ち震えているようだ。波流もまた、内心の安堵を隠しきれていない。結月が前に向き直ったのを見届け、そっと息を吐いた。


 そんな二人を労わる声が、二人の背後からかかった。白い霧のような粒子がたちどころに一箇所に集まり、光となる。それは瞬きする間もなく一人の人間を形作った。

 

「結月、主が退出を許可した。疲れただろうからもう下がって、登校の時間まで部屋で休みなさいな。波流は、悪いがもう少しここで待て」


 現れ出たのは、橙色の(かんざし)を挿した女だ。白い小袖に緋袴といった巫女装束を身に纏っているが、一般的なそれとは若干異なった洋風のアレンジが施されている。

 女は音も立てずに歩くと、結月の身体を支えるようにして立ち上がらせた。障子のほうへすっと手をかざすと、触れてもいないのにそれはガラリと開く。


 現れ出た縁側には、暖かな光が差していた。もうだいぶ上がった朝日に、庭の池の水面がキラキラと反射している。

 解放される、と思うと、どっと疲れが出てきた。考えてみれば、徹夜だったのだ。確かに今は休みたい。


 結月は静かに一礼すると、広間から退出した。






 結月が退出した広間には、静流と波流以外に四人の男が座していた。年の頃はどれも五十、六十あたり。皆、日の出の頃からここに集まり、座敷の端に一列に並んでいる。

 彼らは結月と波流が喚問されてからは一言も発することなく、目の前のやり取りを見ていた。だが、結月が出てすぐ。上座の髭を蓄えた男が握り拳を作り、戦慄(わなな)いた。


「――甘い!妹君に甘すぎますぞ、倉間家当主」


 男は我慢ならないといった様子で喚くように叫んだ。対する静流はいたって冷静だ。


「これは僕の、ひいては倉間家の決定。異論は挟まないでいただきたい」

「いや、そういうわけには……!」

「いいえ。本来、祓師の選定・認定は当主会議で決議されるものではなく、各家で行えるものと古来より定まっているはず。今回、事情を聞くために彼女を喚問したことと、認定することはまったく別の話です」


 静流の正論に、一瞬男が詰まった。それでも、二回り以上も年の離れた年若い当主に簡単に論破されるわけにはいかないらしい。咳払いをすると、年長者の貫禄を見せ付けるように大仰に話し始める。


「今回の妖魔討伐は、結月殿が祓師として認められるかどうか試術を兼ねたものだったと聞き及んでいる。しかしながら、無駄に時間を掛け、敵を幾度も逃し、挙句実害を出した。こう言ってはなんだが、惨憺たる有様だ。結月殿に祓師としての資質があるのかどうか甚だ疑わしい」

「ご心配なさらずとも、資質なら充分すぎるほどにありますよ。周防(すおう)家当主」


 気分を害した風もなく、静流は玲瓏な目元を細めた。


「確かに今、当主が仰ったことは事実。弁解の余地もありません。ですが、先ほどここにいる波流から報告があったはず。妖魔を絶命させた最後の攻撃は、妖魔の姿形を残さぬほど一瞬にして打ち祓うものだった、と。そうだね、波流?」


 その場にいた全員の視線が、未だ座敷の中央に静かに留まり続けている波流に向かう。波流は姿勢を正したまま、「はい」と短く肯定した。


「そ、それは聞いたが……信じられぬ。討伐対象の妖魔は、ゆうに三メートルはある巨体だったのだぞ。それを瞬時に消滅させるとなると、どれほどの力が必要になるのか……」

「ええ。第一線で活躍する祓師と同格、もしくはそれ以上の力はあるでしょう」


 その力を推し量り、男たちが黙する。静まり返った室内に、鹿威しの音が響いた。


「彼女の力は強力過ぎることに加え、年若いがゆえに不安定です。そのためこれまで何度も試練に失敗し、劣等生の扱いを受け、本来ならば十五の時に受けるはずだった試術を見送った。ですが、彼女ももう十七。この状態に甘んじていることは許されないことですし、彼女自身、それを許してはいない」


 静流の言葉に、波流が瞳を伏せた。

 幼いころから結月を誰よりも近くで見てきた波流は、それが真実だと知っている。結月がどれだけ努力し、もがき、苦しみ、挫折を繰り返してきたか。周防家当主を始めここにいる男たちは何一つ知らなくとも、波流と、そして結月の兄である静流だけは、それを知っているのだ。


「結果についてはご存知の通り、見事討伐に成功し祓師としての役目は果たしています。問題は内容のほうですが……初めての実戦ということで、勝手がわからなかったということは大きいでしょう。その点については、陳謝いたします。もう少し実戦を想定した教育をしておくべきでした」

「……あくまでも、試術を受けるのが早計だっただけ、と言い訳をするつもりなのかね」

「いいえ。むしろ、良い機会だったと思っています。これで彼女も、ただがむしゃらに力を使うのではなく、実戦におけるペース配分というものを考えるようになるでしょう。伸び代は大きい」


 それを聞いて、周防家当主に憤怒の相が浮かんだ。どこまでも楯突く小癪な若僧、とでも感じたのか。激昂し、畳を叩く。


「バカなことを言うな!本当にあの娘を祓師として認めるつもりか!」

「彼女を祓師に育てなくて、誰を育てると言うのです?」

「なにをっ……!」

「……まあまあ、落ち着きなされ、周防家当主」


 一方的な睨み合いの中、下座の老年の男が微笑を浮かべ、額に青筋を立てている男を制止した。この面子の中でもとりわけ穏健派として知られる、(たいら)家の当主だ。彼は仲裁するというよりも単に疑問を口にしたというていで、のんびりと尋ねる。


「せめて力が制御できるようになるまで待とうとは思わんのかね」

「……祓師の数は少ない。能力のある人間を温存するほど、私たちに余裕はありませんよ」


 またしても正論だった。誰もが痛いほどにわかりきっている現実を突かれ、男たちは唸る。

 しかし、周防家当主だけは、まだ難癖をつけるように言い募った。


「だからと言って……。今回の件でその名に傷がついたというのに、さらなる傷を重ねようなどと正気とは思えぬ」

「おや、倉間家のことでしたらご心配には及びませんよ」

「倉間家の心配などしておらぬわ!しかし、結月殿の評価は別だ。これは周防家の名誉にも関わる話」

「ご忠告、痛み入ります。ですが、それこそご心配なさらず。彼女の今後を考えるのは兄である私の役目。それに、その話ならばお断りしたはずです」


 取り付く島もない態度に、周防家当主のプライドが障ったようだった。鼻息荒く立ち上がると、静流を見下ろし、吐き捨てた。


「――倉間家当主。我らの盟主たるあなたの言動が五曜(ごよう)全体に影響を及ぼすということ、ゆめゆめ忘れなさるな」


 乱暴な足音を立て、周防家当主が襖の前に向かった。

 するとその前に一つの光が集まる。今度は、薄青色の布を首に巻いた男が現れ出た。やはり、先の女と同じようにアレンジの入った白衣と袴の装いで、神社の神官風の出で立ちをしている。


「お足元にお気をつけて。玄関までお見送りいたしましょう」

「いらん!倉間家当主の式神なんぞに見送られたら、何をされるかわからん。俺は別室で待機させてもらう。おい、そこの侍女、俺の息子を呼べ。もう帰るとな」


 隣の控えの間にいた侍女に言いつけると、周防家当主は大股で去っていった。


 それを機に、残りの三人も席を立った。静流と二言三言話をしてから、ぞろぞろと連れ立って部屋を出る。玄関まで侍女に先導されていきながら、三人は時折にこやかに談笑していた。場は荒れたものの、周防家当主がいなくなってみれば、結月の件で反対するものは誰もいなかったのだ。


 さらに広くなったように感じられる座敷には、静流と波流、二人の不思議な男女が残された。


「相変わらず権力を笠に着た爺さんだ。あいつが盟主だった時代はもう終わったというのに、いつまでも我が物顔でのさばって。他所の家の侍女をこき使うなど、何様のつもりか」

「本当。その上、大の男が喧々と……。あの者の辞書の中には、雅という言葉がないのね。嘆かわしい」


 誰も触れていないにもかかわらず、開いていた襖がぴしゃりと閉まる。不快感を露わに、男女二人は静流のそばに流れるように近寄ってきた。


(はなだ)柑子(こうじ)。そんな風に言うものではないよ」

「主……。だけど、あれはあんまりよ。結月が可哀想」

「そうですよ!五曜の一角とはいえ、あの爺さんは名ばかりのただのお飾り当主。祓師でもない人間が偉そうに」


 縹が口にした『五曜』の言葉に、静流は手前に置かれた一脚の膳へと視線を落とした。

 そこに描かれるのは、五曜の星紋。中央の星を、規則正しく四星が囲む。かつて、この星紋は九つの星で成っていた。


 ――決して欠けてはいけない、はずだった。


 静流は憂愁の思いで、額に手を当てる。

 その薬指にはめられた二つの小さな赤い石に、絹の手触りを思わせる前髪がサラリとかかった。


 瞑目する。


「……あの方にも困ったものだ。五曜のことなど、真に考えてはいないだろうに」


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