#33 次なる一手
――お母さんは仕事に行ってきます。
そんな書き置きがなされたメモ用紙を、リビングのテーブルの上に見つけた。簡潔な一文を読み、颯太は視線を上に戻す。正直なところ助かった、と胸を撫で下ろした。
昨日泊まりに来たはずの直弥と遊璃は、あの後、倉間家へと戻っていった。二人どころか、結月と莉華子もだ。颯太は念のために護衛としてついてきた紅駒と共に二階の窓から自分の部屋に戻り、朝が来るのを待った。
土曜日の午前中のテレビ番組を横目に歯磨きをしていると、玄関のチャイムが鳴った。颯太がインターホン越しに訪問者を確認するまでもなく、紅駒が扉を開ける。ちょっと人の家の玄関を勝手に、という文句は、扉の向こうに現れた人物が目に入った瞬間に飲み込まれた。
「やっほー、颯太君。迎えに来たよ!」
朝から元気いっぱいの杏寿が手を振っている。紅駒は「杏寿の気配がした」と一言告げると、入れ替わりに外へと出て行った。颯太は急いで支度を整え、杏寿と共にマンションのロビーまで下りる。
「迎えって自転車とかじゃないよな?いくら能力があったって二人乗りは禁止なんだぞ」
「まさかぁ。ちゃんと車で来たよ」
颯太のたいして面白くない冗談にも、杏寿はけらけらと笑う。その言葉通り、マンションの外には当然の如く高級車が一台停まっていた。颯太をこれから倉間家へと運ぶためだ。とりあえず今日、起きたら一度集合しようというのが、解散時の全員の総意だった。
「紅駒も車に乗って」
「大丈夫だ。駆ければ早い」
「だーめ。日が出ているうちは人が多いでしょ。もし誰かに見られたらどうするの」
「えっ、式神って人に見えるの?」
颯太にはもちろん見えているが、式神はなんとなく人には見えないものだと思っていた。彼らは人型から元の姿への変化をところ構わずに平気で行うし、尋常でない動きもする。もし人の目に見えていたなら大騒ぎになるだろう。
「あ、普通は見えないよ。直兄と式神の契約をしたことで、紅駒は普通の犬じゃなくなったし」
「じゃあ、人に見られたらってどういうこと?」
「勘のいい人には『何かがいる』って思われちゃうこともあるんだ。それに、人はともかく妖魔にはそういうの関係ないし。目を付けられたら面倒だ!……って、直兄が言ってたよ?」
「ふん。だからなんだ」
紅駒は瞬時に犬へと姿を変えた。言葉とは裏腹に、主の命は絶対だという姿勢が伝わってくる。颯太は杏寿と顔を見合わせて笑うと、紅駒の後に続いて後部座席へと乗り込んだ。
「あ、颯太。おはよう……」
「あら、ごきげんよう、颯太……」
庭に面した部屋は、清々しい朝の空気に包まれている。そんな中で、結月と莉華子が机から顔を上げた。二人とも、辛気臭い面持ちをしている。
「ど、どうしたんだよ」
「反省文を書いてるの。昨日、屋敷を抜け出した罰で……」
「ああ……。そういえば勝手に出てきてたんだよな、二人とも」
颯太の何気ない返しに、二人が「ぐっ」と詰まった。帰宅後の詳細を尋ねると、「もう思い出したくないですわ……」と莉華子が遠い目をして呟く。どうやら恐ろしい目に遭ったらしい。精神的ダメージを負った二人のことは、そっとしておいたほうがよさそうだ。
「おい、颯太。こっちに来い。昨日捕らえた妖魔たちのところへ行く」
颯太を呼びに来た縹に先導され、颯太は入り組んだ屋敷の奥へと招かれた。
昨日の直弥の話では、捕らえたらすぐに結界の中に移動するということだったが、それは単にこの倉間の屋敷に張られた結界を指していたわけではないらしい。颯太はそっとあたりを見回した。廊下の壁に取り付けられた燭台に灯る明かりが、颯太の視界を仄暗くしている。だが、燭台に火を燃やすための蝋はない。
そんなものがなくても揺らめく焔は、つまるところそれが特殊な力により生成されているのだと示唆していた。この廊下は力で満ち溢れている。この先に見える扉の向こうには、おそらくもっと強力な力――結界が張り巡らされているはずだ。
「……やあ、蓮見君。昨日は色々と力を貸してくれたようだね。礼を言うよ」
開かれた扉のその奥では、静流が微かな笑みを浮かべていた。颯太の予想通りと言っていいだろう。何か異質な空気が漂うその一室は、外からの一筋の光ですら遮断されている。部屋の中央には小烏丸と小狐丸の姿があった。膝を抱えて座る二人の下には、奇妙な円陣が浮かんでいる。その円陣には幾つもの札が張られていた。札に書かれた文字は、颯太には読み取れない。
「ここが、式神と主を隔てる結界……。今は何を?」
颯太の問いに、静流は静かに人差し指を差し出した。指し示す先には、壁に背を凭れさせ腕組みをしている直弥がいる。夜通し円陣の中の二人と相対していたのか、直弥は辟易した表情のまま、颯太と静流の視線を受け止めた。
「やっぱり無理だな、主の名を吐かせるのは」
「そのようだね」
どうやらここで、小烏丸と小狐丸に対する尋問が行われていたようだ。昨日の直弥の話だと、式神は主の不利益になるようなことはしない、ということだった。当然の如く予想されていた結果だったせいか、直弥と静流は特に落胆の色は見せず、淡々としている。
「式神であることは確かなんですね」
「こいつらは若い狐と烏の妖魔だ。妖力はあるほうだと思うが、あの突発的な爆発を起こせるだけの強い妖力を留められる器じゃない。おそらく、枯渇した力を補うために一時的に主の力を引き出していたんだろう。式神は、主の力を分け与えてできる存在だからな。繋がりがあれば、それくらいの融通は利く」
「なるほど……。でもそう考えると、式神が主から力を引き出した時、主に気付かれていた可能性があるってことでは?」
「もし気付いていたなら、あの場に現れただろう。つまり、気付かれてはいない。こいつらの力の引き出し方も戦い方も行き当たりばったりだったしな。ま、無意識の産物だろうな」
直弥の話にも、円陣の中の二人は無言を貫き微動だにせずにいる。夜はあんなに威勢が良かったのに、今は完全に無反応だ。そう言うと、「これでも明け方まではだいぶ暴れていたんだぜ」と直弥がうんざりした顔で溜息をついた。
「なんにしろ、昨夜は運が味方してくれて助かった。結構な綱渡りをしてたことには違いない」
颯太たちは部屋をあとにした。小烏丸と小狐丸から聞きだせることは今はない。となると、これからどう妖星の出方を掴むかが問題だった。
それを尋ねようとした颯太より先に、静流が口を開いた。
「そういえば、蓮見君。真魂の状態で身体の自由を手にしたと聞いたけれど、本当かい?」
「あ、はい。あと、芙蓉さんに見えていた真名の気が、直弥さんたちにも見えるようになっていました」
「そうか。ということは、力自体は覚醒している。あとは、力の使い方一つ」
「それって、祓師が持っている武器を俺も作り出せるってことですか?」
そうなればすごいことだ。颯太は自分の掌を眺める。静流は頷きをもって肯定し、ただし、と付け加えた。
「君の場合、力がどういう風に具現化されるかと言うと……。少し特殊なことになるかもしれない」
「確かにな。俺たちは魂から引き出した力を身体に纏い、手に集約して具現化する。だがお前は、魂そのものに力を纏っている。この差はなんだろう」
直弥はまじまじと颯太を見下ろした。自分たちと似て非なる存在。わかりそうでわからないもどかしさに、直弥は深く考えるのを止めた。徹夜明けで上手く思考が働いていないのだ。それに、力を使うのであれば、差し迫って乗り越えなければならない壁がある。
「具現化って言っても、一朝一夕でできるもんじゃないからな」
「えっ!もしかして厳しい修行があるとか?」
「バッカだなー、お前。そうじゃない。むしろ何もしない」
「何もしない……?」
「そう。こればっかりはな、誰かに教わってできるようなもんじゃないんだ。具現化には、明確な方法というものは存在しない。赤ん坊が立ったり言葉を話せるようになるのと同じで、皆、自然とできるようになるのさ。そこにかかる時間も人それぞれだ」
「え……じゃあまさか、自然と使えるようになるまで待つってこと?」
「まあ、少なくとも俺たちはそうだった」
そういえば、結月は六歳の時に具現化に成功したと言っていた。つまり六年かかったということだ。
「そんな……!何年も待てません。どうにかして力を使えるようにならないと。何か別の方法はないんですか!?」
「あのなぁ、そんなのがあったら逆に教えて欲しいくらいで……」
詰め寄ってきた颯太を直弥がいなそうとした時だった。静流が足を止めた。
「一つ、方法はある。――だが、賭けだ」
言葉のニュアンスから、それが普通でない方法なのだということは容易に推測できた。颯太はそれでも、静流に向き直る。颯太の強い眼差しに静流は目を細め、続く言葉を口にした。
「……これに懲りたら、もう二度と昨夜のような行動は取らないこと。わかった?」
机の上に置かれた原稿用紙から視線を上げた波流の言葉に、結月と莉華子の二人はこくこくと頷き、間を置いて盛大に息を吐いた。
「はあぁぁ。もう絶対しないわあんなこと」
「本当に。静流様の微笑の下にブリザードが見えた気がいたしましたもの。でもそれはまだよかったのですわ。一番は波流でしたわ……」
「そうね……。凍てついた怒りってやつかしら。無表情なのに怒気を孕んでるって器用なことをするわよね」
結月は、それを思い出すだに身震いする。
帰宅すれば、臥せっていたはずの波流は体調が回復したらしく静流の隣に控えていた。そこまではいい。思わず駆け寄ろうとしたら、いつぞやのような説教が始まったのだ。
波流が大方言い尽くしたせいで、静流からは最後に一言「反省しておくように」と言われただけで済んだのだが、その意を汲んで波流が真っ白な原稿用紙の束を持ってきた時には眩暈がした。
「あ、反省文やっと終わったんだぁ。よかったね!」
「杏寿。そういえばさっき、颯太を連れてきてたわね」
「うん。颯太君は“檻”のある部屋に縹が連れて行ったよ」
「そう。杏寿は何をしてたの?」
「紅駒に稽古をつけてもらってたの。遊璃と遊ぼうと思ったんだけど、全然相手してくれないから」
杏寿は頬を膨らまして、隣の部屋を指差す。部屋と部屋とを仕切る襖を結月が開けてみれば、そこにはヘッドフォンをしたままうとうとしている遊璃の姿があった。
「ふっ、お子様ね。夜中起きてたから眠いんだわ」
「低レベルすぎて悪口にもなってないんだけど」
「え、お……起きてたの?」
目をぱちくりとさせる結月とは逆に、遊璃は眠そうに目尻を一擦りした後、ヘッドフォンを外した。それを見て、結月が「あっ」と声を上げる。
「それつけてたなら、私が何を言ったのかわかんないはずよ?」
「別に……。聞こえてなくても、結月の間抜け顔みたらだいたいわかるから」
「ま、間抜け!?ってこら!遊璃だって寝惚け顔で充分ボケボケしてるわよ!」
「ふうん」
「反応薄っ!」
結月のテンションもだいぶ回復してきたらしい。他の面々も話に加わり、部屋が賑やかになる。
そこへ、複数の足音が近づいてきた。
「ちょっと、本当に反省したの?君たち」
最初に顔を出したのは直弥だ。その視線は結月と莉華子に注がれている。倉間家に戻ってからそれぞれ別の場所にいたせいで、この三人が昨夜の戦いのことについて話をするのはこれが初めてだった。
「ええ。反省したわ」
「うーん……。本当に、妹に甘い兄だよね……」
直弥は、波流が手にしている原稿用紙を見て察したらしい。自分の後ろにいる静流にある種の嫌味を言いながら、部屋に置いてある大きなテーブルの前に腰を下ろした。
「俺からも一言だけ言っておくよ。君たちが参戦してくれたおかげで、式神たちを無事捕縛することは出来た。けど、言ってしまえばそれは結果論だ。もし君たちがお忍びで来ていなければ、最初からあの場に紅駒を投入できたし、戦局は違うものになっていたはずだ」
確かに、そうだろう。内心頷きながら、颯太は静流に続いて部屋に足を踏み入れた。部屋を見渡せば、そこにいる全員の目が直弥に向かっているのがわかる。
「ま、とはいえ昨日の戦いには他にも問題はあったし。なにも姫たちだけのせいじゃないさ。やっぱり、五曜の祓師が協力して戦うというのは難しいものがある。あの時、うまく連携が取れていなかった。あれじゃ単独で戦った方がまだマシだったかもしれない」
直弥の言葉に、遊璃の眉が微かに動いた。それを目にした直弥は、苦笑しながら首を振る。
「ああ、勘違いするな。別に、誰を責めてるわけじゃないんだ。一人一人のやり方や考え方、癖、そういうものを考慮しないで協力し合おうって言うのが、そもそも間違いだったのさ」
「だけど、そんなこと言ってられないわ。協力しなければ太刀打ちできない敵なのよ。そのために、五曜は結束すべきなのよ」
「そう簡単に言うけどねぇ、姫……」
頭ではわかってはいても、行動に反映させるのは難しい。それはこの場にいる誰もが、昨日身に染みただろうことだった。これまで手を取り合ったことのない祓師たちは、真に互いのことを知らなさ過ぎるのだ。
「まだ、始まったばかりだよ。焦らず、少しずつでも結果を出していけばいい」
静流の一言で、この話はここで終わりだとなんとなく感じ取る。場が静まったタイミングを見計らったようにして、どこからともなく柑子が現れ出た。
「静流様。そろそろ次のご予定の時間です」
「そうか」
五曜の盟主は多忙らしい。静流は残された面々に労いの言葉をかけると、自らの式神とともに部屋を後にした。代わりに、直弥が全員にテーブルに着くよう指示する。妖星の式神を捕縛した今、次の行動は、という話の流れだ。
「でも、どうしますの?あの式神たち、やはり口を割らなかったのでしょう?」
「妖星の出方を探るといっても、この広い街でとなると……。わかってはいたが、難儀だな」
「あ、そのことなんだけどね」
難しい顔が並ぶ中、ひょいと手が上がった。杏寿だ。
その場にいる者たちの真剣な眼差しを一身に浴びても、杏寿はにこにこと笑ったまま、言い切った。
「あの制服に見覚えがあるんだ。たぶん、私の知ってる中学のものだと思うよ」




