#30 前哨戦
三日連続、三度目の真夜中の空中散歩が始まった。
まだ仲間と呼ぶには抵抗のある直弥と、自分より年下の遊璃が颯太の周りを固めつつ、目標の場所まで移動する。
「よし、颯太はここで待機だ。俺たちは配置につく」
颯太のマンションの近くにある公園で、直弥が足を止めた。
「遊璃、結界を張れるか」
「今?」
「いや。先に結界を張っておくと罠に気づかれる可能性がある。あいつらが公園内に侵入したら、一気に覆うんだ。できれば、颯太にギリギリまで接近しているのが望ましい」
「わかった」
遊璃は小さく頷くと、妖魔がいると思われる方角へ目を向けた。
「……様子は?」
『――そろそろ来ますっ』
雛の報告を受け、颯太たちに緊張が走った。直弥と遊璃は颯太と距離を取り、それぞれ公園内の木陰に身を隠していく。と同時に、公園のど真ん中に一人取り残された颯太は、ごくりと唾を飲み込んだ。夜空に、こちらに向かってくる二つの影が見えた気がした。
(本当に、こんなことになるなんてな)
三度目ともなれば慣れるか、といえば、まったくそんなことはなかった。
一度目はわけがわからないうちに妖鳥に襲われ、結月に助けられた。二度目は妖魔たちに齧られそうになり、波流が救援に来た。いずれも、望まずして起きたことだ。
そして、三度目の今夜。颯太は初めて、自ら望んで妖魔と対峙する。
「あーっ、こんなところにいたよ!小烏丸っ」
「ホントだ!やっと見つけた!」
昨夜と同様に、プリーツスカートを翻しながら狐少女が公園内に降り立った。颯太がいるところまでは、まだ距離がある。烏少年は空に浮かんだまま、あたりを見渡した。
「今度はおかしなところはない?」
「特に何も。さっきは逃げられちゃったもんね。追いかけてるうちに、よく見えなくなって」
「そうそう。なんだったんだろう、あの不思議な感じ」
直弥の張っていた結界のことを言っているのだろう。この妖魔たちはやはり、微かながらも違和感には気付いていたらしい。
「よしっ、こいつ拾って帰ろう、小狐丸」
「でも『ヘンなイキモノ』のトモダチがいないわ、小烏丸」
狐少女はきょろきょろと周囲に目をやった。そして不意に、何かに気をとられたように動きを止める。葉擦れのする木陰を食い入るように見つめ、その顔に不安の色を滲ませた。
「……なんか……イヤな感じ……」
颯太はハッとした。今、狐少女が見ている付近には、遊璃が潜んでいるはずだ。まだこちらに近づいてもいないのに、気付かれてはまずい。何とか意識を自分に向けさせなくては。
「お、おい!そこの狐っ子!」
「ちょっと、私、そんな名前じゃないわ。小狐丸よ」
「じゃあ、小狐丸!俺のケータイを返せ」
「……ああ、『ヘンなイキモノ』はこれが欲しいの?」
あっさりと小狐丸は颯太に向き直った。ポケットから携帯電話を取り出すと、勿体ぶった様に揺らしながら颯太に近づいてくる。先ほどまでの不安は忘れ去ってしまったのか、小狐丸は口の端を持ち上げられるだけ持ち上げ、楽しそうにしていた。颯太は内心拍子抜けしながら、会話を続ける。
「人のものは取っちゃいけないんだよ。返せよ」
「それってニンゲンの決まりでしょ?私達には関係ないもん。ね、小烏丸」
「そうだよ、ニンゲンの決まりは関係ない」
目の前で笑う小狐丸の後ろで、小烏丸も大きく頷いた。羽ばたきを止めてようやく地面に降り立つと、二歩、三歩と歩を進め、颯太の近くに近づいてくる。
(――今だ!)
小烏丸の手が颯太へと伸ばされた瞬間、ざわり、と空気が揺らいだ気がした。まるで真空に留められたように、一切の無音の空間が出来上がる。今この時、結界が張られたのは明白だ。遊璃は颯太の意図を正しく理解していたらしい。
「やだ、また!」
小狐丸が悲鳴に近い声を上げるのと、木陰から長身の影が飛び出してくるのはほぼ同時だった。
「始まったわ、莉華子」
「そのようですわね」
異空間の出現を感じ取り、結月が少し離れた空を見上げた。「あれは遊璃の結界かしら」と莉華子が呟く。きっちりと基礎通りに構成され、大きさとしても余分のない結界を見る限り、その推測は合っているだろう。面倒なことを嫌う遊璃はいつも最低限のことしかしないが、そこに不足はないのだから文句は付けられない。
とはいえ、遊璃が今回の作戦を任されたことについては、莉華子にとっていささか納得がいかなかった。結月にしても、颯太を囮にすることにはなんだか胸騒ぎを覚えて、こうして屋敷を抜け出してきている。
「なぜですの。わたくしだって、きっとお役に立てますのに……!直弥さんが強いのは認めますけど、遊璃と二人だけでというのは心配ですわ」
「ええ、波流が怪我をするほどだし。もっと人を割いてもいいはずだけど。大丈夫かしら」
愚痴を零しながら、二人は「何かあったときに役に立つため」に張り込みを続けていた。が、寒空の下というのはだいぶ身体に堪える。二人の意気込みも少しずつ萎み始めた。
「……はぁ。勢い込んで来てしまいましたけど、わたくしたち、なにをやっているのかしら」
「考えてみれば、黙って出て来たわけだし。これは絶対に……怒られるわね……」
「静流様に怒られるのは嫌ですわ……」
「私だって……」
お通夜のような沈んだ空気がその場を包む。その時、忍び笑いとともに、二人の後ろに光が溢れた。
『――やっと頭が冷えたか』
知り得た声に振り返る。現れ出た強面の顔には、やれやれ、と書かれていた。
「紅駒!?」
「も、もしかしてバレてたんですの……?」
「当たり前だろう。それも雛に見つかるとは、お前達もまだまだだな」
直弥や紅駒ならいざ知らず、まだ幼い雛に見つかったという事実は、莉華子と結月にショックを与えるには充分だった。仲良く固まった二人を尻目に、紅駒は戦いの火蓋が切られたであろう方角に目をやる。無言の紅駒に対し、おそるおそる結月が口を開いた。
「紅駒、ここにいていいの?」
「それが直弥の命だ」
「いえ、あちらに行くべきですわ。紅駒がここにいては、こちらの戦力は削られているも同然ですもの」
「それでも、直弥の命は絶対だ。お前達を守るよう言いつけられているんでな」
結月と莉華子は押し黙った。紅駒とて、直弥の元に行きたいのは山々なのだろう。だが、それは主によって許されていない。その原因を作ったのは、自分達だ。
「……ごめんなさい!私たちが勝手に来たから」
「謝る相手が違うぞ、結月」
紅駒が鼻を鳴らしたときだった。その切れ長の目が微かに細められると同時に、勢いよく空を振り仰ぐ。
「――直弥?」
「……紅駒?どうし……」
結月の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。次の瞬間、鼓膜が震えるほどの爆発音が轟く。結月と莉華子は明らかな異変に気付き、音のした空を見上げた。
「うそっ、結界が……!」
遊璃が張っていたはずの結界が、ガラスが割れるようにして夜空に破片を散らしていた。修復されることなく、崩れ落ちるようにして消えていくそれを呆然と見つめる。
あの空の下で、限りなく不都合に近い何かが起こっているのは確実だった。
「まずいわ……紅駒!」
結月の呼びかけに、紅駒は顔を顰めた。
彼にとって行くべきであり行くべきでない事態に、苦渋の表情を浮かべている。
「なにをグズグズしてますの!早く行かなければ直弥さんたちが」
「だが、お前達の護衛が今の俺の任務なのだ」
「……!!」
莉華子が唇を噛んだ。
やはり自分たちが来たのは大きな間違いだった、と思い知る。役に立つどころか、私たちは今、彼らの足を引っ張っているのだ。
後悔の念に押し潰されそうになり、同じ表情をしているであろう結月のほうへ顔を向けた莉華子は、小さく拍子抜けした。盗み見た結月の表情は、想像と全く違う。固い面持ちではあるものの、後ろ向きな感情は一切出ていない。
「だったら、紅駒」
何かを決意したように、結月は紅駒の前に進み出た。莉華子は無意識にその横顔を追う。
「私たちと一緒にあの場所に行くわよ」
「結月……?なにを言って……」
「紅駒は直弥さんの命令通り、私たちを守っていればいいの。私たちはあの場で、できることをするわ」
「なんだと……!?」
結月の発言に紅駒が目を見張り、小さく呻いた。彼にとっては無茶振りもいいところだ。
しかし、考えてみればそれが一番いい方法なのだった。少ない時間で考えた結果、莉華子もそう結論付ける。おそらく主を心配している式神にとっても、それはつい屈してしまうほどに悪魔的な囁きだったのだろう。
ほんの少しの間をおいて、紅駒の鋭い視線が結月と莉華子を絡め取った。
「……あまり世話を焼かせるなよ」
「きゃっ!?」
「わあっ!!」
紅駒はついに頷くと、結月と莉華子を乱暴に抱えて夜風吹く空へと飛び上がった。




