#28 受験生・碓氷遊璃
「なんでこんなことになったんですかね……」
颯太は正方形のテーブルを挟んで向かい合う、直弥の顔を見た。颯太と直弥の間には遊璃が座っている。こじんまりした部屋とこじんまりした家具。ここは颯太の自室だった。
今、この三人だけで顔を突き合わせてなにをしているのかといえば、勉強だ。おかしい、さっきまで倉間家の屋敷にいたはずなのに。そこで小難しい話をして、いきなりとんでもないことを言われて――あれよあれよという間に、颯太は自宅に帰されたのだ。この二人を伴って。
「え、そりゃあ、適任っていうかね。得意技だろ、妖魔の餌になるの」
「そういうのは得意技って言わないと思いますけど!?」
もう、囮と穏やかに言い直すこともしないらしい。直弥は本音が駄々漏れたまま、にやりと笑った。
「でも、お前もやられっぱなしは嫌だろ?役に立ちたいよな?」
「それはそうですけど、なんかこう……!」
上手いこと直弥の思惑に乗せられた気がしないでもない。颯太は倉間家でのことを思い返す。
颯太を囮と言い出した直弥に結月が反対したが、意外にも静流が頷いた。曰く、このままでも颯太はあの妖魔たちに狙われ続けてしまう。ならば、いっそこの機会に妖魔たちを誘き出し、捕獲するのが良いと。つまるところ、誘き出すための餌として、颯太には見事に白羽の矢が立ったのだ。
もちろん、身の安全は保障すると静流は言ってくれた。祓師二人をつけたのが、その証左だろう。だが、暢気に颯太の本棚から漫画を取り出す直弥と、黙々と問題集を解いている遊璃を見ていると、だんだんと不安になってくる。今夜、颯太の魂がいつものように身体から離れたら作戦開始だというのに、緊張感がない。
「二人とも静かにしてよ。気が散って問題が解けない」
遊璃が顔を上げて苦情を出した。それを直弥は右から左へ受け流す。
「遊璃、本当に内部進学しないのか?お前の成績なら何も問題はないはずだろ」
「……あの学園を出たいんだ」
遊璃は呟くと、再び視線を問題集に落とした。次の問題に進む気か、直弥の質問から逃れようとしているのか。どちらとも取れる態度だ。
「ふぅん。お前にしては珍しくやる気だな」
「結月にも出来たことでしょ。僕にも出来るよ」
「え、結月の前の学校って、遊璃たちと同じところだったのか?」
「そうだけど」
驚いた颯太に、直弥がこともなげに教えてくれた。
「五曜の子どもたちは高校まで、ほとんどが同じ学園に通う。なんたって、そこは平家が経営してるんだ。色々と融通も利くし、何より安全だからな」
「が、学校経営……!?」
「祓師家業が本業なら、あっちは副業って言うのかねぇ。まあ、五曜の家はどこもそういう風なところはあるけど。経営自体は昔から真面目にやってるみたいだし、平家の人間は総じてのほほんとしてるようで、実は一番抜け目ないと思うぜ」
颯太は微かに眩暈を覚える。五曜のありえなさには慣れてきていたが、そこまでとは。平家ということは杏寿の家だ。杏寿はやはり、すごい家の娘だったということだ。
遊璃が溜息をついた。手にしたシャープペンシルの芯がポキリと折れる。
「……あそこにはいたくない」
「だったら、メンタルも強くならないと受験戦争は勝ち抜けないぞ。温室育ちのお前には、外は厳しい」
直弥の辛辣な言い様に、遊璃は「わかってるよ」と短く言い返した。何か事情があるようだが、遊璃も直弥もそれ以上は何も言わなかった。話が途切れたのを切欠に、颯太も机の上に広げた課題プリントに視線を落とす。
家で真面目に課題に取り組むなど、高校受験のとき以来のような気がする。英語の長文に目が滑っていると、トントンとプリントの端をつつかれた。直弥の指が、埋まっていた解答欄の一つを指している。
「ここ、スペル間違ってる」
「えっ。……あ、ホントだ」
「なんかマジで、お前の勉強を見てやったほうがいい気がしてきた……」
直弥の嘆きは、颯太の学力に対してではない。この状況が嘘から出た真になりつつあることに対してだ。
そもそもこの勉強会は、単に勉強するために開かれているものではなかった。直弥と遊璃が蓮見家にお邪魔するにあたっての言い訳だ。
少し遅めに帰宅した颯太を、母は心配した様子で出迎えた。そして颯太の後ろに立つ直弥と遊璃を見て呆気にとられ、固まってしまった。非常識レベルの美形が二人揃っているのだ、無理もない反応だろう。
母の思考回路が停止している隙に、颯太は手早く説明した。二人は友人と友人の兄で、今日は友人の兄に宿題を見てもらうのだ。明日は土曜で休みだから、今夜は二人を泊めたいんだけど――と。
そこでさらに直弥が「夜分恐れ入ります。周防と申します。これはほんのつまらないものですが……上がってもよろしいでしょうか?」と笑顔で手土産を差し出し、事態は決した。母は「ま、まあ!ご丁寧に。どうぞごゆっくり」と慌てて、直弥と遊璃、二人分のスリッパを差し出したのだ。
そんなわけで、夕食を固辞した直弥たちにお茶とお菓子を持ってやってきた母に対するパフォーマンスがてら、勉強会が始まっている。予想外に真面目にやる羽目になったのは、ここに受験生の遊璃がいたからだった。
「俺、英語ってちょっと苦手で。遊璃は?」
「……国語」
「えっ、そうなんだ?」
颯太は意外な答えに目を丸くした。倉間家でずっと本を読んでいた印象が強いせいで、遊璃は文系なのかと思っていた。興味の篭った視線を向けて理由は何かと促すと、遊璃は僅かに戸惑った表情をした。そこまで聞かれるとは思っていなかったのかもしれない。少し考え込んだ後、律儀に答える。
「現代文の設問で、『この時の誰々の気持ちを答えよ』とかある」
「うん。あるね」
「そんなこと聞いてどうするんだろう。感じ方は人それぞれだし、本人でもないのに、何が正解だなんてわからないと思う。本音を隠してる人間なんていっぱいるし。考えるだけ時間の無駄だよ」
「お前なぁ……」
直弥が呆れたように笑いながら頬杖をつく。颯太は「へぇ」と呟いた。真面目なんだかドライなんだかわからない考え方だが、颯太にとっては新鮮な意見だ。直弥の眼差しを遊璃が胡散臭そうに見返し始めたので、颯太は続いて質問をした。
「じゃあ、得意科目は?」
「数学。公式が決まってるから、回りくどくなくていい」
なるほど、と颯太は相槌を打った。これはなんだか納得できる答えだ。
「ちなみに、直弥さんは?」
「ついでみたいに言うなよ。まあ、俺は不得意科目はなかったな」
「そうなんだ……。確かに、俺にも遊璃にもわかりやすく教えてくれるし。直弥さんって頭いいんですね。いが……いえ」
「意外って言おうとしたよな?さらっと失礼なこと言うな、お前」
思わず出かけた言葉を見逃さず、直弥に突っ込まれた。颯太はそ知らぬ顔で大学名を聞いてみる。驚いたことに、都内でも指折りの難関私立大学だった。どう見ても直弥は真面目に勉強するタイプには見えないのだが、頭は相当いいらしい。
「まあ、俺の場合、外見よし性格よし頭脳よし。天は二物を与えずって言うけど、あれは嘘だね」
「……性格はそこから引くべきじゃない?」
「おい」
内心頷いてしまった遊璃の指摘に、直弥が素早く突っ込む。突っ込み体質なのかなこの人、などと思いながら、颯太は思わず笑った。
「直弥さんと遊璃って、仲良いんだ」
「……どこが」
ものすごく心外だという顔で、遊璃がこちらを見た。その反応に直弥は「何でそんな嫌そうなの」と呟いているが、可哀想なことに遊璃に完全無視されている。
「やり取りが兄弟みたいだからかな」
「そんな風に見えるの……」
「だから、なんで嫌そうなんだよ、遊璃は。五曜は狭い世界だからな。俺から見ても、親戚の従弟って感じだな」
「ああ、そうそう、そんな感じ」
颯太の頷きに、遊璃の眉間がぎゅっと狭まった。
「お互い五曜の祓師で、名持ちってだけだ」
「名持ちってやっぱり大変なのか?」
「大変っていうか……重い」
言葉少なに呟く遊璃に、直弥が憐憫の眼差しを送る。代わりに、自らには自嘲的な笑みを零した。
「五曜でも祓師になれるのはごく僅かだ。そこへきて真名を持つとなれば、当然のように特別視される。それこそ倉間の姫が兄である静流に対して、過剰な憧れや期待を抱いていたりするように。だけど、静流はともかく俺たちに真名の記憶はない。そんな不完全な俺たちが、名持ちとして持て囃され、期待されてもね。それが可笑しくって……腹立たしいのさ」
直弥や遊璃には名持ちとしての苦しみや葛藤があるようだった。それはおそらく莉華子もそうだろうし、静流にも静流なりの苦労があるのかもしれない。ただ、同じく名持ちであろう颯太には、その深淵はまだわからずにいた。
「ま、こんな話はやめよう。それより、そろそろ眠くならないか、颯太」
直弥の問いかけに、颯太はベッド脇に置いてある目覚まし時計に目をやった。
「うーん、まだ十時だしなぁ……」
「もう面倒だし、殴って気絶させたら?」
「やめろ!」
遊璃の暴力的な提案は却下だ。颯太たちはその後も雑談を繰り広げつつ、静かに夜更けを待った。
――そして、時は来た。




