#27 妖星
「……妖星ってなんですか?」
重苦しい沈黙が、その問いでさらに重くなった。本当に自分が呼吸できていることが不思議なくらいの空気だ。目の焦点があっていない皆はともかくとして、直弥でさえ、あれからずっと口を閉ざしている。
今発言することは空気が読めていないことだと、颯太は重々承知していた。それでも、それが何かを尋ねなければ、この話し合いについていけなくなってしまうのは確実だ。同席を許されているということは聞いていい事柄のはずだし、むしろ理解していなければならないはずだと言い聞かせ、颯太は再度静寂を破る。
「妖魔……なんですよね?だいぶ強い感じで……?」
なんともいえない一言に、やっと反応があった。気が抜けたように結月が笑っていた。もろちんそれは心からの笑みではなく、どこか自棄を起こしたように見える。
「だいぶ強いなんてものじゃないわ……。私たちの始祖である『鞍馬』たちと同格の力を持つの」
「そんなに……!?なんでそんなやつが今も存在してるんだ?」
妖魔側は大禍大戦を経て衰退したと聞いたことを思い出し、思わず静流を見上げると、彼は憂いを帯びた表情をしていた。
「……彼らが闇堕ちする前後の経緯はほとんど明らかになっていない。当時も、今も。そして、おそらく眠っていたか、何らかの手段で祓師の手を逃れ生き延びていた彼らの手かがりを、昨日掴んだ」
「闇堕ち……?それって」
折角の説明も、颯太は引っかかった言葉にすべて意識を持っていかれてしまった。
闇堕ち。それは、穢れを溜めたことにより魂が肉体から零れ落ちてしまうこと、ではなかったか。――人間が。
「妖星って、元は人間……?」
「……そうだね」
「でも、九曜の真名を持つ人と同格の力って……。そんなことがあるんですか?」
「ある、と言わざるを得ない。なぜなら妖星は」
静流は悼むように言葉を継いだ。
「――元は九曜なのだから」
広間に響いたその言葉を、誰も否定しなかった。颯太の口から、無意識に乾いた呟きが漏れる。
「それは……どういう……」
「正確に言えば、九曜の一部の者達――『匡』『那由多』『計都』が闇堕ちした。妖星とは、彼らを指す隠語だ」
強大な力を持つ祓師でありながら、闇に堕ちた存在。それが妖星。
信じられないことだったが、五曜の祓師たちがいっせいに黙した現状を鑑みれば、事実であることは明白だ。ようやく気持ちを立て直したのか、莉華子が補足するように口を開いた。
「民にとって九曜とは、輝ける星のような存在だったのですわ。妖魔に身を落としたとはいえ、そんな彼らを口汚く呼び表すことは避けられ、妖星と呼ぶようになったと文献にはありますの」
「そうなんだ……。でも、どうして三人は闇堕ちしたんだろう」
「それはわかりませんわ。文献といっても、今あるものは全て後世になってから書かれた物ばかり。時が経ち過ぎて記述が曖昧なんですの。当時を綴ったものは、その後数百年の間に起きた数多の戦乱によって多くが失われたと聞いておりますし」
確かに、当時のことを話すには長い年月が流れすぎている。文献が残っていないとしてもおかしくはない。ただ、この場には文献以上に詳しいと思われる人物がいるはずだ。それこそ、ある意味で生き字引とでも言えそうな人物が。
「静流さんにもわからないんですか?」
「……真名の記憶ではわからないことが多い。こと、妖星に関しては」
目した人物――静流は、それこそ自責の念に駆られたように首を振った。記憶は万能なものではなく、当時の全てを把握しているというわけではないらしい。
静流とて、明かされていない史実を追求できない現状が口惜しいのだろう。そもそも、静流がどれほどの記憶を思い出しているのか颯太の知るところではないが、過去がわかりそうでわからないという状態は辛いだろうということは容易に想像できる。
「闇に堕ちたくせに、いつまでも星だなんてな。昔の奴等はお綺麗過ぎる。星屑、いや、いっそのこと隕石とでも呼んでやればよかったのに」
直弥が嘲るようにして悪態をついた。衝撃の後の発言がこれとは。静流とは逆に過去のことなどどうでもいいのか、散々な言い草だ。真名の記憶があるとなしではここまで態度に差が出るものなのか、その目は完全に笑っていない。
「そんな風に言うのはよくないわ。かつては……仲間だった人たちなのよ」
「あれ。倉間の姫は妖星に同情でもしてるの?」
咎める結月の言葉を面白がるようにして、直弥は肩を竦めた。
「姫は優しいねぇ。そういうところは君の美徳だけど、祓師の世界じゃ生きにくいだけだ」
「……向いてないって、言いたいの」
「そう取ってもらっても結構。妖星ってのは闇を祓う側でありながら闇に堕ちるくらい本末転倒で、子孫である俺たちに尻拭いさせるような大馬鹿者だぜ。おかげで宿命だかなんだかわからないが、俺達は真名なんて大層なものを持って生まれてきちまったんじゃないか。そんな元凶に同情なんて、俺ならとてもとても」
笑顔で言い捨てる直弥の台詞に苛立ちの原因を見た気がして、颯太は聞き返した。
「宿命?」
「闇堕ちした元九曜を祓う、それが残された五家の宿命の一つだ。だが、今までは安穏に構えていた。事実、数百年何事もなく過ぎてきたし、俺達には関係ないと高を括っていても責められないと思いたいくらいだ。なのに、今更」
「五曜始まって以来の名持ちなのに、その意味も考えず暢気にしているからよ」
「あのなぁ、姫。名持ちだからって、真名があるってこと以外、俺達と姫に違いはないんだぜ。盟主のように記憶があるわけじゃなし、そう深刻に捉えちゃいなかったんだ」
「だから、名持ちにあるまじきその姿勢を疑うと言っているの。私が名持ちだったら、そんなことは絶対に言わないわ」
「たらればで議論してもしょうがないだろう?」
「でも、真名にちゃんと向き合って同調できていれば記憶だって」
結月と直弥の言い争いが――主に結月の強めの攻勢だったが――白熱し始めた時だった。冷たい声がそれを遮った。
「いい加減、ないものねだりはやめたら」
それまで黙っていた遊璃が、短く言葉を発した。一瞬だが明らかに不機嫌さを垣間見せた、攻撃的な口調だ。結月の言葉の何かが彼の気に障ったのかもしれない。だが、遊璃は会話を一刀両断したきり、また沈黙に戻ろうとする。
結月は反論するかと思いきや、意外にも口を噤んでいた。ただ、眉根はぐっと寄っているし、唇も今にも開かんとばかりにふるふると震えている。どうやら、気持ちと行動が相反しているらしい。そんな結月を眺め、直弥は困ったように笑うと遊璃を窘めた。
「相っ変わらず、お前は会話が下手だな……。女の子はもっと優しく扱うべきだぞ」
「……優しくって、どうやって」
「まあ、お前みたいなお子ちゃまには、女の子の心の機微を把握するのは難しいかもしれないな。俺を見習っていれば問題ないよ」
「それって、まさか直弥の真似しろってこと」
「そう、いいお手本だぞ」
「……パス」
遊璃はだるそうに溜息をついた。聞いて損をした、というような顔をしている。「ええっ何で」とおちゃらける直弥に対し、莉華子がじろりと目を向けた。
「直弥さん、遊璃に変なことを吹き込まないでくださる?」
「えっ、俺が怒られるの!?」
「当たり前ですわ。こんな大事な話をしている時に」
「そう怒らないでくれよ。数百年ぶりの妖星出現って話に、皆、気を持っていかれすぎだ。……まあ、俺もだけどな」
直弥の言うとおりだった。全員が黙りこくっていた時とは別の意味で、非常に気を遣う空気だ。
しかし、約一名違ったらしい。殺伐とした室内に居ながらそれをまったく気にもしない様子で、杏寿が首を傾げた。
「妖星って、祓った後はどうするの?お墓とか作るのかなぁ」
「なんだそれは……。さっきも言ったが、妖星は情けをかけてやる相手じゃない。そもそも、妖星が果たして未だ人でいられているか、疑問だしな」
「……?」
憂鬱そうに告げる言葉の意味がわからなかったらしい。杏寿がさらに首を傾げた。直弥はため息とともに言い直す。
「話が通じる相手かどうか、ってことさ。完全に闇に取り込まれている可能性が高い。そもそも数百年も生き続けているだなんて、完全に人の理を外れてるだろ」
「そんな……」
直弥とて考えたくはないが、その可能性は大いにあるのだった。闇堕ちした後のことなど、本人以外は誰も知ることは出来ない。その本人ですら、人格も人型も失い既に妖魔側の住人になっていれば、何も語ることは出来ないはずだ。
数百年の時を経て、記憶のない九曜と闇に堕ちた九曜が再会することに、いったい何の意味がある――直弥は内心で吐いた毒が、自らに浸透していくのをただ感じていた。当然ながら、それは答えなどもらえない、行き場のない思いだとわかっている。
「こういうのは癪ですけど、直弥さんに同意しますわ。本当に敵が妖星なのであれば、警戒を強めるべきです。相手は腐っても元九曜、強さは単なる妖魔の比ではないはず」
莉華子が神妙な顔で上座を見上げた。視線の先からは、「無論」と声が下りてくる。
「三人のうち誰を引き摺り出したとて、そう容易く事は運ばないだろう。だが幸いにも、我々はまだ先手を打てる状況にある」
「本当に……やるんだな」
最早確認するまでもない直弥の問いは、今までになく真剣味を帯びていた。
「そのために僕たちはいるのだからね。まずは、式神と思われるあの妖魔たちを捕獲し、主を辿る」
「なるほど。どうせ一戦構えるのが避けられないなら、こいつを狙われて後手に回るより逆に攻めたほうがいい」
ちらりと視線を向けた直弥と、颯太の目が合った。一つ大きく息を吐いた後、直弥はきっぱりと気持ちを切り替えたらしい。その表情は、既に祓師のそれになっている。
「と、いうわけでだ。颯太君」
唐突に、颯太は直弥に両肩を掴まれた。それこそ逃げられでもしないように、がっしりと。
「はい?」
颯太が瞬時に感じた嫌な予感は、次の一言で確信に変わった。
「妖魔の餌……じゃない、囮になってくれないか?」




