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煉獄のバラッド -九曜伝-  作者: 宮崎
運命は夜明けを待つ
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#24 中学生・平杏寿

 カラカラ、と自転車のペダルが空回る音がした。

 あたりは既に薄暗くなってきていたが、隣を歩く杏寿の姿はまだきちんと視認できる。ただ、颯太の視線は先ほどからずっとどこか遠くを見ていた。心ここにあらず、といった感じだ。


 杏寿は自転車を押して歩きながら、そんな颯太の顔を覗き込んだ。


「颯太君、考え事してるの?」

「――あ、ごめん。ちょっとぼうっとしてた」

 

 弾かれたようにして、颯太は杏寿を見つめ返す。あからさまに我に返った風の颯太に対し、杏寿は咎めもせずにこりと笑った。


「ううん、いいよ。静兄となんだか難しい話してたんだもんね」

「聞いてたの?」

「聞いてないよ。でも芙蓉ちゃんが来るときって、静兄はいつも大切な話をしてるみたい。だいたい人払いをするの。だから、さっきもそうなのかなって。ふふ、颯太君の顔、百面相みたいにコロコロ変わってて面白かった」


 思い出し笑いをする杏寿は本当に楽しそうだ。


 難しい話。大切な話。

 静流から聞いた全てがそうだった。そして最後の静流の言葉は、聞き逃せないものだった。それなのに、その意味を尋ねようとしたところで庭から全員が引き上げてきたせいで、有耶無耶になってしまったのだ。颯太はこうして、帰る道すがら、その言葉の意味について考えることしかできない。


 ――真名が持つ、記憶。


 静流の言葉が意味するところはやはり、数百年前に生きた九曜の記憶、ということになるのだろうか。

 『名持ち』とは、九曜を前世に持ち、数百年の時を経て転生した存在で。それならば、今になって九曜が転生した理由というものも、確かに存在するのだろうか。


(――そして、俺も)


 失われし十番目の真名の持ち主の記憶が、颯太の中のどこかに眠っているとして。

 それを思い出すことかできるかもしれない、と静流は言った。そんな不思議なことが起こりえるのか、颯太にはわからない。それを思い出したところで――自分はどうすればよいのかも。


「五曜の人たちって、なんだかすごく不思議だ」

「ん?どうして?」

「だって、あんな力を持つ祓師で、前世の記憶を持ってて」

「あ、違う違う。記憶を持ってるのは静兄だけだよ」

「えっ、そうなの?名持ちは四人いるんだろ?」

「うん、直兄や莉華子ちゃん、遊璃君は真名を持ってる。でも、記憶を持ってるのは静兄だけ」

「なんで静流さんだけ?」

「それはよくわかんないよ、あたしは名持ちじゃないもん。ただ、静兄は小さい頃に真名の記憶を思い出したんだって。皆がびっくりするような昔のことを、たくさん教えてくれたの」


 確かに静流は、失われし十番目の真名という、文献上にないということまで知っていた。昔話も、まるで当時を生きていたかのように語ってくれたのは、(いにしえ)の記憶があったからなのだろう。


「じゃあ、直弥さんたちはまだ思い出してないだけ?」

「うーん、どうだろ。名持ちの皆にその話をすると機嫌が悪くなるから、あんまり聞きたくないんだぁ。特に直兄には……」


 言いかけた杏寿が、もごもごと口を噤んだ。どうやら色々と事情があるらしい。

 颯太は五曜の人間関係に首を突っ込むつもりはなかったし、たとえそうなるにしても今のところはまだ遠慮もあった。特に会話に深入りせずにいると、杏寿は会話を強引にまとめるように、えへへと笑った。


「だから、記憶を持つ静兄が五曜の盟主なんだ。他の家のおじちゃん達より知識が豊富だし、もちろんすごく腕のいい祓師でもあるんだから」

「うん。色々と話してくれてありがとう」


 颯太は軽く頷いてから、ふと、気になっていたことを尋ねた。これは、静流に話を聞いたときには流してしまったが、後になって考えてみると湧いて出てくる疑問だ。


「そういえば、平家には名持ちがいないんだよね?」

「あ……うん。私が真名を持っていればよかったんだけど、開眼の儀で宣告がなかったんだ」


 話題を変えた矢先、それまでにこにこしていた杏寿の表情が曇った。


「開眼……って、巫女さんが魂を視るっていうあれ?」

「そう。生まれてすぐに、五曜の人はみんな開眼の儀を受けるんだよ。そこで自分が持つ能力の質や量を視てもらうの。静兄たちは、そのときに真名があるってわかったみたい。でも、平家には誰も真名を持つ人はいなくて。どうしてうちだけ……」

「ご、ごめん、落ち込ませて……」


 颯太は慌ててフォローしようと言葉を探した。

 まさか、名持ちがいないということがこんなにも深刻な顔をさせるとは思いもしなかったのだ。しかし、部外者である颯太は、そもそもかける言葉など持ち合わせていない。


 どうしようかとおろおろする颯太の様子がおかしかったのか、それまで顔を曇らせていた杏寿は、肩の力が抜けたように笑った。


「……いーの。こっちこそごめん。静兄にも気にしないようにって言われてるから」

「そっか」

「うん。それに私は婆様に結構素質があるって言われたから、頑張って修行してるんだよ!来年やっと試術を受けられるの」

「試術?」

「えっと、試験のことだよ。合格したら祓師として認められるの。結月ちゃんも、この間の妖魔討伐で合格したんだけど、知らなかった?」

「え。あれ、試験だったんだ……」


 今度は颯太が脱力する。


 颯太にとってあの日の出来事は、妖魔に食べられかけるという恐ろしい非日常の一幕だったのだ。それが、五曜にとっては祓師になるための単なる試験だったとは。力を持たない颯太には想像もできない世界だ。


 そんな五曜の中にあって、杏寿はどちらかといえば普通、という印象だった。

 まだ祓師ではないからか、それとも天真爛漫な性格ゆえか。他の五曜――結月や莉華子たちが持つ煌びやかな世界とは違った、素朴な親しみやすさがある。


「あ、もうここでいいよ。送ってくれてありがとう」


 有刺鉄線のある空き地の前で、杏寿が唐突に足を止めた。


「え、ここ?」


 颯太はあたりを見渡した。空き地の奥には、その先獣道になりそうな山の入り口があるだけで、どう見ても自転車で走れるような道らしきものはない。


「うん、この山の中通って帰ればすぐだから」

「もしかして、行きもここ通ってきたの!?」

「そうだよ?いつも探険してるし大丈夫だよ。今日はちょっと不注意で転んじゃったけど……」


 どうやら、探険と称してこの山を通行しているらしい。

 道理で、泥だらけで倉間家にやってきたわけだ。自転車の車輪もよく見れば少し歪な形になっている。転んだ拍子に変形したに違いない。


「もうすぐ夜になるし、足元が暗いとますます危ないよ」

「でも、この山を迂回すると遠くなっちゃうもん」

「仕方ないよ、あっちの大通りに出てちゃんとした道沿いを行こう。だいたい、この山は私有地って看板が出てる。持ち主以外入ったら駄目だ」


 颯太は空き地に立つ看板を指差した。

 それには、『この山、私有地につき無断で立ち入るべからず』と大きく書かれている。これで諦めさせようとした颯太だったが、杏寿はこともなげに頷いた。


「うん、だから私は入っていいんだよ。この山、うちのだから」

「えっ……なんて?」

「だから、この山は全部うちの土地なんだよ?」

「…………」


 颯太は山を見上げた。倉間の屋敷以上に、果てがわからない。

 杏寿はこちら側に近いなどと、少しでも思った自分が莫迦だった。これは確実に、ヘクタール単位の土地だ。大金持ちだ。


(五曜の人たちっていろんな意味で別世界に生きてるな……)


 颯太は改めて、杏寿を含む五曜と自分との違いを認識した。







 颯太と杏寿は山を迂回し、大通りへ出た。杏寿を家まで送るはずが、気づけば颯太の家のほうが近くにあるところまで来ている。あたりはすっかり夜だ。最寄駅の商店街の明かりが見えてくると、杏寿は楽しそうにはしゃいだ。


「へー、こっちまできたことなかったけど、すっごい賑やかだね!」

「まあね」


 颯太にとっては当たり前の光景が、杏寿にはだいぶ物珍しいようだ。きょろきょろと周囲を見渡していたが、ふと、とある建物の屋上付近で視線を止めた。


「ん……なんかヘンなのがいる」

「ヘンなの?」


 颯太は杏寿の視線を辿って顔を上げた。そして、「げっ」と声を上げる。

 屋上には、二つの影があった。人型だが、少し変わったオプションがついた生き物。獣の耳と尻尾と、羽と――。


「あいつら、なんでまたいるんだよ……!」

「え、颯太君の知り合い?」


 颯太はぶんぶんと首を横に振った。知り合いといえば知り合いだが、友好的な間柄ではない。

 烏少年と狐少女は、屋上から眼下を見下ろしていた。何か探し物をしているようだ。

 

(もしかして、俺を探してるのか)


 一歩後ずさり、どうしようかと考えた。少年少女に見つかっては厄介だ。

 

「颯太君、あの二人って」


 杏寿の言葉はそこで途切れた。屋上の少年少女の視線がこちらへ向いたからだ。

 颯太たちと、少年少女、双方の瞳が大きく見開かれる。屋上の二人の顔は満面の笑みで輝き、反対に颯太の顔には悲壮感が浮かんだ。


「ま、まずい!逃げないと!!」

「えっ、そ、颯太君!?」


 颯太はとっさに杏寿の手を掴んだ。

 杏寿の自転車が音を立てて倒れるのにも構わず、今まで来た道を引き返し、走り出す。


「ど、どうしたのっ颯太く……!!」


 息を切らしながら杏寿が声を張り上げたときだった。通り過ぎようとした建物と建物の隙間の路地から、ぬっと何者かの手が伸びた。


「きゃあっ! 」

「杏寿!?」


 強い力が加わって繋いだ手が離れたのに気づき、颯太が振り返る。驚いた顔の杏寿の身体が傾ぎ、路地へと消えていくところだった。


「待っ――!」


 慌てて駆け寄ろうとした颯太は、背後に迫るもう一つの手に気づかない。顔の両側から突如現れた手が、一瞬だけ見えた。


「……くっ!」


 目を見張った時には、もう遅い。颯太の口は強く塞がれた。

 そして、颯太は身体ごと、路地の奥へと引きずりこまれていった。

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