#00 闇に潜む
「――あなた、生きてるの?死んでるの?」
少女は振り向き様、開口一番に蓮見颯太にそう問いを投げかけた。
何か不思議なものを見つけたといわんばかりに、好奇心に彩られた瞳を大きく見開いている。ただ、颯太に対して若干の警戒心も持ち合わせているらしい。その証拠に、長い睫毛が忙しなく瞬いた。
一方、僅かに口を開きかけた颯太は動きを止めた。
ほんの少し前からの驚きの連続――そのダメ押しに、言葉が出てこない。
目の前の少女の顔に、颯太は見覚えがあった。
倉間結月――昨日、颯太が通う高校の隣のクラスに転入してきた女の子だ。記憶違いの人違いでなければ。
なぜ、倉間結月がこんな真夜中過ぎに、閑静な住宅街の、それも二階建ての民家の屋根の上に堂々と立っているのか、颯太にはさっぱりわからなかった。
というより、わからないことは他にもたくさんあるのだ。
なぜ、自分は今、民家の屋根の上のさらに少し上、つまり宙をふわふわと浮遊しているのか、とか。
現代日本は銃社会ではないにもかかわらず、倉間結月が右手に握り締めているのは、どう見ても銃に見える、とか。
それから――。
遠くで、ばさり、と羽音がした。
夜の闇に紛れ、羽音の主の姿は見えない。が、二人が見下ろす道路の先にある袋小路のほうから、存在の証のように小さな旋風が吹き付ける。
(あの暗闇の奥にいるのは、なんなのか――とか)
颯太の視線の先を追い、倉間結月が暗闇に目を向けた。軽く眉根を寄せ、面白くなさそうに唇を引き結ぶ。
「なんだ……まだ足掻くつもり?」
倉間結月には、そこに潜むモノが見えているらしい。
声に反応するようにして、袋小路の奥から幾度か羽ばたく気配がした。
威嚇なのか、抗議なのか。先ほどより強く巻き起こる風に、胸元に流れ落ちるウェーブがかった柔らかそうな髪と、それを纏める細いリボンが攫われて揺れる。
「ふぅん。やる気なわけね。――いいわ、今度こそきっちり祓ってあげる」
手にした銃はそのままに、耳元に添えて風に靡く髪を押さえると、倉間結月は風上へ向き直った。
着ているセーラー服の襟やプリーツスカートの裾は踊るようにはためいているが、気に留める様子はない。
ふいに、夜空を覆う分厚い雲が途切れ、月が顔を出した。
満月だったのか、とその時になって颯太は気づいた。普段、月の満ち欠けを気にしたことはほとんどない。だが、今夜に限っては、別だ。
暗闇に閉ざされたと錯覚しそうなほど夜の帳が深い真夜中の街に、あまねく光が差し込む。救済のように思えて、僅かに安堵した――刹那。
轟、と風が唸った。と同時に凄まじい突風があたり一面に吹き荒れる。
風圧を受けて木々が一様に薙ぎ、木の葉が激しく擦れた。
(――来る!)
本能が危険を察知した。
闇に潜む得体の知れないモノが、また、颯太に襲いかかろうとしている。
――満月の夜には何かが起こる。
たしか、寝る前に聞いたそんな不吉な言葉を、颯太は思い返していた。
嫌な予感が胸中を占めていく。これ以上、事態が悪化することは避けたい。
なぜなら既に――“何か”は、起きてしまっているのだから。