7話 ふとした疑惑
小鳥が囀る声が、風に乗って聞こえてくる。
その歌声をBGMに、私は和綴じの書物の世界に浸っていた。
前後左右と、隙間なく積み重ねられた書物の数々。
一冊一冊が、持てば腕の軋る音を部屋に響かせるくらい重い。しかも、この全てが薄暗い『黒魔術』に関する物ときた。
思わず吐き気を催す描写もあったが、それでもやはり魔術。私がいた現代には、存在するはずのない憧れの概念だ。
読めば読むほど、胸の高鳴りを抑えるのが辛くなってくる。
「本当に異世界に来たんだ」
思わず呟いてしまってから、私は慌てて首を横に振るう。
……この歓喜に支配されてはいけない。
周囲との温度差を生まないように、感情をコントロールしなければ……。
浮かれすぎては、またグランエンド滞在時の二の舞になってしまう。
あの時は浮かれすぎて、親友の裏切りを見破れなかったのだから。
「ふぅ……終わった」
読み終えた魔術書を、漆塗りの文机に放り出した。
すでに、そこには読み終わった書物が山積みされていた。もはや、文机というよりも『文机の形をした本の山』と表現した方がふさわしいかもしれない。
「でも、こんな魔術を何に使うの?」
私が今までに習得……といっても、本で学びとった内容は『黒魔術師』、というより『死霊魔術師』に近い。
具体的な魔術例を挙げてみよう。
①浮遊する霊魂を意のままに操る。
②死体に仮初の魂を吹き込み操り人形にする。
③悪霊を使って祟りを起こさせる。
④霊魂を火種代わりに燃やしたりとかする。つまり、火の玉。
……などなど。
霊感があるから幽霊を視ることに耐性はついているけど、それを操るなんて。
正直、薄気味悪くてたまらない。
幼少の頃は幽霊が怖くてたまらなくて、悲鳴を上げていた。だけど、徐々に『あ、いるな』程度まで恐怖感が薄らいでいったことを考えると、いつかは慣れるのかもしれないが。それでも、薄気味悪いことこの上なかった。
……というか……なんだろう、この黒魔術魔術。
「私って、漫画やゲームで言うところの悪役キャラ?」
中盤辺りで登場する、死者を冒涜する残虐非道な行いを繰り返し、最期は主人公に成敗されるキャラだ。
「この場合の主人公は、香奈子だったりして」
次の本を手に取りながら、ふとその光景を思い浮かべてしまう。
地平線まで覆い尽くす死体が、ゆらゆらと行進する。
その進路を遮るように、香奈子が仁王立ちするのだ。穢れを感じない純白の衣をワンピースを纏った香奈子は、苦しそうに顔を歪めながら、黄金の杖を振る。すると、腐敗臭漂う死体は浄化されていく。
『澪ちゃん!なんで、なんで道を踏み間違えちゃったの!?こんなの、おかしいよ!』
『アンタが裏切ったせいだ!!』
血糊が付着した鎌を禍禍しく振り降ろす。しかし、その鎌は香奈子の杖に阻まれる。
香奈子は仲間が駆けつけるのを制して、震える声で私に向き合う。香奈子の涙が溜まった瞳は、私の百鬼の形相を映し出しているに違いない。
『どうして、澪ちゃんは……こんなことする子じゃないよ!私は、親友と戦いたくない』
『ふざけるな!誰が親友だ!!』
狂気の形相を浮かべた私は、鎌を持つ手に力を入れる。
『アンタは、いつもそう!全てを持って生まれてきたアンタ、その上『加護』まで貰ったアンタには分かるわけない!
たいして才能のない、私の気持ちが!!』
激昂とともに、死霊が大量に地面から湧き上がる。
香奈子の取り巻きが、愛しの天女を護ろうと駆け寄ろうとする。しかし、香奈子の悲しみに暮れ、それでもなお決意を秘めた瞳を見て、思いとどまるのだ。
『ごめんね、澪ちゃん!私は澪ちゃんのこと、分からない。どうして、こんなことをするのかも。
でもね、これだけは分かるの。澪ちゃんは、私の親友だってことは。そして、今苦しんでいるってことも」
黄金の杖からは、光が満ち溢れはじめる。
いや、香奈子の全身から黄金の光が立ち上っているようだ。私は光に思わずたじろいてしまう。
『だから……だからこそ、澪ちゃんを助けてみせる。その苦しみから、救い出して見せる!!』
涙ながらに、トドメの魔術を執行し始めた。
もちろん、私は防ごうと試みるのだが、太刀打ちすることが出来ず―――辺りは光に包まれ、そして――
「……想像するのは、いったん止めようか」
本当に起こりそうな展開だし。
どうやって回避するかは、いったん置いておこう。今の私がするべきことは、最悪の未来を考えることではない。少しでも、黒魔術について勉強することが最重要課題だ。
再び本に目を落としたが、その時だ。ふと、こんな疑問が脳裏を横切る。
「それにしても、どんな作戦で使うのかな?」
まさか、敵国の長を呪い殺せ!とか言いだしたりして。
そんなの、ハッキリ言ってお手上げだ。
言っておくが、私はまだ本で学んだ程度。実践で、そんな高度な魔術が使えるわけがない。
全力で挑んだとしても、軽い風邪をひかせるのがやっとだろう。
「使い道が気になるのか?」
「そりゃ、もちろん……って、んなっ!?」
ふと、振り返るとゼクス・エドネスが柱に背を預けていた。
まったく、先日に引き続き……いつの間に現れたのだろうか。この部屋から一歩も出たことがないのでわからないが、もしかしてドアとは別に『秘密の入り口』でも存在していたりして。
「ほう、もうここまで読み進めたのか」
ゼクスの視線は、文机が視えないくらいに積み上げられた本の山に向けられる。
「読めたのか」
「読めますよ」
御丁寧にも、文字は全て日本語で書かれていた。
文机や巻物、書物形態や土壁と木造りの家屋、そして青年の着物から察するに、ここは日本に近い風土なのかもしれない。
窓の外に目をやれば、龍炎寺を思い起こす白石が敷き詰められているし。
それにしては、名前は西洋風だ。
いったい、どういうことなのだろうか……?
「本当に読めたのか?」
「だから、読めましたよ」
ゼクスの青い瞳が、きらりと怪しく光る。
その瞳に、私は縛り付けられたように動けなくなってしまった。
今の会話の中に失言でも混ざっていた、だろうか?必死で思考を巡らせていると、ゼクスは意地悪そうに口を開いた。
「魔術の基礎知識を知らないが、文字は知っているとは妙な話だ」
衝撃が走る。
そう、言われてみれば奇妙な話だ。
例えるなら、一般常識もまともに分からぬ遠国の民が、流れ着いた異国の文字をスラスラ読み解いているのだ。それは怪しいこと、この上ない。
私は、言い訳をしようと必死に言葉を探す。
しかし、さらに追い打ちをかける様に、ゼクスは言葉を放ち続けた。
「しかも、身に纏う衣は西の大国『グランエンド王国』のものだ。
海流の関係で、お前のようにグランエンドの人間が流れ着くこともある。だがな、グランエンドみたいな大国が、エドネス国の特殊言語を学んでいるとは思えないのだが?」
ゼクスは柱から背を離すと、私へ歩みを進める。
ゼクスから逃げようと後ずさりするが、私の身長は150㎝で、加えてスカートから足を見せることが出来ない大根足。
対するゼクスは余裕で180㎝越える身長の持ち主。着物の裾から見え隠れする、すらりと長い脚は一気に私との距離を詰めた。
「貴様、もしや間者ではあるまいな?」
「違います!」
壁に貼り付けられたかのような圧迫感に逆らうよう、思いっきり言い放った。
だけど、その後はどうこたえようか。
異世界人だと、正直に答えてしまうか?
いや、さすがにソレはダメ。
天下統一という野心を抱いているうえに、こんな怪しげな黒魔術を欲している青年だ。
異世界人だと分かった途端、何をしてくるか分からない。
……いや、逆に異世界の知識を珍しがって、重宝してくれるのか?一体どうすればいいのだろう。
思考停止したいと訴える脳に鞭を打ち、必死で考えを巡らせる。
そんな私の心情を知ってか知らずか、ゼクスは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
そして、
「……まぁ……素質ある者なら、魔術書に手をかざすだけで内容を読み取れるというからな」
「えっ?」
拍子抜けした様に、ゼクスは私に背を向ける。
途端に、圧迫感からも解放され、へなへなとその場に座り込んでしまった。
汗も額やら背中やらから、待っていたかのように滲み出てくる。知らぬ間に息も止めていたみたいで、荒い呼吸を繰り返している私がいた。
「そ、それって……どういう?」
「赤髪…つまり、炎の素質のある者が『炎の魔術書』に手をかざせば、炎魔術の内容を読み取ることが出来る。
もっとも、その者の魔力に応じて、読み取れる量や内容に変化が生じるがな。
ほら、これは読めないだろ」
ゼクスは、小さな巻物を懐から取り出した。
……全く読めない。漢字に似た言語のように視えるが、どことなく違和感を感じる。どうやら、魔術書だから読み解くことが出来たらしい。
一安心したような、がっかりしたような複雑な気持ちだ。せっかく、異世界で母国言語と出会えたと思ったのに。
「さてと、それで。貴様は『黒魔術が、どのような作戦で使われるのか』が気になっているのだったな」
ゼクスが、脱線していた話の舵を戻す。
私は、足に力を入れて立ち上がった。
まだ、少しよろけてしまうが立てなくはない。軽く頭を下げて、話を乞うことにする。
「簡単な話だ。貴様は死霊を操るだけでよい」
先程から手にしていた巻物の紐をとき、はらりと広げた。
そこに記されていたのは、地図。軍記物で登場するような、城や兵力、そして進軍状況などが事細かに記されている地図だ。
そして、思わず眉間にしわを寄せてしまった。
「ここの国の名前って、『エドネス』でしたよね?」
ありえない。
何故、この状況下において『天下統一』を唱える気になるのだろうか?
額から汗がにじみ出てしまう。
目の前に広げられた地図に記されていた戦況は、直視しがたいものだった。
―そう、それは『素人』の私からでも理解できてしまう程に―
※一部訂正