73話 闇
そこにいたのは、ルーシェだった。
アーニャの姿を借りたルーシェは、静かな表情で私を見下ろしている。
もう、私は何も驚かない。この規格外の師匠が、何を知っていても不思議ではないように思えた。
だけど、1つだけ文句を言いたい。私は、ルーシェから目をそむけた。
「こうなるなら、言ってくれたらよかったのに」
あの時、言って欲しかった。
一言でもいい。私を送り出す前に、いや、山にいた時でもいい。もっと早いタイミングで、こうなるってことを教えてくれたら、と考えずにいられない。少なくとも私は、もっと別の時間の使い方をしていたはずだ。
「香奈子は、あんまり好きじゃなかったけど、あんな死に方していい子でもなかったのに」
ぎゅっと拳を握りしめる。
香奈子には、自分が何をしたのか、しっかりと理解してほしかった。
都合の良いようにとらえるのではなくて、やらかした真実と向き合って欲しかった。香奈子の視野を広げて欲しかった。それから死んだなら、まだ許せる。
でも、これはあんまりだ。
「あんなことになるなら、そうならない方法を探すことだって出来たかもしれないのに」
「出来たかもしれない? 馬鹿か、出来るわけないだろう」
ルーシェは、不機嫌そうに呟いた。
壁に背を預け、いつの間にか手にしていた葉巻に火をつけていた。
「仮に教えていたとしよう。お前は、信じたか?」
「……」
「どうせ分かることだ。止めることも出来ない。
負けた方が灰になる。人々の記憶から消える。それで終わりさ」
ルーシェは、葉巻を吸い始めた。
白い煙が、血色の悪い唇から吐き出される。煙は、渦を巻いて登って行く。その様子を、私はぼんやりと眺めていた。ゆっくり螺旋を描く煙を見ているうちに、ふと疑問が浮かび上がってきた。
「……どうして、師匠は覚えているんですか?」
あれほど入れ込んでいたアルフレッドでさえ、香奈子のことを忘れていた。
魔術に耐性のあるナナシも、香奈子のことを忘れている。
忘れているどころか、事象の改竄やら時間が止まるような不自然な現象まで起きていた。
「師匠、あなたは何者ですか?」
しかし、ルーシェは何故か覚えている。
あらゆることが規定外の師匠のことだから、何があっても驚かない。だけれども、やはり不思議だった。
ルーシェは、しばらく黙って煙草をふかしていた。ルーシェは、まっすぐ私を見ている。いや、私を見ているのではない。私の向こうにいる誰かを見ているようだ。その眼に浮かぶのは、哀愁だろうか。どこか切ない色が浮かんでいた。窓から差し込む光が橙色になった頃、ルーシェはようやく口を開いた。
「ちょうど、今のような夕暮れ時だった。私が、この世界に来たのは」
ルーシェは、この世界の人間ではない。
私と同郷から来たのか、それは分からないが、少なくとも異世界人と言う一点では同じだ。
だけれども不思議なくらい、驚きはなかった。ただ淡々と「そうなのか」と思う。もっと、なんだってー!?とか驚く反応を期待していたのか、ルーシェは私を一瞥すると、肩をすくませた。
「おい、もっと反応はないのか?」
「いえ、だいだい予想出来ていましたので。師匠が私達を落とした女神なにかだと言われても、別に驚きませんよ」
だいたい、香奈子を覚えているという段階で変なのだ。
その時点で、この世界の人間ではないという可能性が高い。だから、別に驚く事でもないのだろう。
ルーシェは、少し不機嫌そうに口を尖らせたが、すぐに元の表情に戻った。
「あんな女神と私を一緒にするな。私は、ただの人間だ。
私は、とある大国に落ちた。
いや、私だけではない。南蛮人……お前の言葉でいうと、外国人、というのか? の少女と一緒だった。金髪の碧眼で、まさに香奈子と同じような容姿だったよ。
それからは、お前がされた扱いと同じようなモノだった。いや、その外国人と『親友』どころか『知り合い』ですらない関係だった分、余計扱いは酷かった。
そうそうに処分されかけた」
ルーシェは、相変わらず遠くを見ている。
まるで、ここにいない誰かに語っているようだ。ルーシェは胸に軽く手を乗せ、言葉を続けた。
「通された部屋に火を放たれた。でも、私は死ななかった。
私は暗殺に警戒していたからな。こう見えても名門の出でな、暗殺を掻い潜って生きてきたのだ。そう簡単に死なないさ。
とにかく脱出した。その後、黒魔術を使い小国を乗っ取った。
その小国を発展し、豊かにし、大国を滅ぼした。……が、その時だ。一緒にこちらの世界に来た少女が老いて灰になり消えたのだ」
ルーシェは、目を伏せた。
当時のことを思い出したのだろうか。胸に置かれた手を握りしめる。気のせいか、少し震えているようにも見えた。
「彼女がいた痕跡は、すべて消えた。……私の記憶を除いて、な。
もちろん、最初は焦った。だが、吹っ切れた。そういうものなのだろう、と。
おいおい、怒った顔をするな。だいたい、あ奴と私は特に友人でもなんでもなかったんだ。住んでいる場所も文化も異なる……私にとって、彼女も異世界人みたいなものだった。
しかし……大国の一員として暮らしているうちに、1つ……奇妙なことに気が付いた。
消えた彼女が言っていた『女神』と言う言葉だ」
「女神?」
「そう、女神だ。
実は、私も会っている。彼女も会っていた。……あの薄暗い、吐き気のするような空間で、な。
だが!」
語尾が強くなった、と思った瞬間、何かが急激に迫ってくる。
咄嗟に、背後に仕込ませておいた霊体を防御に出させた。指を動かし、半透明な霊体を盾にする。だが、盾を作ってから気が付いた。霊体は霊体だ。実体のあるものに触れることは出来ない。だから、防げるわけがない。
「まずい……って、え?」
しかし、盾にした霊は迫ってくる何かをはじいた。
白い煙をあげながら、葉巻煙草が弧を描く。 私は、空を舞う煙草を呆然と見上げた。
「幽霊を集めて作った煙草だ。よく出来てるだろ?」
ルーシェの声が後ろから聞こえた。
だけど、振り返る時間なんて与えてくれなかった。
手で押されたかのように、ゆっくりと身体が前に倒れる。膝をつき、冷たい床に倒れこんでしまう。
大理石で作られた廊下に、たらりと赤い液体が広がっていく。
「私は、ここに来てから数百年……何人も同郷から連れてこられた奴を見てきた。
だがな、『覚えていない』というのは、お前だけだったぞ?」
それは、何処から広がっているのか。
私は赤い色の源を目で追った。広がり続けている赤い色は、じんわりとあふれ出していた。
「なに、安心しろ。ただ腹をナイフで刺しただけだ。死ぬだけだ」
ルーシェの声が聞こえてくる。
だけど、何を言っているのか理解できない。
暗い、視界がどんどん暗くなってくる。瞼が重くてたまらない。
「いいか、ミオ。今からお前は……」
声が遠のいていく。
音が遠のいていく。
色も、黒一色に塗りつぶされていく。
そう、暗い。
どこまでも、どこまでも暗い闇に包まれて………
気が付くと、暗い闇に浮かんでいた。
右を見ても、左を見ても暗い闇が広がっている。
いや、浮かんでいるのか、それとも沈んでいるのか。足を前に一歩踏み出してみるが、何も変わらない。踏んだ感触もないし、進んだ感じもしない。
「……ルーシェ?」
誰もいない。
声も闇の中に吸い込まれていくようだ。
腹に目をやると、先程まで溢れ出ていた血が一滴も付いていない。私は首をかしげてしまった。
「あら、ずいぶんと早く戻って来たものね」
声が聞こえる。
誰の声だろうか。辺りを見渡してみるが、暗闇の中に人の気配はない。きょろきょろと首を回す私がおかしいのか、クスクスと笑う声が聞こえてきた。
「誰? どこに隠れてるの?」
しかし、笑い声ばかりが耳につく。
私は、さきほど盾にした霊に探索命令を出そうとし……ふと、霊がいないことに気が付いた。
この暗い空間に迷い込んでしまった時に、置いてきてしまったのだろうか? 仕方ない、予備の幽霊を使うしかない。私はため息をつきながら、懐に手を入れる。
「だいたい、ここどこ?
私、城にいたはずなのに……ん?」
小瓶の中は、からっぽだった。
瓶に浮かんでいたはずの青白い霊魂が、1つもない。ふたを開けたところで、自由に出て行けないように処理してあったはずだ。なのに、なぜ全ていなくなってしまっているのだろうか?
「お馬鹿さんね。本当に笑いが止まらないわ」
こちらが悩んでいるのに、クスクスと笑う声はまだ続いていた。
いや、むしろ甲高く耳に障る音量になりつつある。私は何も入っていない小瓶を握りしめると、闇を思いっ切り睨んだ。
「ちょっと誰ですか? 姿を見せてください!」
「まぁ怖い子。さっきから私のことを睨んでくるなんて」
「……そっちにいるんですか?」
私は眼を細める。
相変わらず、気味悪いほどに深い闇だ。文字通り、一寸先をも見通せない状態なのに、どうして向こうは私のことが見えているのだろうか。
「澪も暗いのが怖いのね。そうね、それなら明るくした方が良いかしら」
そう言うと、ふっと身体が持ち上がった気がした。
思わず目をつぶると、次の瞬間、闇が一気に晴れた。
私は、草原に立っていた。夏草が生い茂り、足元でゆれている。モンシロチョウが、ひらひらと散歩でもしているかのように飛んでいた。赤い花に、蜜蜂が止まっている。上を見上げれば白い雲が、青い空を悠々と流れていた。
どうやら、ここは夏の草原らしい。
……しかし、相変わらず、この空間にいるのは私だけだった。
「……どこにいるの?」
「だから、さっきからいるでしょ?」
「まさか、あの蝶ですか? それとも、あなたは蜜蜂? もしかして、雲?」
「ふふふ、お馬鹿さん」
ふわり、と風が吹いた。
まるで、私の回答を笑うかのようだ。
「私は、この空間そのものよ」
「空間、そのもの?」
「そう、ここ全てが私よ」
風がまた吹く。
風景は夏なのに、あの蒸し暑いうだるような感じはしない。むしろ、沈丁花のような甘い香りを孕んだ暖かい春の風だった。
暖かい春の風に、心が緩みそうになる。だけれども、私はぱんぱんと頬を叩いた。
こんな怪しい空間で気を抜くわけにはいかない。
私は、いつでも逃げられるように腰を落とした。
「つまり、ここは貴方の腹の中?
私は、絶賛消化中ってわけ?」
「まぁ、腹の中なんて失礼な子だこと」
怒っているような言葉なのに、怒っている雰囲気はしない。
どちらかというと、いたずらした子供を見て困る母親みたいな声色だった。
「ここは、貴方のいた所。そして、帰るべき場所よ」
「いた所? ふざけないでくれませんか? 私、こんな草原は……」
「でも、心地よいでしょ? 貴方の好きそうな風景を集めてみたの。そうね……暗いのが嫌みたいだから、こうしたんだけど……こうした方がいいかしら?」
先程までの青空が、急激に暗くなった。
だけれども、仄かに明るさが残っている。 星が、1つ、2つと姿を現し始めた。そして、満天……とまではいかず、1等星、2等星が控えめ気味に輝いていた。なんとなく、小学校の時の星空教室を思い出した。
満天とは決して言えない、だけれども、そこには私が安心する様な星空が広がっている。
「どうして……?」
「どうしても何もないわ。ここは、私の世界だもの。
……まだ怖がってるの? 仕方ないわね……この方が話しやすい?」
夏草の間から、すぅっと白い足が現れた。
空気に溶け込んでいたかのように何も無い空間から、そっと足が出て、手が出て、顔が出てくる。それは、眩いくらい美しい女性だった。
香奈子のような美しさとは違う。
香奈子を太陽とするならば、この人は月の光を集めたような人だった。一瞬、アーニャを連想したが、すぐに違う時が付く。アーニャの肉体の方が、まだ人間味がある。
しかし、目の前の女性は……美しいのだけれども、まるで人形のようだ。
生きている感じがしない。作り物のようだ。
女性は、ゆったりと笑う。まるで、私を安心させるかのように。
「この方が、話しやすいですか?」
女性の細い唇から、言葉が紡がれる。
だけれども、声はそこから出ていない。この空間から声が響いていた。
私は、なんとなく声の主が分かってしまった。ほろり、と涙が出てくる。その涙を指で拭い、私は女性に言葉を投げかけた。
「貴方が……香奈子や師匠が言っていた女神?」
そして、とまどいながら言葉をつけたす。
ここに来る直前、私がルーシェに何をされたのかを思い出しながら……小声で言葉を付け足した。
「ここは、死後の世界……ですよね?」




