71話 重たい目覚め
重い。
暗闇の中、何かが圧し掛かってきている。
もがこうとしても、手足が動くことすら叶わない。この重みは、一体何なのだろうか?
苦しくて、苦しくて仕方なくて。動くことすらままならない。
「うぅ……」
呻き声が、口から洩れる。
この時、自分が瞼を閉じていることにようやく気がついた。
重たい瞼をこじ開けて、辺りを確認する。
白いカーテンが揺れている。その隙間から、太陽の暖かい光が差し込んで来ていた。
「ここ、は――って?」
その時、ようやく重みの正体に気がついた。
私の腹に圧し掛かるように、ソニアが寝息を立てていたのだ。良い夢を見ているのか、口から涎が垂れている。そんなソニアの後ろに立っていたのは――
「目が覚めたみたいだな」
ナナシだった。
相変わらず深編笠を被っているので、表情が見えない。だけれども、どことなく安心した様な声色をしていた。そんなナナシが、寝入っているソニアの肩を揺する。ソニアは飛び跳ねるように起きた。
「はっ、ご、誤解でござる、ナナシ殿! 別に居眠りをしていたわけでは無いで――って、良かった!! 目が覚めたでござるな、ミオ殿!! 心配したでござる!!」
一瞬、緊張したような表情を浮かべた後、ソニアは何故か嬉しそうに笑った。
私は何が起きたのか分からず、ただ茫然と2人を交互に見ることしか出来なかった。
「あの――一体、何が起きたんですか?」
「覚えていないでござるか!? 」
ソニアが目を丸くする。
私が覚えているのは、目の前で――急激に老いた香奈子が消えたところまでだ。
その後、何が起こったのか。全く覚えていなかった。右手で頭を抱え、何があったのか思い出そうとする。しかし、電気のブレーカーでも落ちた様に、唐突に記憶が無くなっていた。
なにも、分からない。
「ナナシ殿と地下牢に向かわれ、気を失ったでござるよ?」
「気を、失った?」
私は、顎に軽く指を添える。
気を失ったのであれば、あの後の記憶がないことにも頷ける。目の前で、香奈子が急激に老いて砂になったなんて超常現象を目にすれば、ショックで気を失うこともあるだろう。
いくら裏切り者であっても、あの最期は無いと思う自分がいる。
せめて、しっかり反省して欲しかった。それとも……あれは、夢だったのだろうか。
「それで、その、香奈子は? まさか、あのまま……」
「カナコ?」
ソニアとナナシは、不思議そうに顔を見合わせた。
そして、ソニアは
「誰でござるか?」
と、言いだした。
私は、こくりと首を傾けてしまう。これは、何かの冗談だろうか?
天女の本名が香奈子だということは、誰もが知っていたはずだ。私は、目を細めて問いただす。
「香奈子。私とナナシの前で、急に消えちゃった天女のこと」
「天女……天女……」
ソニアは、口の中で単語を繰り返す。
まるで、思い当たる名前を探しているように。その異様な姿に、私は思わずナナシに視線を向けた。
「ナナシさん! あなたなら、分かりますよね?」
「……」
ナナシは、何も答えない。
重たい沈黙の後、ナナシは静かに首を横に振った。
「そんな!?」
「すまないでござる。ミオ殿が誰のことを言っているのか、分からないのでござるよ」
ソニアが、申し訳なさそうに呟く。
背筋が凍った。たいして寒くないはずなのに、急激に冷え込んだような気がする。
裏表のないソニアが嘘を言うわけがないし、騙すとは考えにくい。もしかしたら、上司のエリザベートから「嘘をつくよう」命じられているのかもしれないが、たとえそうだと仮定しても……ここで、2人が嘘をついて何かメリットでもあるのだろうか。
少なくとも、私には何も思いつかなかった。
「これは……いったい、どういうことなの?」
ゆっくりと寝台から降りる。
ソニアが「まだ安静にしてるでござる!」と言うが、私は遮って立ち上がった。
ぐらり、と足元がふらつく。しばらく寝ていたからだろうか。なんとか姿勢を保った私は、そのまま扉へ向かう。
「ミオ殿!? どこへ向かうでござるか?」
ソニアの不安そうな声が、背中にかかる。
私は扉を押し開けながら
「アルフレッド王子、ブルース宰相、その他――あの子の取り巻きだった連中のトコ」
と言った。
2人は、何故か香奈子の存在を忘れている。
理由は分からない。だけれども、もし香奈子の存在が消えているとするならば、彼女とつながりが深かった奴らは、どうなってしまっているのだろうか。それを、確かめないといけない。
「あの子? いや、それよりアルフレッド王子達のところへ行くでござるか?
滅ぼしたとはいえ、敵国の王子でござる。危険で――」
「どうやって滅ぼしたの?」
ソニアの言葉を遮って、質問をする。
牢獄までの道は、なんとなく覚えている。だから、歩みを止めることなく尋ねた。
「えっ?」
「だから、どうやって滅ぼしたの? 私も参加してたと思うけど、貴方の口からもう一度言って欲しいです」
ソニアは、アルフレッドのことを「滅ぼしたとはいえ、敵国の王子」と言った。
つまり、グランエンド王国は――私の記憶通り、既にヴェーダ帝国の占領下にあるということだ。
ただ香奈子の存在が、消されているのだとしたら――グランエンド王国滅亡のシナリオが少し違っている可能性がある。そこのところを、確認しておきたかった。
「ミオ殿は、不思議なことを尋ねて来るでござるなー」
ソニアは、不思議そうに呟いた。
「グランエンド王国の式典に招かれたでござる。式典の最中、混乱を起こして籠城戦に追い込んだでござるよ。
その後は、ミオ殿とナナシ殿が食糧庫に火を放ったのでござろう? それを合図に一気に攻め込んで、降参に追い込んだでござる」
「でも、どうしてグランエンド王国は、籠城戦を選ぶしかなかったの?
こんなに大きい国なのだから、兵士はヴェーダ帝国より多いはずでしょ?」
「おかしなことを聞いて来るでござるな、ミオ殿。
グランエンド王国と、その同盟国は内乱が各地の内乱の処理に追われて、兵士をそちらに割いていたでござるよ」
「……そうですか」
歩きながら、私は考え込む。
確かに、その説明で間違いない。
式典中に混乱を起こして、攻め込んだのは事実だし、籠城戦から降参に追い込んだ下りも同じだ。内乱の処理で城の護りが手薄になっていたことも、私が知っている事実と同じだ。
ただ、1つ違うのは――そこに「天女」という言葉が出てこないだけ。
おかしい。
なにかが、おかしい。いったい、どうして強烈な印象の香奈子を忘れてしまったのだ?
「このさきに、王子たちがいるんですよね?」
かつん、かつんと歩く音が地下牢に響き渡る。
肌寒い地下牢は、数時間前と何も変わっていない。囚人たちが、力なく項垂れている。その様子を横目で見ながら、私はまっすぐ目的の牢を目指す。
「その通りでござるよ。重要参考人は、1部屋ごと隔離されているでござる」
「なるほど……この中のどこかにいるということですね」
ソニアが指差したのは、鉄扉だけが立ち並ぶ廊下だった。
私は立ち止まると、香奈子が閉じ込められていた牢を、なんとなく見つめる。そっと手をかけてみると、鍵がかかっていないらしい。ぎぃっと重重しい音をたてながら扉が開いた。
だが、その部屋には何もなかった。
生活した形跡はなく、あの汚物の臭いもしない。
文字通り「誰も使われていない」牢屋がそこに広がっていた。
「そこじゃないでござる。この2つ隣でござるよ」
ソニアの声が聞こえてくる。
香奈子がいた痕跡は、ここにはなかった。
数時間前まで、確かにいたはずなのに。あの生理的に受け付けない臭いは、1日2日念入りに掃除したところで落ちないはずだ。そこまでこびりついていたのに、どうして私が気絶した数時間で清潔な状態にすることが出来たのだろうか。
「ミオ?」
ナナシが声をかけてくる。
私は「なんでもない」と首を横に振った。
香奈子がいたはずの部屋を閉じ、ソニアが指した扉に手をかける。
そして、ゆっくりと――重たい扉を開けた。




