6話 剣となり盾となれ!
目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。
髪や肌から漂う、吐き気がするくらいの磯の香に嫌悪を感じるが、すぐに気にならなくなる。慣れた、というわけではない。本当に気にならないのだ。
ただただ、呆然とシーツに頬をつけていた。
「どうして、ここにいるんだろう?」
私は、『生きたい』と願った。
元の世界へ帰りたいとも、強く願った。そして、手を差し伸べてくれた救世主は、『私の才能』を捧げれば救うと言ってくれた。
返答は出来なかったが……こうして、私は生きている。
とりあえず生かして、話せる状態になってから―――利用価値を見極めるということなのだろう。
「でも、私に利用価値なんてない」
魔術の才能がなく、武術の腕が立つわけでもないし、特別頭が良いというわけでもない。女神の加護は無く、完全なる無一文の上に、この世界の情勢にも疎い。
そうだ。私は、なにも特別な能力がないのだ。―――これから、どうすればいいのだろうか。
「また、捨てられる?」
脳裏に浮かぶのは、『絶望』の二文字。
『異世界』に喜びはしゃぐ一時の感情に身を任せて、動いた罰が下ったのだ。
もう少し、周りに目を向けていれば……香奈子の考えを読み取っていれば、もう少しうまく立ち回れていただろうに。でも、それが出来ずに私は捨てられた。
そう、親友にも『利用価値なし』と判断され、捨てられた私なのだ。
見ず知らずの男なら、なおさら捨てることにためらいを覚えないだろう。
では、その後は?
未来の自分の姿を思い浮かべた瞬間、世界を占める灰色が急速に膨れ上がった。
路地の隅に縮こまり、嫌な顔をされて余命を生きる。
世界を平定するなんて出来ないまま、元の世界に変えることも出来ないまま、塵屑のように死んでいく。
「そんなの嫌だ!!」
「そうだ、その意気だ」
上から、声が降ってきた。
ゆっくりと身体を起きあがらせて見上げると、そこには1人の青年が佇んでいた。
白黒で彩られた世界で、青年は誰よりも冷淡な眼差しを私に向けている。その眼光の鋭さに、私は『あぁ、自分を助けてくれた青年だ』と直感した。
「貴様、名を何と申す」
青年は、堂々とした声色で口火を切る。
命令口調に慣れている様子と、どことなく和服に似た高級そうな衣を纏っていることから察するに、良家の子息なのかもしれない。
「斉藤、澪です。
苗字が斉藤。名が澪と申します」
「そうか」
それだけだった。
青年は、それだけ言うと懐から煙管を取り出す。私に目を向けながら、器用な手つきで煙管に火を灯した。
何か続きの言葉を言うのではないかと構えていたが、青年は何も言わずに煙管を吹かす。
「……あの、ありがとうございます。貴方が、救ってくださったんですよね?」
どことなく重い沈黙に耐えかねた私は、声をかけてみることにした。だが、青年は何の反応も返さない。煙管を吹かしながら、眼光を緩めることなく私を見下ろし続けていた。
いったい、この青年は私に何を望んでいるのだろうか。
そもそも、この青年の前で私は『なにも』していない。ただ、瀕死の状態で波打ち際に倒れていただけだ。なのに、この青年は『ありもしない私の才能』を欲している。
もしかして、私の身体を欲した?
いや、それはない。即座に私は否定する。
射殺しかねない冷徹な視線を除けば、某芸能事務所にスカウトされても違和感のない顔立ちだ。女に困っている青年には、全く見えなかった。
「何故、私を助けたんですか?」
「何度も言わせるな。俺は貴様の能力が欲しい」
「その能力とは、いったいなんでしょう?」
それを問うと、初めて青年の瞳に疑問符の影が浮かぶ。
「決まっているだろ。
その黒髪に黒目。貴様には『黒魔術』を扱う素質がある」
「黒魔術?」
私にも、魔術が扱えるということなのか?
だけど、グランエンド王国では確かに『私がミオ様に教えられる魔術はありません』『澪様にはいくら鍛錬しても、この魔術の才能が有りません』と正面切って言われてしまっている。
グランエンドの魔術師が『嘘』を言っていたのだろうか。
そういえば、御者が『黒魔術が何たら』と言っていたことをボンヤリ思い出す。
「魔術の素養は、髪の色で分かる。
俺の場合は、白髪だ。故に『氷魔術』の素養がある」
そう言いながら、煙管を咥えた青年は両掌を上に向けた。
ぼぅっと光を纏ったかと思うと、右手から白い冷気が渦巻き始めた。
「そして貴様は、黒髪。つまり、死霊を操る『黒魔術』の素養がある」
黒魔術。
死霊を操るという術は、なんとも女子向けではない。
眉間のしわが深まった気がした。
こんな魔術が使えると分かるくらいなら、いっそのこと知らなければよかったようにも思える。いくら『幽霊が視える霊感体質』とはいえ、まさかアイツらを使役する魔術が備わっていたなんて。ちょっと、微妙な気持ちだ。
だが、その反面……黒魔術を極めれば、これは香奈子への復讐に使えるかもしれない。
ホラーが弱点の香奈子だ。以前、一緒にお化け屋敷に行ったときなんて、一歩踏み入れた途端、悲鳴と共に抱きつかれたのを覚えている。
死霊で襲わせることが出来れば………いや、この程度は『復讐』というより『嫌がらせ』の域を出ないような気がする。
だけれども、黒魔術を極めることで何か良い方法が見つかるかもしれない。
そう考えると何だか、うずうずしてきた。
「私にも、魔術が使えるんだ……」
「まったく、呆れる。その年齢になるまで、知らなかったとはな」
よほど箱入りだったと見える、と侮蔑したような声色で青年は呟いた。
右手に渦巻く冷気を消し、煙管を持ち直す。だが、煙管を再び咥えようとはしなかった。青年は煙管の先端を私に向けると、口を開いた。
「俺の野望に『黒魔術』が必須だ。だから、選べ。
俺に忠誠を誓い、手足となって働くか。このまま街中に放りだされて、野垂れ死ぬか」
答えは決まっていた。
手足となって働く方が、野垂れ死ぬよりましだ。
無一文で、この世界の常識を知らない私が生きていくことは非常に困難な道だ。
だけど、……彼は、仮初でも忠誠を誓うに値する人物なのだろうか?
「黒魔術を使って、何をやろうと考えているのです?」
死霊を操る技だけが、黒魔術ではない。
特定の相手を呪い殺す呪詛の類や、ヤモリやカエルを使った魔法薬の作成も黒魔術に含まれる。
少なくとも、私が知る物語の中ではそうだった。
この青年が、いったい何を要求しているのか。いくら3つの決意を果たすため、手段を択ばないと決めた私であっても……要求によっては、青年の提案を蹴らなければならない。
「無論、天下統一だ!」
清々しいほどの声が、私を貫く。
その瞬間だ。灰色だった視界が、一転したのは。
月明かりを集めたような白銀に輝く髪の毛に、全身から溢れ出る高貴な雰囲気。冷淡すぎる紅い眼差しの中には、小匙程度の優しい微笑を孕んでいた。
「てんか、とういつ?」
「そうだ」
思わず聞き返すと、青年はキッパリと言い放つ。
その瞳に、野獣的な野望の光が宿る。怪しげに瞳をギラつかせながら、青年は言葉を紡いだ。
「ここは、強国に挟まれた弱小国だ。
だから、親父殿も『現状維持』しか考えておらん。
くだらない。実にくだらない。向上心を持たなければ、すぐに戦乱の世では喰われるというのに」
ここにはいない父を、思いっきり侮蔑する。
その侮蔑は、私に向けていた侮蔑よりも深い色を帯びている。この青年の視線の先には、天下統一が本当に掲げられているのだろう。だから、現状維持で満足する父達が許せない。
「俺の策が成功すれば、一気に天下統一を駆け上がることが出来る。
そのためには、どうしても『黒魔術』が必要なのだ。だから、手を貸せ」
私の口元は、自然と歪んていた。
面白い。これは、実に面白い。
天下統一。
まさしく、私の決意ではないか。
もし、この青年に力を貸し、野望を実現に導くことが出来れば……世界を平定することが出来れば、私は現実世界へと帰還することが出来る。
ある意味、この青年と出会えたことを、香奈子達に感謝しなければならない。
世界を平定するなら、グランエンドとも刃を交えることとなる。その時に、じっくり復讐も出来よう。
「分かりました」
寝台から足を降ろし、青年の前で片膝をつく。
この世界の『臣下の礼』なんて分からない。でも、自分なりに忠誠の意を示そう。
体育祭のクラッチスタートのような姿勢を取ると、握り込んだ右拳を心臓の上へと運ん部。そして最後に微笑を浮かべると、香奈子とは似ても似つかぬ冷徹な蒼い瞳を見上げた。
「貴方に忠誠を誓いましょう」
それに、この青年が『天下統一』を果たすところを見てみたい。
野望を実現できるのか、はたまた野望の実現を前にして、香奈子の加護に捕らわれてしまうのか。
行き先を見届けようではないか。
「分かればいい」
青年は腰に刺さった剣を、すらりと引き抜く。
日本刀に似た鋭く滑らかな鋼の剣は、右肩の上にそっと置かれる。
不思議と貫かれる心配はしなかった。
「ゼクス・エドネスの刃として身を捧げ」
流れる様に口上を唱える青年は
家の造りや道具は日本っぽいのに、名前は日本風ではないようだ。
内心、苦笑を浮かべた時に、今度は左肩に剣がおかれる。
「俺のために死ね」
ゼクスの声は、すぅっと心の隙間に入り込むようだ。
言っていることは物騒極まりないが、この男について行こう。そう感じるような魅力的な響きが含まれていた。
「頼むぞ、黒魔術師」
これが、斉藤澪の黒魔術師となる道の始まり。
そして、ゼクス・エドネスの剣となり盾となることを誓った瞬間だった。
……もっとも、元の世界へ帰るまで、だけど。
※8月20日:一部訂正