17話 遠い異国の出来事
気が付くと、ぽつんと立っていた
蜜色に染まった部屋に、ぼんやりと。
視線の先に映るのは、複数の影。それは、私が通う学校の制服を纏った一団だった。
(あぁ、クラスメイトだ)
良く視れば、友人の顔もちらほら見受けられる。
本当に、何も変化のない教室だ。陽光で暖まった机や椅子に寄りかかって、いつも通り安穏とした雑談が繰り広げられていた。
(帰ってこれた、のかな?)
元々の世界に帰ってこれたんだ。
私は歓喜を通り越した感情が、じんわりと心に浸みわたっていく。
何で帰ってこれたのか、それはひとまずおいておこう。まずは私も他愛もない会話に混ぜてもらいたくて、友人たちに駆け寄った。
だけど……
「知ってる?この間の新宿の交通事故!」
私の足は、自然と止まった。
「えー、何それ?」
「ほら、新宿の」
「あっ、知ってる!トレーラーでしょ。信号無視して歩行者にぶち当たったんだよね!」
「確か……斉藤さんが巻き込まれたんだっけ?」
あの事故のことだ!
ぴくんっと耳が立つ。
それと同時に、これが夢なのだと気がつく。いや、夢なのか、遠くの出来事をのぞき見ているのか。それは分からない。でも、ここに『斉藤澪』がいると誰も気がついていないし、誰も『斉藤澪』が聞いているとは思いもしていないことは事実だ。
不思議と、心配そうな声は1つも上がらなかった。
むしろ、喧噪は加速する。
まるで、昨日放送されたドラマの話をしているかのように明るく無邪気な声で言葉を交わし始めた。
「そうそう、で、アイツ死んだの?」
「さぁ……知らない。でも、学校に来てないよね」
「じゃあ、死んだんじゃね?」
「意識不明の重体で、植物人間?ってのになってんじゃないの?」
「こわー。そんな状態になるくらいなら、死んだ方がましでしょ」
「それよりさぁ、ほら見てよ!テレビ局っぽくね?」
1人の少女が、窓の外を指さした。
釣られて眼下を見下ろすと、校門の前にワゴン車が止まっていた。白いワゴン車からは、リポーターらしき女性と、カメラを持った男が出てきている。
とたんに、場が色めきたった。
「マジで!?やったー、斉藤の友達ってことでインタビューされるかも!!
テレビデビューだ!!」
「ちょっと、アンタが澪と話したところ視たこと無いいんだけど」
「んじゃあ、同級生ってふれこみで!間違ってないでしょ?」
「テレビに出られるんだから、澪っちには感謝感激だよね!」
「ねー!!」
「ちょっと髪の毛とかさないと。ボサボサだもん」
「バカ、頭なんて映らないっての」
……嬉しそうに言葉を交わす同級生を、遠くから眺めていた。
距離的には、彼女たちの近くにいる。でも、果たして本当に近くにいたのだろうか?
誰も、私のことを心配していない。
同級生が死んだ、と言う事実よりも、テレビに出られるという事実の方が彼女たちには重要なのだ。
鉛を飲み込んだような、窮屈で苦しい気持ちになってくる。
彼女たちは、私の本当の友達ではなかったのだ。いや、親友の香奈子が裏切っていたからこんなこともあるだろうなと考えたことはあったが……
(元の世界に帰っても、あの輪に戻る自信がない)
この光景は現実ではない。いや、現実かもしれない。
それと同時に、どこか遠い異国の出来事のようにも感じられた。
そう……『人の死』を知らない、不思議な世界の話に。
例え、彼女たちに今の状況を事細かに説明しても分かってくれないだろうし、理解してくれるとは思えない。
むしろ『分かるよ』と言われても、たぶん本当の意味で『分かる』人は誰もいないのだろう。
―――でも、貴方は帰りたいの?
貴方を『分かる』人は、誰一人としていない世界なのに?
それでも私は、あの世界に帰りたい。
こんな生きるか死ぬかの世界にはいたくない。食べ物に困ることも住処に困ることもない、誰かが守ってくれる、元々の世界に帰りたい。
もっとも、その前に全てを裏切った香奈子に復讐してから……だけど。
「キャン!」
目を覚ました視界に飛び込んできたのは、あの子犬だった。
相変わらず毛艶は悪いが、記憶にある子犬よりも幾分か綺麗になっている気がする。微かにだけど、獣臭さが減り、その代わりに石鹸のような甘い香りが漂っていた。
「子犬……」
「あら、気がついたのね」
起き上がると、そこには先程の女性が立っていた。
(そうだ、瓶!!)
人の魂が入った瓶なんて、他の人に見せられるものではない。
足元に置いてあった鞄を抱きしめ、中身を確かめる。
……良かった、瓶の中に浮かぶ燐光の数は記憶にある通りの数。ふたが開けられた形跡もない。どうやら、瓶は無事のようだ。
「何か大切なモノが入っていたのかしら?」
その問いには答えない。
私は鞄を抱きしめなおすと、やっと辺りを見渡す余裕が出来た。
触れると崩れそうな土壁で覆われた、小さな部屋らしい。最小限の家具しか置いておらず、数歩離れた所に寝具が畳まれている。
「ここはカナンの宿屋よ。あぁ、安心して。私が払ってあげるから」
「……」
女の顔をまじまじと見上げる。
労わるような声と、柔らかな瞳。だけど、その奥に光るのは厳しい色だった。
額から目元にかけて、生々しい傷跡が掛ける。
とてもじゃないが、異世界人の私から見ても『普通の農婦』には見えない女性だ。
いったい、この女は何者だろうか?
「大変だったでしょ、黒髪だものね」
「黒髪……っ!」
そうだ。
この女性に助けてもらったのは、編笠が外れたからだ。
誰もが忌避する黒髪を視ても、この女性は石を投げてこなかった。むしろ、私の命を助けてくれた―――?
(娼館にでも売るつもり?いや、むしろここが娼館ってことも考えられるかも)
私の気持ちが子犬にも伝染したのかもしれない。
子犬は低い声で唸り始めた。子犬からあからさまの敵意を向けられた女は、ふぅっと息を吐きだす。そして、呆れたように言葉を紡いだ。
「あのね……黒目黒髪は忌避対象だから、交わると身が穢れるって言われてるわ。
それは、このヴェーダでも同じよ」
「なら、何故私を宿屋に連れてきたんです?」
「そりゃ決まっているじゃない。
エドネスから逃げてきた黒髪に、死なれちゃまずいからさ」
死なれちゃまずい?
それは、いったいどういうことだろうか?
それを問う前に、女は私に何かを投げてよこした。手を伸ばして受け取ると、それは古びた地図のようなものだった。
「赤い印をつけた所、そこがカナンの町。アンタが目指す『ソウレ山』は、ここから更に北に進んだ場所だよ」
「なんで、ソウレ山に行くと思うのですか?」
先程から質問ばかりになってしまうが、質問せずにはいられなかった。
私はこの世界の知識が、最初の頃よりはマシとはいえ、今でも無いに等しいのだから仕方のないことだと言える。
もっとも、そうして得られるものが、完全に信用していい情報とは限らないけど。
「迫害された黒髪が行く場所と言ったら、そこしかないさ。
もっとも、ここまで辿り着ける黒髪は少ないけどね」
女は椅子に腰をおろすと、豪快に杯を仰いだ。
「ソウレ山は……行けばわかると思うけど、彷徨える魂を供養する場所よ。
そして、黒魔術の修練場ともいわれているわ」
「修練場」
ナナシは、そこに身を隠せということを言いたかったのだろうか。
それとも、復讐のために腕を磨けということなのだろうか。
何を言いたかったのだろう?
それは、この女に聞いても分からない。直接ナナシに尋ねるか、ルーシェと名乗る人物に尋ねるほかないのだ。
「1日分の宿代は払ってあるから。どうするかは、アンタが決めな」
それだけ言うと、女は部屋から出ていく。
遠くから、物売りの声が響いてくる。子どもたちの遊び声や、腹の虫が鳴き出しそうな調理場の香りも、開け放たれた窓から入り込んできた。
そして、夢と同じ夕暮れ時の朱色が、広いとは言えない室内を照らし出す。
「この地図を……信じていいのかな?」
その返答に応える者は、誰もいない。
膝の上でうとうと微睡む子犬を撫でながら、再び吸い込まれるように眠りへと落ちて行くのだった。
※9月17日:一部訂正




