15話 国境越え
「……」
脚を動かす速度を緩めずに、チラリと振り返った。
小さな子犬が、私の後を着いてきていた。ちろちろと赤い舌を出しながら、短い足を必死に動かして。
子犬は橋の下を出てから、ずっと着いてきていた。
「どこまで付いてくるの?」
もう半日も歩き続けているのに……何故、着いてくるのだろう?
餌付けなんてした覚えはないのに。…この犬の飼い主にでも似ているのだろうか?
再び前を向くと、歩く速度を上げる。
だけど、子犬はまだついてきていた。
黒い瞳を、地面に延びる私の影に真っ直ぐ向けている。
(子犬は人じゃないから裏切らないけど、それといっても役に立つってわけでもはないから……どうでもいいけどね)
とはいえ、はぁはぁと荒い息をたてながら着いてくる様は鬱陶しい。
食べ物をねだるようであれば、追っ払ってしまおう。
黒魔術を使えば、怖がって逃げるはずだ。
ひょいっと顔を上げて、標識を確認する。
まだ、文字を勉強している途中なので新聞や書物を読むことは出来ない。
でも、標識に書いてある地名なら、なんとか読めるようになっていた。目を細めて、文字を見つめる。その中に、なんとか『ヴェーダ』という文字を見つけ出すことが出来た。
「よし、こっちで合ってる」
「何があってるんだい、嬢ちゃん」
声が上から降ってくる。
見上げてみると、髭を生やした男が覗き込んでいた。髭こそ整えられていなかったが、私よりもしっかりとした旅姿を整えている。
(なんか、江戸時代に迷い込んだみたいだ)
こちらの旅装は、どこからどうみでも日本史資料集に掲載されていた旅装。どこまでも続く青い稲穂も、ところどころに群がる茅葺屋根も、江戸時代そのものだ。
不思議な感じがする。迷い込んだのは異世界なんだけど、映画のセットにいるみたい。
「そっちは『ヴェーダ帝国』に向かう道だぜ。道、間違えてるんじゃねぇか?」
「……」
男は、いぶかしげに私の顔を覗き込む。
何故、国境を越えようと考えているのか探られているのかもしれない。
確かに、現代日本を思い返してみよう。
女子高生がたいして支度も整えず海外旅行へ、それも1人で出かけようとしている。しかも、友好関係を結んでいるとは思えない国へと向かおうとしているのだ。
…誰であったとしても、その理由が気になるところだろう。
「あちらに住む知人に、会いに行きたいんです」
『知り合い』というか、こちらが一方的に名前を知っているだけだが、少なくとも『嘘』ではない。少し苦しい言い分だが、そうとしか言えないのだ。
「知人?ヴェーダ帝国にかよ」
男は、不思議そうに眉を上げる。
「まぁ、あの国はデカいからな。こっち生まれで、あっちで商売やってる奴は少ねぇわけじゃないがな」
難しそうな男の顔に、納得の色が浮かび上がる。
どうやら、一応は信じてくれたらしい。もっとも、本当に信じているかは定かでないが。
「でも嬢ちゃん、通行手形を持ってるのか?」
「通行手形?」
聞き覚えのない言葉に、思わず聞き返す。
「そうさ。他国に行くための証明書。持ってるのか?」
しまった。
そう、考えてみればその通りだ。
比較的平和な現代の日本であっても、他国へ行く時には『身分証明書』が必要だ。ましては『戦乱の世』ともなれば、他国の行き来は厳しく管理されているはず。
ゲームや小説、漫画といった空想上の世界であれば、行き来に困ることなんてないに等しい。でも、これは現実。
しっかり身を引き締めたつもりだったのに、考えが浅すぎた。未熟な私に、舌噛みをする。
「その様子だと、持ってねぇみたいだな」
見破ったぞ、とでもいうかのように男は笑った。
私は笑われるまま、歩き続けた。笑いたきゃ笑え。私は嘲笑なんて気にせず、国を超える方法を考えるまでだ。
(関所やぶりみたいなことをする?いや、ダメ……監視の目があるはずだから。見つかって殺されるのがオチ)
監視の目をいかにごまかすか。
その一点のみを集中して考える。その集中を乱すように、なかなか笑みを引っ込めない男が話しかけてきた。無遠慮にも、私の肩をボンボンと親しげに叩きながら、耳元に口を近づけてくる。
「嬢ちゃん。モノは相談だ。俺が持つ証明書を金貨5枚で売ってやっても構わないんだぜ?」
「……」
馬鹿馬鹿しいほどまでの言葉に、私は返答すらしなかった。
証明書を売るって言っても、それを男が『偽装』してくれるわけではない。きっと、証明書には男の名前がクッキリ書かれているのだ。そこを指摘されたら、誤魔化せる気がしない。
そもそも、金貨5枚なんて大金を持っていない。布袋の中には、数枚の路銀が転がっているだけで、それが私の全財産なのだ。
物乞いみたく値引き交渉をやり遂げるだけの自信がない以上、国境やぶりをするしかない。
ナナシだって、それが出来るって見越していたから『ソウレ山に行け』と逃がしてくれたのだ。
……ナナシが私を騙している可能性は、0じゃないけど。
「買わねぇのかい?オオマケして、金貨1枚でも構わないんだぜ?」
相も変わらず、男が売ろうとして来る。
こういうセールスマンは、相手にしないに限る。私はぷいっと顔を背けたまま、歩き続けた。
国境警備の灯りが、木々の隙間から顔をのぞかす。
幸いなことに、月は雲に姿を隠している。夜道を照らすものは、何もなかった。
私はニヤリと口を歪ませると、子犬を腕に抱え直した。
最初は使えないと思っていたが、まさか子犬を利用できる時が来るなんて……思っても視なかった。子犬は、これから自分が何をされるか分かっているのか分からないのか。不思議そうに尻尾を震わせる。
(大人しくしててね)
決してよくない毛並みを撫でながら、私は開いた左手で瓶を開けた。
中から青白い人魂を1つ取り出すと、宙に浮かせる。音を立てぬよう、ゆっくり子犬を地面に降ろす。そして右手を子犬に、左手を人魂に向けながら口の中で呪文を呟いた。
『浮世彷徨う 迷い人よ 斉藤澪が命ずる。 依り代を纏い 駆け廻れ!!』
腕に電流が奔る。
それと同時に、身体を支えている何かが抜き取られていくような感覚。
それは夜の闇より黒い糸を、再び紡ぎだす。左手から伸びた糸は、ボゥッと浮かぶ燐光を捕えたかと思うと、瞬く間に呆然と座り込む子犬に巻きついた。
「ギャン!!」
身体に纏わりつく燐光に怯えた子犬は、一声泣き叫ぶ。
陸に釣り上げた魚みたいに飛び跳ね、私から逃げるように駆けだした。ぴょんっと茂みを飛び越え、助けを求める様に国境警備の灯りへと走り出す。
木々の隙間から逃げた方向を覗いてみると、不気味なくらい青白い燐光に包まれた子犬をすぐに見つける。嘆きに近い雄叫びを上げ国境警備隊の中へ飛び込んだ。
そして、次々に上がるのは『人間』の悲鳴。
「な、なんだ!?あの化け物!?」
「来るな!!おい、殺せ!殺すんだ!!」
「だ、ダメだ!あれは燐光!幽霊犬には物理攻撃が効かないんだぞ!!」
混乱しているようで、警備の灯りは私がいる場所から遠ざかっていく。
子犬が長い時間、あの警備隊を追い回してくれることを祈ろう。
「よし」
身を屈めて、細心の注意を払いながら国境を超える。
遠くからは、いまだに犬の泣き叫ぶ声と警備隊の悲鳴が響いていた。
着いてきてくれた犬を騙したようで、ちょっと後ろめたい。
でも、私は犬についてきてくれなんて頼んだ覚えはない。あれが勝手に来ただけ。それを、私は利用しただけ。
そう、私は生きるために行動を起こしただけ。
そう思いこめば思いこむほど、締め付けられるように苦しくなってくる。
心のどこかから
『お前は香奈子と同じ、裏切る人間だ』
と言う声が響いてくるのだ。
「私は―――悪いことしてない。みんな、騙すじゃないか」
そう呟いてみる。
もちろん、帰ってくる言葉はない。しいてあげるなら、苦しみあえぐ犬の鳴き声だけだ。
私は立ち止り、思いっきり唇を噛みしめた。口の中に薄らと血の味が広がっていく。
「あ~もう!」
私は瓶のふたを開けると、悲鳴が聞こえる方へ右手を向けた。
『迷える魂 駆けるのを辞めろ! 主の場所へ戻れ!!』
右手からは、再び黒い糸が飛び出る。黒い糸は閃光のように素早く伸び、茂みの遥か彼方へと消えていき―――――――始まりと同じく唐突に、ピタッと悲鳴が止まる。
「ごめん」
ふわりと浮かび上がった燐光は、瓶の中に納まり、腕の中には息も絶え絶えな子犬。
代わりに響くのは、突然、化け物犬が消えたことに対する当惑の声。
「許してもらえるとは、思ってないよ」
どこかで犬を引き取ってもらおう。
私のせいで巻き込んでしまった子犬を。
それは、私の偽善なのかもしれない。結局は、香奈子と変わらぬ人を裏切る人間なのだと思う。だから……許してもらおうなんて思わない。
相手が例え、子犬だったとしても。
当惑した声を小耳にはさみながら、私は山を駆け下りた。
スヤスヤと寝息を立てはじめた子犬を胸に抱いて―――




