第3話
青々とした木々の中を抜けていく電車。
夕刻が押し迫る時間、多くの学生たちが乗っている。
「なあ。高野。お前、東京に行くんだって?」
同じクラスの吉田が そういって肩をこづいた。
「ああ。父親の転勤」
「栄転だろ。それに東京のうちの学校系列の学校って共学だっけ?」
「うん。次の学校は、共学。でも女って疲れそうだな」
「何いってんだよ。あー。うらやましいな。変わってほしいよ。こっちは高校まで男、男なんだぞ」
吉田は本当にうらやましそうだが、浩一は さほど男子校が悪いと思わない。
どこにいっても学生は勉強しなくてはいけないし、元々女の子に関心が高いわけじゃないが 彼女に不自由したことはない。女の子は近隣のお嬢さん学校の学生だったし、かなり「かわいい」女の子と知り合えて 付き合えて、同じ学校ならある束縛も学校が違うと殆どない。ただ、首を締め付けるような詰襟のこの制服が脱げるということは、少し嬉しい。
「今の彼女は?」
「今はいないよ。前のがひどかったから」
「お前 それを見越してつきあってなかったのか?」
「そういうじゃないんだけれど。まあ、今はいらないかなって」
そうなのだ。学校が違うからと言って、束縛がなくなるわけじゃないと去年別れた彼女から浩一は教えられた。前に付き合っていた彼女は、束縛が強すぎて毎日メールと電話の押収、時には電車の中でも待ち伏せて、大いに迷惑を被ったのだ。
真夜中でも授業中でも「どこからメールしてるんだ?」というほど長い絵文字メールを送ってくる。電話も日常茶飯事だ。自分に対して拘束するような依存のされ方で浩一自身かなり辟易してしまった。
だからこそ別れるとき、かなり大変だった。彼女は、自分を束縛することを義務だとさえ言っていた。
だから当分いらない・・・女へのある種の恐怖心が浩一にはあった。
でも・・・浩一は電車から外を眺める。
美しい山の稜線ときちんと整備された住宅街が、その奥にはなだらかな川、そして木々のトンネルを潜り抜けるこの沿線の美しさは、格別なものだった。 隣では吉田が いい女がいれば紹介しろだの 東京に行っても連絡しろだの言っているが、今その美しい景色を目に焼き付けたいと思った。
これだけは もっていけないんだよな。と浩一はつぶやくと 「そうだね」と違う声が聞こえた。
それは窓際に立っていた詰襟の学生からだと気づく。 黒縁めがねに 神経質そうな顔。
彼は手にした小説から目を離し 外の光景を眺めていた。
「なんだよ。寺メガネも浩一も 神妙な顔しちゃって。こんな地方都市の風景見て何ノスタルジックに浸っちゃってるの?」
その言葉に 黒縁メガネの少年は 浩一の方をちらりと見て、そして唇だけ笑った。なんだか同志を得た気分・・・浩一は 心が温かくなれた。
「なんか、昔の夢を見たな」
それは 東京に行く前、中学2年生の頃。夢に出てきた電車に乗って、彼はその夢の中に出てきた元同級生たちのことを思い出した。
吉田って 確か持ち上がりで大学部にいったんだっけ。あいつ元気かな・・・。
年賀状でしか、連絡してなかったけれど。あと、寺メガネ、あいつ なんて名前だっけ。超文科系だったけれどあいつも外、見るの好きなんだっけ。
引っ越しする前に 遊んだっけ?いや、いっつも友達とは電車の中だけで話をするくらいで 家にいったり
しなかったけれど、仲は良かった気がする。
浩一は 夢と同じように外を眺めた。その風景は 昔とそれほど変わらず 同じ緩やかな時間が流れている。
春には桜のトンネルが、夏は 山は青々とした姿を見せるかと思えば秋には山々が紅葉し、人々はこぞって山をあがめ、その美しさに圧倒する。そして冬は、あまり雪が降らないが 年に一度の大雪のあとのその姿は、雪の白と山肌の黒さのコントラストが美しい一枚の絵となる。
母が東京に行っても「この沿線は一番」と言っていたことがわかる。本当に きれいだもんな。自然がたくさんあって。
浩一は、ここを離れたからこの美しさを再発見できたことに感謝している。
そして、彼はおもむろに携帯を取り出すと、昨日の御堂からのメールを確認した。
驚いたことに御堂は、この沿線沿いのK学院大学の環境学部に通っているという。浩一が通っていた中等部もK学院大学だったのだ。
「もしかすると 学校で会ってるのかな。いや、あんな人いなかったし」といっても ここには高等部もあるし 外部受験ということも考えられる。同じクラスでしたか?なんて いまさらなあと思い、それは聞かないことにした。
本当はK学院大学に受験したが落ちてしまった。それは決して言いたくなかった。御堂のメールに 自分も O大学に所属していることを返事すると彼からはすぐに「大井教授がいらっしゃるところですね」と返ってきた。
なんでも環境学の中では かなり有名な教授らしい。へえ。有名なんだ・・・と思っている自分が恥ずかしかった。浩一自身は 自分が入れる学校で建築関係の勉強ができたらと かなり簡単に考えていただけなのに、そんな有名な先生がいるとは思ってもいなかった。
「御堂さんは 色々とご存知なんですね」 とメールすると
「興味があるんです」との返事。
結局、浩一は御堂と 夜1時ごろまでメールのやり取りをして、じゃあ明日、飲みに行きましょう、ということで お開きとなった。
なんか 面白い人だな。と浩一の顔が自然にほころんだ そのとき、目的の駅の名前がアナウンスされ、一斉に乗客が降りる。昨日までとは違う、楽しい一日が始まりそうだと 彼は携帯電話を鞄にしまうと大学へと急いだ。