神の存在
神様はいると思いますか?
そう外国人に問われたことがある。
私は宗教というものをよく知らない。どうも興味の湧かない世界ではある。
宗教を知らない人間ほど、宗教という言葉に過剰に反応して否定的な態度をとるものである。
それは、宗教を深く理解しない人にとって宗教とは
「一方的価値観を押し付けてくるような存在」
に他ならないからだ。
実際は違うのかもしれない。しかし、日本のメディアや日本人の価値観からは、どうにも苦手とする対象ではある。
私もそうだ。
友人の親が宗教どーのとか、職場の人間が宗教どーのとか正直に言って、聞いていい気持ちになるわけではなく、むしろ不愉快だと感じてしまう。
それは、日頃別に自分にさして関係のないどこかの国の戦争が宗教が原因だとか。テロリスト集団の正体が過激な宗教団体だったとか、そんなことは別に関係もなく、ただ
「なんとなく」
なのである。
私は宗教をなんとなく嫌っているのだ。日本人の宗教嫌いの大半の理由はなんとなくであろう。根拠はないが、私も同じ日本人として大衆と同じく非凡な考えをする人間であるのならば、恐らく間違いはない。根拠はないのだが、何度でも言う「間違いない」
ここで本題に入ろう。
「神はいると思いますか?」
実はこの問いかけの本質は神の存在を問うものではなく、神がいるならそれは一体何かを問いかけている。ただの遠回りである。
宗教というのは複数存在し、それぞれの宗教で違った神がいる。すなわち、この問いかけは
「神の定義」
に関して答えるのが正しい。何をもってして神と言えるのか。それを聞いているのだ。
自分にとっての神とは何か、そんなの人それぞれに決まっている。すなわち「神は存在しません」という意見なんて、明日の他県の天気予報ほどにどうでもいい意見、情報なのである。
神の定義とは何だろう。
あなたにとって神の定義とは何だろう。
私にとって神の定義とは何だろう。
はっきり言って、私にはさっぱりわからない。何故なら、義務教育では神の定義なぞさっぱり学ばなかったからだ。つまりそれは、生きていく上で必須な情報とは成り得ないからであろう。人によっては必要なものだが、まあ知りたくなったら勝手にやってくださいね、といった感じである。
私のような神に関心のない人間にとって、神の定義など暇つぶしの対象にしかならない。そういうことだ。
神が実在するとしよう。そんな実在する神の定義を、眠る前の暇つぶし程度に考えていた青年が真理を悟ってしまったら、実在する神も恐らくはいい思いはしないだろう。だからこれでいい。
私には「宗教」も「神がいるか」もわからないままである。