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第一章 偽りの平和、真実の沈黙

「勇者ケイン、万歳! 魔王城から生還した、我らが村の誇りだ!」


色とりどりの紙吹雪が舞い、広場は熱狂に包まれていた。 三日三晩続く、魔王討伐を祝う凱旋祭。その中心に座らされている元木こりの青年ケインは、引きつった笑みを浮かべながら、差し出された安酒の杯を飲み干した。


「……あはは、ありがとう。でも、俺なんてそんな大層なもんじゃ……」 「謙遜するな! あの魔王城に乗り込んで、かすり傷一つ負わずに帰ってきたんだ。並の兵士にできることじゃないさ!」


恰幅のいい村長がケインの肩を叩く。その手の重みが、今の彼には岩のように重苦しかった。

祭りの喧騒から逃れるように、ケインは翌朝、村の外れにある広場で子供たちを集めていた。 手には使い古された木剣。これが、今の彼に許された唯一の「現実」だった。


「いいか、足の運びはこうだ。腰を落として、相手の動きをよく見るんだ」 「はーい! ケイン兄ちゃん、魔王城でもそうやって戦ったの?」


キラキラとした瞳で問いかけてくる少年、アルフォンスの言葉に、ケインの心臓がドクンと嫌な音を立てた。


「……さあな。必死すぎて、よく覚えてないんだ」


嘘ではない。だが、真実でもない。 ケインの脳裏には、今も鮮明に焼き付いている光景がある。


禍々しい魔力で捻じ曲がった魔王城の回廊。空気を震わせる咆哮。 他の兵士たちが勇者に続いて雄叫びを上げ、光の渦の中へ突撃していく中――ケインは、崩れた瓦礫の隙間にうずくまっていた。


震えが止まらなかった。 武器を握る力すら入らず、ただ歯の根が合わない音を響かせながら、戦いが終わるのを待っていた。 勇者が魔王を討ち取り、世界に光が戻った瞬間、彼はあたかも「生き残った精鋭」のような顔をして、瓦礫の中から這い出したのだ。


「ケイン兄ちゃん、かっこいい! 僕も兄ちゃんみたいに、無傷で帰ってこれるくらい強くなりたいな!」


子供たちの無邪気な憧れが、刃となってケインの胸を切り刻む。


(俺は、何もしてないんだ。戦ってすらいない。ただ、怖くて隠れていただけなんだ……)


空はどこまでも青く、世界は平和に満ちている。 だがケインの心だけは、あの暗く冷たい魔王城の隅っこに、今も取り残されたままだった。


「ケイン! ケイン、大変だ! 魔獣が……魔獣が泉の付近に出たってよ!」


静かな朝の稽古場に、場違いな怒鳴り声が響いた。 走ってきたのは、同級生のデービッドだ。かつて一緒に兵役に就いた仲だが、彼は後方支援部隊だったため、前線の地獄を知らない。


「魔獣……?」


ケインの指先が、ぴくりと跳ねる。 この付近に出る魔物など、せいぜい牙の生えた野犬か、迷い込んだゴブリン程度のはずだ。だが、今のケインにとって「戦い」という単語は、胃の底を冷たく冷やす劇薬だった。


「ああ、街の奴らが騒いでる。ケイン、お前の出番だろ! あの『無傷の英雄』が村にいるんだ、みんな期待してるぜ!」


デービッドが期待の眼差しで、壁に掛けられた武器を指差す。 そこには、ケインが魔王軍との決戦で携えていた愛用のハルバートが鎮座していた。


重厚な刃、数々の修羅場を共にくぐり抜けてきた……はずの、相棒。 村の連中は、この刃が魔族の血を吸い、ボロボロになったのだと信じている。だが実際には、恐怖で震えるケインと共に、湿った瓦礫の裏で埃を被っていただけだ。


ケインはハルバートに手を伸ばそうとして――その指が、拒絶するように固まった。


(……握れない)


この重みを感じるたびに、あの暗闇で歯を鳴らしていた情けない自分が蘇る。 今の自分に、この「英雄の象徴」を振るう資格なんて、これっぽっちも無い。


「……ケイン?」 「……いや、こっちでいい」


ケインはハルバートから視線を逸らし、隅に置かれた演習用の、手入れも行き届いていない鉄剣を掴んだ。刃こぼれが目立つ、いわゆる「なまくら」だ。


「おいおい、そんななまくらで大丈夫かよ! せっかくのハルバートはどうしたんだ?」 「……この辺のモンスターなら、これで十分だよ」


ケインは、壁に掛けられたままのハルバートを冷めた一瞥で切り捨てると、逃げるように泉へと駆け出した。 背中に受けるデービッドの心配そうな視線が痛い。


(もう、あのハルバートを握る日は来ないかもしれない……)


自分の正体が「臆病な敗北者」であることを突きつけられるのが、何よりも怖かった。



湖に駆けつけたケインの目に飛び込んできたのは、絶望を形にしたような光景だった。


そこにいたのは、通常のグリズリーを遥かに凌駕する巨躯を持つ凶暴な魔獣――『ギガントテリウス』。 不気味に蠢く四つの赤い目は血走っており、体表を覆う強固な鱗が鈍い光を放っている。巨大な爪が一振りされるたび、周囲の大木が紙細工のように薙ぎ倒されていった。


「ひ、怯むな! 食い止めろ!」


村の兵士たちが必死に槍を突き出すが、魔獣の鱗に弾かれ、逆に腕の一振りで吹き飛ばされる。魔王という頂点が消えてもなお、世界にはこれほどまでの脅威が牙を残していたのだ。


「……まだ、こんな大型が残ってたのか」


ケインは低く呟き、手にしたなまくらの剣を構えた。 あの魔王城で、恐怖のあまり瓦礫の陰で震えていた自分。だが、その時も無意識に握りしめていた力がある。


(……動け。動け、俺の足)


ケインが静かに闘気を込めると、ボロボロだった刀身が、透き通るような緑の風を纏って輝き始めた。周囲の草花が激しく波打ち、大気が鳴動する。 ケインが十字の構えを取り、大地を一蹴した――その瞬間。


「え……?」


デービッドの目には、ケインの姿が消えたように見えた。 直後、空気を切り裂く鋭い音さえ置き去りにして、緑の閃光がギガントテリウスの巨体を横切る。


音もなく、全長10メートル以上はある大型魔獣の大樽のような首が宙を舞った。


一拍置いて、巨大な山のような胴体が地響きを立てて崩れ落ちる。


「おおおぉぉぉっ!!」 「やった! 仕留めたぞ! ケインがやったんだ!」


静寂を破る兵士たちの歓喜の叫び。 「さすが、『風の勇者』は格が違うなぁ!」 デービッドが興奮した様子で駆け寄ってくるが、ケインはそれに応えることができなかった。


パキパキ、と乾いた音が響く。 ケインの手の中で、彼の闘気に耐えきれなかったなまくらの剣が、役目を終えたようにバラバラに砕け散った。


「…………」


ケイン・ゼフィランサス。 かつての勇者連合において、唯一無傷で生還した「英雄」。 だが彼にとって、この風の煌めきは、あの地獄から逃げ出した自分を象徴する忌まわしい記憶でしかなかった。


「ケイン! 今の技、一体どうやって――」


称賛の声を背に、ケインは目を伏せ、ただ無言でその場を去る。 砕けた剣の破片が、彼が歩く足元で虚しく光っていた。



ギガントテリウスの討伐は、村に莫大な恩恵をもたらした。 その巨体から剥ぎ取られた鱗や牙は、希少な魔道具や防具の素材として高値で取引されるだろう。血抜きを施された肉は、長らく続いた戦時下の食糧難を忘れさせるほどに村人の胃袋を満たしている。


広場では勝利を祝う宴が始まり、笑い声が絶えない。 だが、その功労者であるケインは、喧騒から逃れるように自宅に閉じこもっていた。


「……っ、うまいな。この安酒は」


独りつぶやいて、ケインは好きでもない葡萄酒を喉に流し込む。 目の前には、あのハルバートが立てかけられていた。 これを打ってくれたドワーフの刀匠が「お前にしか扱えん」と笑った顔。死の間際、背中を託して散っていった戦友たちの叫び。そして、最前線で魔王と対峙した本物の勇者たちの背中。


(俺だけが……何もせず、のうのうと生きて、こんな酒を飲んでる)


思い出すたび、胸の奥をどす黒い後悔が焼く。伏せられた瞳には、英雄の輝きなど欠片もなかった。



一方、村の広場では――。


「アル、ケインさんに差し入れを持っていっておくれ。お肉もたくさん詰めたからね」


アルフォンスの母親が、重たげなバスケットを息子に差し出した。 だが、それを横からひょいと奪い取った手が一つ。


「わ、私が行くわよ。アルは友達と一緒にお肉食べてなさい」


オレンジ色の髪を小綺麗に整えた女性、ミラベルだった。そばかすの散る頬を少し赤く染め、彼女はバスケットを大事そうに抱える。


「姉ちゃん、またそうやって。ケイン先生のこと好きだからって、独り占めはずるいぞー」 「ちょっ……生意気なこと言わないの! 叩くわよ!」


図星を突かれ、ミラベルは顔を真っ赤にしてアルの頭を軽く小突いた。 「行ってきます!」と逃げるように駆け出した彼女は、村の外れにあるケインの家へと向かう。



家の前に着くと、ミラベルは乱れた息を整え、少しだけ背伸びをして窓から中を覗き込んだ。


「……ケイン、さん」


そこには、広場の賑わいが嘘のように静まり返った部屋で、独り俯きながら酒を煽るケインの姿があった。 ハルバートをじっと見つめるその横顔は、あまりにも孤独で、今にも消えてしまいそうなほどに悲しげだった。


(あんなに強いのに……どうして、そんなに辛そうな顔をするんですか?)


差し入れを渡すための明るい言葉が、ミラベルの喉に支えた。


ドアを叩こうと上げたミラベルの手が、空中で止まった。 勇気が出ない。もし彼が、誰にも邪魔されたくないほど深く傷ついていたら?


そう迷っていた次の瞬間、背後から爆発的な魔力の波動が漏れ出した。


「えっ……!?」


空間の隙間から、眩いばかりの純白の光が溢れ出す。ミラベルは驚きのあまり、尻餅をついて座り込んでしまった。


時を置かずして、家のドアが勢いよく開く。 「何だっ!」 手に武器すら持たず、鋭い眼光で飛び出してきたケイン。だが、彼の視線は足元のミラベルを通り越し、外に立つ「侵入者」に注がれた。


光の魔法陣がゆっくりと消えていく中、そこに一人の少女が佇んでいた。 透き通るような銀髪と、神秘的な法衣。魔王城の決戦では後方支援を担当し、ケインの親友であった『水の勇者』の妹――天才魔法使いの聖女、ルーナだった。


「ケイン様、お久しぶりです」


ルーナはたおやかな微笑みを浮かべ、優雅に一礼する。彼女もまた、ケインに淡い、けれど強い慕情を抱く女性の一人だった。


「ルーナ……っ! どうして、ここが……」 「風の力をお使いになったでしょう? その僅かな揺らぎを辿り、ようやく見つけ出しました。……随分と遠くまで逃げられたのですね」


驚愕に目を見開くケイン。その死角で、腰を抜かしたままのミラベルは、呆然と二人を見上げていた。ルーナの放つ圧倒的な存在感と聖なる魔力に気圧され、声すら出せない。


「ケイン様、戻ってきてください。今や、健在である勇者はあなた一人。魔王が死したとはいえ、軍の残党は未だ各地で猛威を振るっています」


ケインの所属する人類救世軍にとって、この村での生活は“ひとときの休暇”の予定だった。だが、本来の期間を過ぎても戻らない彼を案じ、ルーナは禁呪に近い探知魔法で彼を追いかけてきたのだ。


「軍はあなたを待っています。『風の勇者』ケイン・ゼフィランサス様。あなたがいないと、世界は本当の意味での平和を迎えられません」


「俺は……。俺は、そんな器じゃ……」


ケインの声が震える。 村娘のミラベルと、聖女のルーナ。 平和な日常の象徴と、地獄のような戦場からの使者。 二人の女性の間で、ケインの「偽りの安寧」が音を立てて崩れ始めていた。



ルーナは知っていた。 あの最終決戦の日、ケインがただの一度も剣を振るわず、瓦礫の陰で震えていたことを。それは、生還した直後に彼が、泣き崩れながら彼女にだけ打ち明けた懺悔だった。


それでも、彼女は彼を迎えに来たのだ。


「ケイン様、私は分かっています。あなたが背負っている重荷も、あの日のことも……」

「……分かっているなら、放っておいてくれ! ルーナ、俺は仲間を見捨てたんだぞ!? 勇者たちが、お前の兄さんが血を流して戦っている間、俺は……っ!」


ケインは絞り出すように叫んだ。絶望に満ちた戦場の光景が、今も瞼の裏で燃えている。


「あんな地獄に、俺のような臆病者が戻って何ができる! 勇者の称号なんて、死んだ連中への冒涜だ!」


ケインが顔を覆い、膝をつこうとしたその時。ルーナはそっと歩み寄り、彼の手を優しく包み込んだ。


「いいえ。あなたが生き残ったのは、きっとこうなる運命だったのですよ。風は、止まるために吹くのではありません。今はまだ、少し翼を休めているだけ……」


まるで慈愛に満ちた聖母のようなルーナの微笑み。その甘い誘惑に、ケインの心が折れかけた――その瞬間。


「そこまでよ! ちょっと、離れなさい!」


割り込んできたのは、地面を蹴って立ち上がったミラベルだった。 相手がどれほど高貴で強大な魔導師であろうと関係ない。今のミラベルを動かしているのは、理屈を超えた「恋の力」なのか、あるいは「放っておけない」という意地だったのか。


「ミ、ミラベル!? いつからそこに……」

「さっきからよ! 聖女様かなんだか知らないけど、ケインさんは今、とっても辛そうじゃない! 泣いてる人に無理やり戦えなんて、ひどすぎるわ!」

「彼は英雄なのよ。あなたのような村娘が、その翼を折る権利なんてないわ」


「いい? 今日はもうお引き取りください! ケインさんのことは、私がちゃんと説得しますから! 外部の人が土足で上がり込まないで!」

「あら……。私を『外部の人』呼ばわりするなんて、面白いお嬢さんですね」


ルーナは少し意外そうに目を丸くし、それから残念そうに肩をすくめた。 「分かりました。今日はケイン様の『守護騎士』殿に免じて引き下がりましょう。ですがケイン様、明日また伺います。……運命からは逃げられませんよ」


鋭い言葉の刃を、ミラベルは真っ向から受け止めた。


「ケインさんは、私の幼馴染です! 英雄である前に、一人の人間なんです!」


驚愕するケインを背中に隠し、ミラベルはルーナをぐいぐいと押し返した。

一歩も引かないミラベルの気迫に、ルーナは「……愚かね」と捨て台詞を残し、最後にたおやかなウィンクを残すと純白の光に包まれ、転移魔法でかき消えるように去っていった。


静まり返るケインの家の前。 残されたのは、膝をついたままのケインと、肩で息をしながら彼を守るように立っているミラベル、そして家の傍らで沈黙を守る重厚なハルバートだけだった。



嵐のような静寂が訪れた後。

ようやく重い口を開いたケインの声は、今にも壊れてしまいそうなほど掠れていた。


「……聞いた通りだ。俺は、みんなが崇めるような英雄でもなけりゃ、誇り高い勇者でもない。ただの、臆病者なんだよ、ミラベル」


ケインは、あの日、世界が救われたとされる「魔王城最終決戦」の真実を語り始めた。



人類救世軍と魔王軍が激突した、あの日。

戦場は敵味方の区別すらつかない血の海だった。木こりの子として生まれ、女神に選ばれたからと剣を握らされた十七歳のケインにとって、そこはあまりに不条理な地獄だった。


「命を懸けてまで戦う意味って何だ? どうして和平の道はなかったんだ?」


答えの出ない問いに心を蝕まれ、次々と零れ落ちていく仲間の命に、ケインの精神は限界を迎えていた。魔王の玉座を目前にしたとき、ついに彼の足はすくみ、動けなくなった。


だが、共に戦った兄貴分たちは、誰一人としてケインを責めなかった。


「ケイン、お前はここで待ってろ。後で美味い酒でも飲もうぜ」

「そうだぜ、ここは兄貴たちに任せな」


光の勇者アーサー、火の勇者アベル、水の勇者ルーク、土の勇者ダイン。

伝説と謳われた四人の勇者たちは、怯える最年少のケインを庇うように笑って、魔王の元へと向かった。


結果、帰ってきたのは――ケインただ一人だった。



「もし、俺が臆病風に吹かれずに戦っていたら……。別の作戦を選んでいれば、彼らの中に生き残れた奴がいたかもしれない。俺だけが、みんなの命を見捨てて生き残っちまったんだ」


震える拳を膝に突き立て、ケインは絶望を吐き出す。

「俺は、皆が言うような世界を救った『最後の勇者』なんかじゃない。仲間を殺して生き恥を晒している、ただのなり損ないなんだよ……っ!」


のしかかる「生存者の罪悪感」に押し潰されそうなケインは自嘲気味に笑い、視線を床に落とした。自分のメッキが剥がれ落ち、ようやく軽蔑される。そう思っ他のだろう。 だが、ミラベルの答えは予想に反していた。


ケインの震えを止めるために、ミラベルはそっとその手を握りしめる――。


「……いいえ、違うわ」


彼女の声は震えていたが、真っ直ぐだった。


「私には、今日見たのがすべてよ。あの恐ろしい魔獣から、村のみんなを……私たちを助けてくれたのはケインさんでしょ? 圧倒的に強くて、優しくて……何より、私が世界で一番好きな勇者様なんだから!」


叫ぶように言い切ってから、ミラベルは自分が何を口にしたかに気づき、顔を真っ赤にして口を覆った。 一方のケインは、あまりの衝撃に唖然として固まってしまう。


(俺は……なんて情けない男だ。こんなに細くて、か弱い女の子に、何を守らせて……何を言わせてるんだ)


ケインは奥歯を噛み締めた。その痛みだけが、今の彼を現実へと繋ぎ止めていた。 彼はよろよろと椅子に腰を下ろすと、彼女が持ってきてくれたバスケットを引き寄せ、中に入っていた冷めかけたシチューを、無理やり一口、口に運んだ。


「……ふっ、はは……。ああ、うん、これだ。村の味だ……」


喉が焼けるように熱い。鼻の奥がツンとする。 ケインは震える手でスプーンを握りしめ、自分を奮い立たせるように笑みを浮かべた。


「そうだよ、俺はこれを食べに帰ってきたんだ。……ほんの、短い休暇にな」


「ケインさん……」


ミラベルの大きな瞳に、大粒の涙が溜まり、こぼれ落ちる。 彼女はたまらなくなってケインの背中にしがみつき、その温かさを確かめるように強く抱きしめた。そして、祈るような手つきで彼の頭を引き寄せると、その額にそっと唇を寄せた。

淡い光が、一瞬だけ二人を包み込んだような気がした。


「……まいったな。まさか、再び小さな女神様の恩寵をいただいてしまうなんて」


ケインは噛み締めた唇を少しだけ緩め、独りごとのようにつぶやいた。 臆病な自分のままでもいい。ただ、この温もりを守るためなら、もう一度だけ、あの重いハルバートを握れるかもしれない――そんな予感が、暗い胸の奥に小さな灯火を宿した。

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