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8. やらかしたらしい

 ぱちぱちと彼女のローブが鳴り出して、涙の再会は中断された。

「さっきから静電気がすごくて」

 途端に善き後輩は彼女から手を離して飛びすさった。

「すみません。不注意でした。静電気ではなく防御魔術が反応してるんです、僕に。離れていてください」

 手の平を向けて明確に制止され、彼女は座り込んだまま次の動きをためらい、とにかくまず立ち上がろうとする。すかさず彼は「手を、」と言いながらさっと一歩踏み出した。

「…じゃない。すみません、手を貸せなくて。あっ、ハンカチ…も貸せないか…僕、腕をつかみましたよね。ごめんなさい、手荒な真似を」

 ハンカチを貸そうとした彼自身の涙を拭う動作はなく、泣いた自覚がないのか、泣かなかったことにしたいのか、一人でぎこちなく落胆する彼に彼女は胸の温かさそのままの微笑を返した。

「大丈夫です。お気遣いありがとう」

 彼は兄の悪ふざけに対して若者らしい悪態をついても、動作は穏やかで足音は静かで食事の所作はきれいだった。それらがずいぶん違う兄と彼が並んで熱心に魔術談義をしているさまを眺めるのは、いつの間にか彼女の嬉しい時間になっていた。

 彼がいる時は、いつも兄がいた。

「ここには後輩さんと…他の方は、誰か?」

「僕一人です。一人でしたが、あなたはいつどうやって、どうして。門番をどう回避したんですか」

 早くも動揺を落ち着け、彼の頭は回り始めたようだ。

「今来ました。消息不明の魔闘士を探してくれって言われて、なぜかわたしの魔力でも兄の権限を使えるみたいです」

「消息不明? ああ…定期連絡を二回かな、飛ばしてしまって。誰があなたを…傲慢魔術師? 心当たりが多すぎて誰だか…先輩の権限は、固有魔力の適合精度をいじったのかな…」

「わたし、消息不明なのが兄かもしれないって…思ったから…」

「えっ」

 声が湿りそうになって、彼女は急いで気持ちを立て直す。

「違うんですよね、門のところで後輩さんだって気付きました。兄の葬儀にも形見分けの集まりにも見かけなかったから、どうしてるのかなって、魔獣討伐で怪我をしたんじゃないかとか…!」

「闇堕ちしました」

 平坦にあっさりと、彼は告げた。

「ごめんなさい。お悔やみに行けなくて。先輩を止めなくて…守れなくて。僕の力不足です。申し訳ありませんでした。どうか先輩の名がずっと、救国の英雄として語り継がれるよう願っています」

「救国の」

「はい」

「英雄」

「はい、もちろん」

「兄も」

「むしろ先輩だけがと言ってもいいくらいです」

 戸惑い顔を、少し空いた距離で見合わせる。

「英雄。兄が」

「…僕は魔獣討伐直後からずっとここで研究をしています。王都で討伐がどう報道されたのか、知る手段がありません」

 雪山に帰路の転移紋は見当たらなかった。往路の転移先が野ざらしになっていたのは、魔獣討伐後に帰路の転移紋を建物ごと撤去したからだろう。たとえ完璧な冬山装備があったとしても、帰路を単独で下山するのは危険に違いない。

 帰路を絶つという酷な隔離措置を研究と呼ぶ、善き後輩の前向きな真面目さが彼女の胸を打つ。

「討伐軍は新開発の攻撃魔術で魔獣を倒したって聞きました。多くの魔術師さんが英雄として顕彰されてるけど、兄は…魔術省の方が来て。王の祝勝を曇りなく称えるため兄の戦死は伏せておくようにと」

「何てことを…」

 善き後輩は愕然と嘆いてくれているが、彼女は違った。兄の死を信じられないのだから、それを伏せろと言われる理不尽にも実感がなかった。

「魔術省や魔術師の方はたくさん来てくださったけど、誰も兄を英雄と呼ばないので、兄は何かやらかしたのかと…」

「あ、まあやったと言えばやりやがりました。過去にも色々やってたんですが、最後にあんな超弩級のやり逃げして…」

 彼が兄に対してだけ見せた悪態が出るのが懐かしい。

「何をやらかしたんでしょうか。遺体がないのはそのせいですか?」

 彼の、口も目も思い切り見開いた驚愕顔を見るのは初めてだった。

「聞いてないんですか。誰もあなたに伝えてないんですか、先輩の活躍や最期を」

 彼は一転して目をすがめ、遠い王都を見据えているようだった。

「僕は魔術省東塔の保安上構造上の弱点を調査したことがあります。ただの気分転換です、建物を破壊しても中に巣食う慢性悪性生物は駆逐されませんから」

 善き後輩の言う悪性生物はきっと黒光りするカサカサ動く虫だ、と彼女は自分に言い聞かせた。

「ですが今、また気分が転換しそうです」

『応答…なさい! 捜索状況を連…私の指示…』

 彼女のローブの襟元で遠隔会話ピンから傲慢魔術師の呼びかけがする。ピンを見て状況を把握したのか、慢性悪性生物、とつぶやく善き後輩の声の低さが怖い。

 後輩は腕を組みながら考え始める。

「魔術省の機密に市民を…内々に。失踪も獣堕ちも不名誉か。先輩のローブは…保管庫くらい、あの人たちなら。妹さん、あなたは記憶封印術を施されたのでは?」

「封印に協力をと言われた気がしますが、了承した記憶はないです」

「あの悪性…いえ、僕が抗議しておきます。施術されたと思います、一族として非礼を謝罪します」

 一族? と一拍経ってから、彼女は焦りだす。

「えっ! 後輩さんってあの魔術名門一家の人だったんですか!」

「分家です」

 残念ながら、と言いたげに目をそらしながら肯定する後輩が、兄に対して基本的には優しい対応だった背景が分かった気がした。

「育ちがいいんですね。すみません、兄が南部のおおらかさでいつも迷惑を。それにあの傲ま…えー…威厳をあふれさせてる魔術師さん、血縁ってことですよね、わたしちょっとおおらかな対応をしたかもです」

「おおらかでいいんです。先輩の…俯瞰的豪胆さが、僕の気分も魔術師として在り方も転換したんです。方向転換というより、別の次元に飛ぶくらい」

 いたずら好きだった兄に悪事をそそのかされてなければいいけど、と彼女は心配になる。小さい頃から、おとなしい子ほど兄に感化されてしまうのを見てきた。

「あなたが封印術発動下にあるということは、僕が先輩の話をしても機密としてあなたの記憶に残されない可能性が高い。それでも…魔術省が伏せる理由があるほどのことでも、あなたは聞きますか」

 まっすぐな視線がぶつかる。しんとした緊迫が岩窟の廊下に張り詰めた。

「聞きます」

 彼女は注視してくるような重力に負けないよう、しっかり答えた。

「聞いて…労わってあげたい。兄にふさわしいように。兄の最期にふさわしいように」

 それから大事なことを聞き足す。

「記憶を封印されたら…消えちゃいますか? 後輩さんと、また会えたことも」

 彼はきょとんとして、それから破顔一笑した。

「会ってしまったこと、と言われなくて嬉しいです」

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