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7. 涙を拡散する

「涙はいいとして鼻水は拭こうか、新米くん」

「どっちの穴から出るかだけの違いでず」

「なぜ意地を張る」

 正直なところ、映像に集中していた新米審査官は中堅審査官に指摘されるまで、自分の顔の惨状に気付いていなかった。

 記憶石再生水盤に張られた水は特別な環境下で採取された希少なもので、汚染をさけるべく新米は涙も鼻水もちゃんと拭いた。

「魔獣討伐の英雄たちの中に闇堕ちと死者がいたなんて、市民には知らされてませんよ!」

「あるいは魔術省が英雄に認定しなかったということだね」

 再生記憶の中で下っ端魔闘士たちは、あなたの兄は一緒に戦った魔獣討伐の立役者だ、と言った。英雄とは言わない、死因を言えない事情がある? と新米は脳内の疑問リストに追加する。それから彼ら兄妹の住居を思い返す。

「魔闘士は高給なのに、かなり控えめな家でした」

「そう、恐らくここでフィッシュパイだ。海の魚は、鮮度がいいうちに王都へ運ぶと高価だからね」

 南部料理食堂の店員の話を思い出し、新米の鼻の奥に潮の香りがつんと湧く。

「妹さんは、魔獣が討伐されてからもフィッシュパイ用の魚を買いに来ていたそうです。帰らぬ兄を待ちながら彼の好物を作っていたかと思うどっ」

「拭いて拭いて。実は南部の漁師はすごい技を持ってるんだ。鮮度を保てるシメ方でね。とても細い刃を骨の隙間からこう刺し入れて」

「動物のお話はまた日と時間と場所と気分を改めて」

「ずいぶん改めるね」

 新米は妹の魚購入金額を聞き出してきていた。王都育ちには魚なんかにそんな値段をと感じるが、少し良い肉程度の金額だった。兄妹の衣食住は兄の高給に比べて質素だったようだ。

「彼女の兄の資産状況を確認します。不正の容疑者も内容もいまだに不明ですが、不正には金がからむのが定石ですから」

「特に出金先を追跡しておくといい。それから、魔術省への照会に返信が来てる」

「ああ、闇堕ちについてです。危険思想の魔術師だという漠然とした認識だけだったので。定義、要因、事例や処遇などを」

 封筒にかけられた魔法鍵を解いて手紙を開く。

『闇堕ち魔術師とされる状況は二通りある。

 謀反、破壊、加害など反道徳的、反社会的な活動を企てる魔術師。

 罪状に相応の魔能のはく奪、投獄、両目や舌の切除刑などに処される』

「これが一般的に思い浮かべる、闇堕ちのイメージではないでしょうか。数年に一度は出現する凶悪魔術師」

「記憶封印術の開発や審査部発足の起源だね。内紛による濡れ衣がほとんどだけど。知ってるかな? 両目のない物乞いが魔術省前をうろつくことがあるんだ。かつては有能な魔能士だったらしいそいつが連れてる動物が主より毛並みが良くて」

「闇堕ちの成れの果ての話かと思えば…動物は改めて」

『あるいは王国北嶺の魔獣が放散する、心身に有害な闇性魔力を規定量以上被ばくした者。被ばく超過すると闇性魔力は被ばく者の魔力と混合し、除染不能に陥る。いずれ闇性魔獣に変化変性すると伝えられ、過去の闇性魔力被ばくによる闇堕ちは全て二日以内に自死している』

 伝えられ、の文字を新米は指先で叩いた。

「伝承、つまり不確実なのに、たった二日で全員が自死を選ぶのは不自然に思えます」

「魔獣に堕ちる確信があったのか、そう思い込まされたか、周囲の恐怖や忌避によって自死を装われたか、書類上は自死したことになっているか…」

 過去を説明する可能性はいくつもあったが、いま集中すべきは北嶺の研究所にいる闇堕ち魔闘士だ、と二人の審査官は一致した。

「彼女が接触を避けるよう強く警告されていたことから後者の、闇性魔力の被ばく超過が彼の闇堕ちの原因と考えられます」

 被ばくを避けるため、北嶺におもむく魔術師たちのローブには闇性魔力を軽減する防護魔術が施されている。この仕様は魔術省が公式に認めている。けれど軽減とは、完全には防御できないことを意味する。

 闇性魔域での長時間の滞在、防護施術の不備、ローブの破損など何らかの想定外の事故が原因で被ばく超過する可能性がある。

 新米は魔術省の公示を確認した。魔獣討伐の褒賞や祝賀行事の華々しい公告の数々に埋もれるように短く、一人の魔闘士の北嶺研究所への異動報告があった。理由は記載がない以上、魔術省に問い合わせても返答があるとは思えない。

「異動したのは後輩魔闘士さん、彼が闇堕ちでしょう」

 門番の壁の記憶映像を調べ、残されたままの魔術師の識別紋章を検索にかけた。一つは記憶の持ち主の兄である先輩魔闘士、一つはその後輩魔闘士、一つは一年前の定期観測で行方不明になった古株魔闘士、他は半闇性野獣との交戦による殉職者、魔獣による雪崩被害での殉職者だった。

「後輩魔闘士さんは例の傲慢魔術師を輩出した名門一家の分家出身です。本家は一族から闇堕ちが出たという不名誉な情報を伏せて異動という体裁にしたのかもしれません」

 妹の強引な連行、記憶封印術や転移紋の不正使用など、傲慢魔術師は明らかに正当な手順を踏まず秘密裏で動いている。一族の闇堕ちを異動と言う名目で北嶺に隔離しておいたら、行方不明になった。それは名門一家としては絶対に内密に処理したい不始末だろう。

 一方で一年前の定期観測で行方不明になった古株魔闘士は平凡な家系に唐突に出現する突発型と呼ばれる優秀な魔術師で、名門一家とは縁がない。傲慢魔術師が血眼になって探す理由は乏しいように思える。

 後輩魔闘士の公示が異動で良かった、と新米はひとまず安堵する。死亡、自死の知らせだったらそれこそ闇の気配がしてしまう。

「彼の魔力は闇性に堕ちて…」

 言いかけて、中堅は首をひねった。

「闇性に汚染され…表現が良くないね。闇性を帯びて…闇性に傾いて…闇がちになって…これは宿題にしよう」

 宿題は結局うやむやになって、適切な表現とは思えないものの、『闇がち』が流れで定着してしまった。

「闇がち魔闘士くんは、闇性魔力の被ばく超過と推測できるけど」

 新米に多くの可能性を提示してくれる頼もしい存在である中堅審査官は、新米が思っていなかった、正確に言えば考えたくはなかった可能性を口にした。

「加えて危険思想をもって活動しようともしたのか、実際、したのか」

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