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6. 再会を果たす

 融雪装置が働いて現れた粗い敷石は古く、なだらかな傾斜を選んで、あるいは造成されて続いていて、建国以前から人々が魔獣を討とうと重装備を携えて行き来した厚い足跡を遺していた。

 融雪装置小屋にあった金属製の水筒に雪を詰め、炉に入れて温めてから抱いて歩きだす。

「重い。顔寒い。お腹すいた。鍋の魚、腐る。誰かお願い、捨てといて」

『魔術省魔能士に向かって家庭生ゴミを捨てておけと。その皮の厚さでもなお顔が寒いとは、南部人は』

『我々が処分し鍋を洗っておきます!』

『研究所には保存食の備蓄があります。門番は物資なら通すので。もう近いはずですよ、崖の岩壁そのものが門の機能を果たすんです』

 ぴりぴりと静電気でまとわりつくローブの裾をさばきながら、ひと足ひと足、彼女は斜面を登っていく。

 そそり立つ断崖絶壁が中腹から先を完全に遮断している。崖の一部が風雪から逃れて岩肌をさらしていた。そこは一面の削り跡で、その隙間にばらばらといくつかの小さな図形が点在しているだけだ。門と言われて想像する柱も扉もない。

「ここかな? 門を開けてもらう対価魔力はどのくらい?」

 精霊は術者から魔力を受け取り、霊力に変換して自らの生命維持に使う。代わりに精霊が持つ能力を紋で指示された通りに実行する。その能力が自然現象から離れるほど、対価として要求される魔力は飛躍的に増える。

 転移に比べれば少ないが充分に多い対価量を遠隔会話ピン越しに教わって、彼女は大気中から魔力を集め始める。集めながら、岩に描かれた小さな図形が魔術省所属の各魔術師固有の識別紋章だと気付いてピンを握る。

「門に兄の識別紋章があります!」

 残っているんです、と魔闘士が答える。

 門の岩壁に識別紋章を描くと通行できるようになる。門番の精霊は識別紋章に対応する固有魔力の持ち主を通過させる。だから兄の識別紋章が描かれていれば本人でなくても同一魔力を持つ妹が通過できる、と予想しているらしい。

 魔獣討伐完了後、基地は基本的に封鎖されほぼ全ての識別紋章が削られたが、例外がある。門番の精霊は通行の往復を監視していて、不慮の不帰などを避けるため、往路だけ通過したままの者の識別紋章を削らせないという。

『あなたのお兄さんは、魔獣討伐の復路に門を通過しませんでした』

「それはその…生きて戻れなかったっていう…」

『おっしゃる通り殉職者、行方不明者の識別紋章は残ります』

 彼女は門を見上げて一歩二歩、後ろへとよろめく。王都へ戻れなかった者たちの識別紋章が描かれたままの岩壁、これは墓標に等しいのだと理解する。

『ただ、お兄さんはそうではなく、魔獣棲息域から門を経由せず一気に魔術省内の除染室に転移したんです。討伐の日、交戦地最前線には除染室直行の臨時緊急転移紋が用意されていました』

 門番の精霊は門を使わない方法での王都への帰還を把握しない。結果、兄がまだ基地内にいると誤認し識別紋章が削られずに残っている、ということらしい。

 彼女は混乱してきた。兄は王都に転移した、つまりこの門の向こうにはいない。とすればここで探せと言われている闇堕ち魔闘士とは誰なのか。

 門の壁を必死に見て回る。彼女の見知った識別紋章がまだあった。

「もう一つ、知ってる識別紋章が…」

『まずは門を通れてからです』

 傲慢魔術師のいらだった声に質問を断たれた。

『中に入れたら所内を捜索しなさい。次に奥の旧魔獣棲息域。さらに北へ抜けて逃亡していれば、酷寒が始末をつけてくれるでしょう』

 メキ。と、握りしめていたピンが折れ曲がる。

『…いま…なノイズが…』

『…ご無事な…応答…』

『魔術省…弁償…』

 国を捨てて逃げ出すような人じゃない、という思いがピンを曲げていく。

 いつの間にか所要量に足りていた魔力で門が開く。突然に岩色の土砂降りが視界を遮り、また一瞬にして消失する。視覚としては土砂降りなのに、重さも湿度も感じなかった。門番の精霊が岩の組成を動かして、彼女を岩窟内に取り込んだらしい。

 風も光も消えた暗闇で、彼女は三呼吸ほど、聞いたこともなかった超常現象を起こす精霊の力に圧倒されていた。

「通れた、のかな…。灯り、あるならついて」

 岩窟を整備して作り込まれたかつての魔獣討伐の前線基地、そして今は研究所と呼ばれる建造物の灯りを次々に点けながら、彼女はとにかく奥を、上を目指す。がらんとした空間に時折現れる什器や魔術具の横を小走りで抜ける。

 国を捨てる人じゃない、闇堕ちするような人でもない。賢くて平静な人だ。消息不明だというなら、それはきっと彼の意思じゃない。酷寒に始末されていいはずがない。

 そう思う心の勢いのままに走ったが、研究所の広さに負けた。岩肌むき出しの通路の壁にもたれて息を整える。

『…聞いてくだ…ローブには闇性…を弾く防御がかかっ…ますが』

『処理量に限度…ので、闇堕ちとの接触…絶対に避けて…』

『二日以上生存…例はないので…予測不…』

「えっ、そうなの? 分かりましキャー!」

 いきなり後ろから腕をつかまれて、彼女は腰を抜かした。文字通り腰を抜かして岩の床にへたり込む。登山装備らしき野外作業服の男が彼女の両肩をつかみ、至近距離までかがみ込んで顔を凝視してきた。

「先輩?」

「あっ! えっと…お久しぶりです、後輩さん…」

 記憶より痩せた頬、記憶より伸びた髪、記憶通りのちょっと生意気さのある声。

『言ってないんだから思ってるか分からないだろ、ですよね』

 そうごまかしておきながら、王都育ちの彼の口には合わないであろうフィッシュパイを完食してくれた人。

 それを分かっていた兄が、フィッシュパイの日を狙って強引に連れ帰るようになった人。

『ああ我が家、フィッシュパイと妹が待つ我が家よ』

『まさかまた…酔いつぶれた振りで送らせるなんて。次からは実験魔植物廃棄場に置いて帰るんで』

『俺の善き後輩なのに』

『今晩は。今日は何の魚ですか』

 玄関先に悪しき先輩を打ち捨てる悪態から一転、彼女にはにこっと上品な笑顔を見せる。

『悪魔のように態度を変える男だな』

『相手が僕を扱うのと同じ態度で接し返しているだけです。つまりむしろ誰に対しても公平で一貫性がある』

『うん、やっぱりその屁理屈頭は、論文の共著者としては最高だな』

『執筆を丸投げしといて今さらほめても、筆頭著者が僕って約束は忘れてやりません。そうだ妹さん、南部の海上で発生する竜巻の話、また聞きたくて』

 竜巻に吸い上げられて降ってきた魚が妹の額を直撃し流血した思い出話を聞いて控えめに笑いながら、やっぱりフィッシュパイを完食してくれた人。

 嘘の腹痛、半分嘘の火傷、本当の爆睡、嘘の高熱、半分嘘の泥酔、本当のわがまま。様々な理由で兄は何人かの魔闘士や魔能士を連れ帰ったが、一番迷惑顔で、それでも一番多く付き添ってきて、その度に魚嫌いを隠そうとした善き後輩が、彼女の顔をのぞき込みながら落涙している。

「妹さん…? 魔力が先輩なのに…ローブも先輩の」

 彼女の冷え切っていた頬に、善き後輩の温かな涙が落ちてくる。

「一瞬…先輩が生きてたのかと」

 闇堕ちは生物災害、接触厳禁と警告されていたのに、両腕を震える手でつかまれ涙で肌を濡らされても、彼女は動かなかった。

「どうして…あなた方兄妹が似てないなんて、思って、いたんだろう」

 ただその懐かしい相手を見上げ、兄の死の知らせに一度も湧くことのなかった悲痛が心を裂くのを感じていた。

「先輩と同じ眼、なのに」

「後輩さんが泣くなら…本当なんですね。本当に兄は、死んじゃったんですね…」

 兄と自分がいる場に一緒にいた人が嘆いている。自分の目の前で兄と談笑し、悪態をつき、同じ夕食を囲んだ善い人が、兄の喪失に泣いている。

 兄の死を実感できずにいた彼女にとって、善き後輩の涙はようやく心にまで落ちて届いた悲報だった。

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