51. 指輪を奪われる
「より短時間で失神させたいならスリーパーホールド、呼吸困難の苦痛も与えたいならチョークスリーパーだ」
「スリーパーホールドでお願いします」
「よし。まず頸動脈の位置を確認しろ」
朝礼の前、食卓と椅子が片付けられたホールで、魔闘士副隊長が新人魔導士に締め技を指導している。指導を装った嫌がらせではなさそうなので、審査官としては見守るだけだ。
やって来た後輩魔闘士が彼女たちを見て戸惑っている。怪訝な顔で三秒ほど立ち尽くしてから、こちらに向かってきた。
「おはよう。護身のためじゃないかな」
先制して答えておいた。
「おはようございます、中堅さん。妹さんが中堅さんの眼鏡をかけているのも護身ですか」
「頸動脈をよく見たいのかもしれないねえ」
と返しておいたが、新米捜査官が彼女に話があったらしい。昨晩、眼鏡型遠隔会話魔術具を彼女に手渡すように言われた。しばらく両者は話をしていて、その後に『何日かお借りしますね』と強奪されてしまった。
昨晩の彼女はとても怖い顔だった。締め技を習えという指令でも出されたのだろうかと、中堅は職業的な指導で上達していく彼女を見守りながら思う。説明が欲しいのは自分も同じだ。
「魔能が低い妹さんが君の攻撃術に対抗するなら、魔術より物理だ。ローブは物理的な攻撃はほぼ防げないし、体格が上の相手でも通る締め技は有効だ」
魔力を操る魔導は訓練次第で上達するが、精霊を操る魔能は完全に生まれつきの才能だ。
もし闇がち魔闘士が闇性魔力の有害性に侵され彼女を攻撃することがあれば、王の剣と呼ばれるほど高い魔能で攻撃魔術を駆使する魔闘士に魔術で対抗できるはずがない。
「体術は得手ではありませんが、それでも僕も魔闘士なのでさすがに一般女性に背後を取られたりしません」
「彼女が不意打ちに成功した相手は誰だったかな。正面から、しかも二回だ」
「話しながら僕も馬鹿だと自分で思いました」
あっさりきっぱり失言を認めている。
彼は頭がいい。研究に発明に、情報の駆け引きもやる。なのに彼の先輩とその妹である彼女が関わると年相応に気が緩むようで、微笑ましくもあり危険でもある。
「中堅さん、これを」
後輩が差し出したのはアームガードだ。防刃用なのは、彼の得意技が風系の攻撃術だからだろう。金属プレートには超高効率蓄魔晶石が埋め込まれ、攻撃術の精霊紋がびっしりと刻印されている。
王国魔術省の新式描紋の先駆者であり、魔獣討伐に貢献した魔闘士による一点ものだ。もし売りに出したら王宮近くに家が買える代物だろう。
「中級精霊の攻撃刻紋を加えておきました。中堅さんは魔能が高いので、魔導の訓練をすれば中級でもすぐに使えるでしょう」
礼を述べて改造アームガードを受け取る。
先日の半闇性野獣による襲撃の際、得意はデスクワークだなどと言った自分を恥じ、同僚を守る手段があればいいのにと痛感した。善き後輩魔闘士はそれに応えてアームガードを強化してくれた。
正当な報酬を考えると恐ろしいほどの寛大さだが、彼にはこの武器で守ってもらいたい人物がいるということだ。
「妹さんに魔導の指導を頼んだんだ。蓄魔晶石からの魔導は彼女が一番慣れているから」
「対価はスリーパーホールドですね」
練習台にされた魔闘士隊員が気絶しかけて、妹にぺちぺちと頬を叩かれている。彼らを眺める後輩の眼は遠い。闇がち魔闘士は身体的接触を可能な限り避けるべきだ。何気ない交流さえうらやましいだろう。
岩窟の廊下から高い足音が響いてきて、副隊長は整列の号令をかけた。速やかに整列した魔闘士隊の前に現れたのは若手魔導士と、彼が転移で連れてきた女性だ。
「本日付の異動を周知する。魔術省から出向する精霊鑑別士だ」
「精霊鑑別士です」
涼やかで艶やかな、そして固定された笑顔だ。笑顔を武器にできると知っている者は見れば分かる。笑顔そのものよりも、この笑顔を見ろというメッセージが前に出るからだ。若い精霊鑑別士は自分の武器に自信があるようだ。
「王都でのお仕事が中心で、基地での生活は慣れていませんので、みなさんに色々教えて頂ければと思っています。よろしくお願いします」
列の後方まで香水が匂ってくる。魔力の闇性度や濃淡を嗅ぎ分ける必要性が特に高い北嶺では使用しないのが暗黙の了解だ。
それに基地が岩窟だと知っていて高いヒールの靴を履いてきたとしたら、よほど強い足首の持ち主であり、耳障りな靴音が魔闘士隊の索敵の邪魔になると頭の回らない乏しい想像力の持ち主でもあるのだろう。
先輩魔闘士が遺した精霊は魔術界の常識を変える特異な能力持ちだ。不適切な者に触れさせたくはないところだ、と中堅は警戒心を立ち上げる。
精霊鑑別士はゆっくりぐるりと同僚たちを見回し、目当ての人物を見つけたようで、微笑みながらヒールを鳴らして進み出た。
「それ以上近付かないでください。僕は最新型ローブとは特に相性が悪いんです」
手の平を向けて明確に制止したのは、闇がち魔闘士だ。相性の悪いローブがバチバチ鳴って、鑑別士はおおげさに驚いたような顔をしながら速度を落とし、もう一歩だけ近付いた。そして笑顔を作り直す。
「おひさしぶり、わたしの魔闘士さん」
魔闘士隊員は整列時に頭を動かしてはいけない。彼らの耳の集中だけが一斉に向けられ、魔闘士隊以外の視線が一気に二人に集まった。
「父との手紙のやり取りでは大きな誤解があるって聞いたわ。直接お話ししたいなって思っていたの」
「あなたの魔闘士は僕ではありません。誤解もありません。個人的な話は控えてください」
静かで断固とした拒否の言葉が並ぶが、鑑別士は意に介さず微笑を崩さない。
「誤解じゃないならどうして、わたしの異動日に魔闘士本部にこんな素敵なものが用意されていたの? ありがとう。受け取っておいたわ」
ふふ、と微笑んで精霊鑑別士が手を挙げる。指にはまっているのは後輩魔闘士の印章指輪のようだ。
後輩は自分の印章指輪を先輩の妹のために遠隔会話魔術具に改造した。新しいものを再申請していたはずだ。
それをこの鑑別士は勝手にはめて持ってきたようだ。やや古風な、婚約が成立した相手に渡すものとしての印章指輪の使い方を知っている態度だ。
魔闘士隊員たちの精一杯の横目、それ以外の同僚の視線が妹の手元に突き刺さる。常にそこにあったはずの少し歪んだ指輪はいつの間にか消えていた。ひんやりとした北嶺の朝がさらに冷え込んできた。
「身分証明として再支給を申請しただけです。返却願います」
「どうして再申請なんてしたのかしら。なくなったのね、きっと。魔術名門一族が血統を守るために一族同士で結婚すること、知らない人はいないと思うわ。そんなことも知らない非常識な人が、王の大事な探査基地にいていいはずないし…」
情報提供者がいる。
後輩魔闘士が印章指輪を渡した相手がいること、その相手が基地内の者であることを精霊鑑別士に教えた人物がいる。
この精霊鑑別士は彼女自身が言ったのだから魔術師名門一族、つまり東塔派だ。魔術師や魔術省に深く広く根ざし、時に不当な手段で権益を吸ってきた。そして恐らく王への情報を隠蔽して王国を危機にさらしてきた一派でもある。
鑑別士は衆人環視の中で嘆息を装いながら、印章指輪を受け取った人物を中傷している。同僚たちがそろりと新人魔導士の様子をうかがおうとした時、
「名門一族は行儀を知らないな。朝礼の最中に私語が止まらないとは」
副隊長の厳しい声が飛んだ。
「後輩、ナーサリーを二十周。鑑別士、くさい。香水を落としてこい。耳障りだ。裸足で歩け」
内心で拍手を送った。




