20. 鍵を開ける
「先輩の専属精霊は開錠の能力持ちだと考えるに至った話をします」
「お願いします」
妹は講義を受ける学生の気持ちで姿勢を正した。
「僕は感心を通り越して疑問に思っていました。先輩は説得がうますぎると。東塔派、保守派、堅物、トラブル回避、嫉妬による拒否など、先輩は障害に困らなかったはずなんですが」
困らなかったことが困った事態だと妹は思った。
「たった一年という短期間で魔術省内の討伐遠征消極派を説得して回り、資金や資材の援助、技術協力、人材派遣を実現させて、準備万端で三十年ぶりの討伐遠征を進言したんです。あの東塔派が対価もなく秘術の貸出を承諾したなんて…」
信じられない、といった様子で後輩魔闘士は首を振っている。
「僕の方でも攻撃術の新開発や魔獣の解析論文で揺さぶりをかけました。それだけでは全く手応えのなかった相手が、先輩と話すと考えを変えるんです。遠隔会話越しでさえ、すぐに。僕の方が現実的な説得材料を論理的に話せるはずなのに」
兄のほぼ嘘の理由に動かされて帰宅の付き添いをさせられ続けた人が何を言ってるんだろうな…と妹は思うが、口にしないでおく。
「そのうち僕は気付いたんです。難しい説得相手と話した日の先輩は、固有魔力を消耗していました。専属精霊を使ったんです。ペットだと思われていた専属精霊には何か、説得を成功させる力があるのではと考えるようになりました」
妹は小さく挙手する。
「暗示とか魅了じゃないんですか? あ、そしたら描紋学が得意な後輩先生なら専属精霊の紋を見ただけで判別できたはずですね」
「良い気付きです」
後輩先生は鷹揚にうなずく。
「その通りです。それを否定できる別の根拠もあります。官給ローブには安全のため、精神攻撃術に対する防御がかかっています。暗示や魅了など、既知の全ての精神操作魔術は官給ローブを着ている魔術師には無効なんです」
「でも魔術師だって、常に防御術をかけ続けているわけではないでしょう? 兄はその隙を突いたのでは」
「官給ローブの防御術を実行させているのは着ている魔術師ではなく、魔術省です。魔術省には官給品に施術している防御の精霊への魔力を安定供給するために、何十人もの魔導士が交代で詰めているんです」
官給ローブ自体に隙は無いと知り、妹は違う方向で考えることにする。
「じゃあローブを脱ぐような時…寝ている時を襲ったとか」
「あなたは一体どれだけの魔術師が官給ローブを脱ぐことなく生涯を終えると思いますか」
妹が意味を理解するのに十秒かかった。
「一生着たままなんですか、お風呂は? ハグは? 海水浴は?」
「慣れればうまくずらして結構色々出来るんです。魔闘士の場合、北嶺前線基地に駐留中は闇性魔力軽減のために終日着用義務がありました」
兄は家での入浴時や就寝時は脱いでいたから、他の魔術師も同じだと思い込んでいた。
「後輩さんも普段から着たままずらす生活を?」
「魔闘士でしたし、東塔派閥内で生きてればそうなります」
「寝ぼけて攻撃術を発動しちゃったりしないんですか」
「不発に終わるという点でだけは、長い詠唱も意味があったと知りました。研究で徹夜明けにうたた寝していて、何回か…先輩に誤爆したことが…」
後輩が火傷した兄の帰宅に付き添ってきて、兄に二倍量のフィッシュパイを盛られていた日があったなと妹は思い出す。
「闇堕ちしてからローブを着なくなって、実はまだ慣れません」
後輩魔闘士は困ったように笑った。
ローブ内部の防御術は彼の固有魔力が半闇性を帯びた後でも識別結果を変えず、侵入者と認めることはないという。だから今でも着ることは出来る。
けれど、外側の闇性魔力反射機能が強く反応し続けてしまうこと。所内の生活範囲の大気中闇性魔力は彼の耐性範囲内であること。研究所には精神操作をしかけてくるような相手が存在しないこと。それらの理由で、ローブはポケットが多いだけの動きづらい服でしかなくなったそうだ。
彼女は兄の動きづらいぶかぶかローブを見下ろした。
「先生。ハグできるずらし方を教えてください」
「教わって何をするつもりですか」
「ハグです」
「僕の聞き方が悪かったですね。教えません。小動物みたいな威嚇をしないでください」
後輩先生は完全に困った顔をした。
「話を大幅に戻していいですか。先輩の専属精霊の紋は、魔法鍵とも違いました。魔法錠の原理は数種類あるんですがそのどれとも違い、非常に強力だと考えられます」
講義の口調に戻って後輩魔闘士が話を進める。
あらゆる魔法錠のマスターキーに等しい、もしそんな開錠の精霊がいたら何が出来るでしょうか。
一級手帳の魔法錠でも、禁制魔術書が所蔵されている封印箱の錠も、自分やライバルの秘密が詰まった金庫の魔法錠も開けられると言われたら、誘惑や脅迫に屈しない人はどれくらい残るでしょうか。
とりわけ用心深くて、心身の安全のために官給ローブを脱がないような魔術師たちだからこそ、何かの開錠と引き換えに説得に応じない人はどれくらい残るでしょうか。
「討伐遠征実現という大義のためとはいえ、先輩が協力の対価に不正を働いた可能性を、妹のあなたに伝えるのは心苦しいのですが」
「いえ! 兄が誠心誠意熱心に説得に通ったと言われるよりはるかに納得できます」
「晴れ晴れと納得されると、それはそれで心が痛みます。さて、開錠の精霊だというのはまだ僕の仮説に過ぎません」
施錠を確認します、と言って後輩魔闘士は敬意をこめた様子で古株魔闘士の手帳を手に取った。
ベルトも錠もないただの手帳で、鍵がかかっているように見えない。門番の壁で見た覚えのある識別紋章が焼き入れられた革の表紙には、指の跡が点々と暗赤色で残っていた。
「古株先輩、失礼します」
後輩の指先に力がこもるが、開かない。ひとかたまりの精巧な木彫りかと疑うくらい、何をどうしても表紙もページも動かなかった。金属製の表紙で鎖が巻かれているならまだしも、見た目がごく普通なだけに異様な感じがしてしまう。
「では開錠の精霊を試します。妹さんの固有魔力を充填した蓄魔晶石を全部、その上に置いてください」
彼女が言われた通りにすると、後輩はさらに専属精霊の紋側を伏せたポケットの生地を乗せ、蓄魔晶石と紋が触れ合うようにした。
「先輩のローブ内での状態を再現しました。対価魔力量は不明ですが、強力な紋ほど消費が激しいのが原則です。ゆっくり慎重に流してください」
「はい。精霊さーん…いきますよー…」
蓄魔晶石から魔導した固有魔力を専属精霊の紋へ流していく。予想通り必要量が多いらしく、すぐには足りた徴候が出ない。
「審査部に解錠を託すことも出来るんですが、中を検閲されます」
彼は思案顔をする。
「内容によっては、闇性魔力について有益な情報があっても僕の閲覧は許可されないかもしれません。審査部が特定派閥に対して不自然に有利な結果を誘導することがあるので、信用していいものかと」
「審査部って、裁判の前段階の捜査をするところですよね? 公正な人たちでいてくれないと困るのに」
「先輩に課された罰金も不当に高額で、審査部に何度か監査の依頼をしたこともあるんです、僕が代理で。門前払いでした」
「話を聞くこともしてくれなかったんですか? 虐げられた人の話をちゃんと聞いて公平公正に審査してこその審査官であって欲しいですね!」
「とても良い理想的な答だと思います」
「ありがとうございます、先生。ところで兄の罰金って何ですか」
「魔力が必要量に達したようです。この揺らぐ徴候が見えるかが良い魔導士の第一歩で…」
「兄の罰金ってー!」
「精霊が魔力を受け取ってます。必要魔能水準が低いようで良かった、実行してくれるようです。先輩の専属精霊が開錠を成功させたか、確認しましょう」
「先生が質問を門前払いしてます! 審査官! 審査部ー!」
後輩の指が精霊紋の生地をどける。手帳の上に盛られていた数個の超高効率蓄魔晶石はほとんど空になっている。
「今はあなたの専属精霊です。どうぞ」
そーっと手を伸ばした妹は一息ついてから、えいっと革の表紙をめくる。何の抵抗もなく開いた。手品みたいだ、と妹は感嘆する。
「すごい。開いた。開錠できた。兄は専属精霊でどんな手帳破り金庫破り禁術書破りしたんでしょう…そういえば家の薬品庫の中も数が合わない日があったような気が…先生?」
手帳の裏表紙を観察していた後輩は黙ったままで、机に乗り出した彼の上体から力が抜けていく。
「すみません…無意味でした」
何が? と戸惑う妹に、後輩は裏表紙に手描きされた識別紋章を指し示す。
「手帳の魔法錠は手帳の持ち主がここに識別紋章を加えることで、彼らに閲覧権限を与えることが出来る仕組みなんです。魔闘士隊長と先輩が見られるように設定してくれてます」
「手帳が発見されたら、上司とバディの相手が読めるように…」
「そうしますよね。なぜこんな簡単で必然な気遣いに思い当らなかったのか…」
「開錠の専属精霊だと断言できる、とか講義する前になぜ」
「断言できるとは言っていませんし、講義もしていません。仮説が外れていただけです」
「仮説が勝手に外れたような言い方を…」
「僕が仮説を外しました」
ばたり、と後輩は机に突っ伏してしまった。
「恥ずかしいですね。いえ大丈夫です、先輩との研究では仮説が九割近く違う結果に終わっていたので慣れています」
ややあって気を取り直したのか、後輩は起き上がって乱れた髪と襟を整えた。
「では、古株先輩が魔獣の巣で何を書き遺したのか。拝読しましょう」




