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16. 不眠を常とする

 快適温度のバスルーム、清潔大きめ部屋着、保温の刻紋蓄魔晶石付き水筒に軽食、魔闘士御用達☆霊木の花蜜含有で抗闇性魔力効果のある温感保湿クリームまで。雪山の岩窟にいるとは思えないホスピタリティと、『ゆっくり休んでください』の紳士的微笑を添えた挨拶を残して去られてしまった。

 彼女は情けないもどかしさにローブ巻き寝袋ごと回転していたが、やがてむくりと起き上がった。

 食堂の机の上には蓄魔晶石の小山が出来ている。兄のローブのポケットからかき集めた飴は、全て空の超高効率蓄魔晶石だった。それらに魔力を充填するのが、彼女が兄のためにする毎晩の日課だった。飴の紙に包んで持ち歩いているとは知らなかったけれど。

 大気からの魔導は注意が必要だった。闇性魔力が混合している北嶺でそのまま魔導すると、貯蓄される魔力は闇性を帯びてしまう。使うと精霊に嫌われて次回からは力を貸してくれなくなる。

 試行錯誤し見つけ出した楽なやり方は、ローブをぴったり閉め切った内部で魔導する方法だ。ローブ表面の闇性魔力反射機能の処理能力を超えないよう、中でゆっくり慎重に魔導する。

「そーっと集めて、ぎゅーと凝縮、貯めるー。次、そそーっと、ぎゅーっと、貯めるー。そーっと」

「…声をかけてもいいですか」

「キャー!」

 椅子ごと後ろにひっくり返りそうになり、嫌な浮遊感に背筋がぞっとした瞬間、彼女はバチバチと激しい防御反応を聞く。直後、彼女と椅子は正しい方向の重力と安定を取り戻す。

 あご下まで引っ張り下ろしていたフードをかき上げて彼女がローブから頭を出すと、後輩魔闘士が口元に手を当てて笑っている。

「すみません。まるで孵化する前からにぎやかなヒナが孵化したみたいで」

 ヒナ扱いなのか、と彼女は愕然とする。先輩魔闘士の妹でなくヒナ程度の。保温水筒を渡したのは卵を温める気持ちだったのか。

「驚かせてすみません。僕も驚いたので相討ちです。夜の食堂で、そー、とか、ぎゅー、とか鳴く黒い塊が椅子でうごめいて魔力を吸っていたから、武器を探すところでした」

 相討ちする間柄だったのか。武器を探される仲だったのか。彼女は次々と精神被害を受ける。

「僕が支えたのは椅子で、あなたに直接触れてはいないんですが、念のため闇性魔力残留値を測らせてください」

 測量計で体表近くを慎重に検査される。ローブの反射処理能力内ですね、と冷静な報告を受ける。

 そうですか、と彼女は少し拗ねながら答えた。

「後輩さんの体液ならもうとっくに浴びてるのに、今このくらいで検査なんて」

 再会の最初で彼女の頬に涙を落とした後輩の顔から、すーっと表情が消える。

「大変言いにくいんですが…記憶にないんです。僕は同意を得ましたか」

「そんな暇もなく肩をつかまれて」

 ざーっと後輩の顔が青くなる。

「申し訳ありません。油断していました。記憶にも理性にも有害性が及んでいたことに気付かず…あなたの追加検査をしなくては。その…内部の。もちろん全て責任を取りますが、僕は闇堕ちなので…適格者を紹介します、あなたが気に入るまで何人でも」

 検査に適格者って、闇性魔力値検査技師免許でもいるのかな? と彼女は思う。

「誰でも、わたしは構いませんが」

「どうか構ってください、一生のことです。一生以上のことです」

「でも…今ごろ検査しても、とっくに染み込んだと思います。拭かなかったし」

「僕は事後にあなたを放置していたんですか」

「手もハンカチも貸せない、って。大丈夫です、後輩さんが気遣いの人だって分かってます。自覚がなかったんですよね、黙っていれば良かったですね」

「僕はそんな非情な獣に…何か探してきます、拘束するものを」

「拘束って。涙腺をですか?」

「僕の手を…涙腺、を。涙腺です。十五秒ください」

「ごゆっくりどうぞ…?」

 善き後輩は腕を固く組んで、じっくりと十三秒ほど彼の脳内を探索しているようだった。

「泣いたつもりはなかったんです」

 彼の顔は今度は赤くなっている。

「あの時の対応に後悔はない、けれど合っていたのか。いつ何に気付けていればいつ何を変えられていたのか、今もまだ考えます。それに闇堕ちになった僕には被検体としても研究者としても、やるべき事が山積していて…不思議と心が落ち着いていて、涙は出なかったのに」

 彼女はゆっくりうなずく。

 自分が泣けなかったのは兄の死の実感さえなかったからだ。でも共感できる。兄のローブにくるまり魔導しながら考えていた。自分が充填した蓄魔晶石が、兄が命を懸ける選択肢を実現可能にしてしまったのではないか。

 研究用だよと言う兄をもっと問い詰めていれば。兄を信じて魔力充填した日々は合っていたのか。

 善き後輩は黙り込んでしまっている。善良な後輩だからこそ兄を単純に疑いなく受け入れ、兄の計画に気付けなかった。

「合っていたんです。きっと」

 魔導しながらぼんやり考え進めていたことを、口にしながらまとめようとする。

「その時の最善を考えた。結果がその通りにならなくても、誰かにとって最善でなくても、目の前の相手の、兄の最善を考えて動いた、それが…兄への最善だった、合っていたって事なんだって思います」

 言いながら自分の言葉に首をかしげる。

「最善最善って言いすぎて分からなくなってきました」

 ふっ、と微笑んで彼は組んでいた腕を緩める。

「理解できたと思います。言葉だけじゃなく、他にも。ありがとう」

 善き後輩は納得顔に見える。つたない言い方になってしまったけれど何か晴れたのならいいかな、と彼女も笑みを返した。

「ですので僕は早急に、あなたが携帯できる武器を用意します」

 なぜそうなる。彼女は『ですので』に納得できない。

「既存の対半闇性野獣武器に攻撃刻紋蓄魔晶石を組み合わせておきます」

 彼は食卓の上の蓄魔晶石を手に取った。

「魔獣は、人もですが、警戒状態にあると金縛りや幻視のような精神攻撃が通らないんです。身体攻撃ならまず足止めに狭配光の閃光、氷結から破砕風弾…は岩窟内部では落盤の危険。刻紋蓄魔晶石であっても依然として猛火の精霊の必要魔能は…」

 自分自身を攻撃するための物騒な検討を冷静に進める後輩が彼女は怖い。

「兄は子供のころから猛火の精霊で野外焼肉してたけど、わたしは魔能の才能が全然なくて。転移や門番の精霊が使えて実はびっくりしました」

「転移や門番の精霊は魔力を大量に食いますが、必要魔能水準は非常に低いんです。汎用の火の精霊と同程度…猛火の精霊で? 焼肉を。街の全住民に振る舞う肉祭りでもしたんですか?」

「正確に言えば焼き魚です。魚って言ったら後輩さん嫌がると思って」

「釣られません」

「肉には釣られたのに…」

「釣られたのは猛火の精霊の扱いで…そうでした、では必要魔能水準が非常に低い精霊を使った対半闇性野獣武器を組むので、明日は練習です」

「出来るかなあ」

「あなたの言葉は時々異様に致死級威力があるので大丈夫です。それとも速く動かせるのは口と足だけですか」

「後輩さん相手の攻撃練習がはかどりそう」

 武器を探される仲が武器で模擬交戦する仲になりつつある。彼女は心の中で泣き笑いした。

「半闇性野獣って、闇性魔力を浴びた野生動物ですよね。狂暴で、村や基地を襲ったりもしたとか…」

「闇性魔力を帯びた獣が恐ろしいのは狂暴性もですが、学習能力が高いことです。すぐに人間の武器性能や攻撃パターンを把握します。一撃必殺する威力が要るんです」

 一撃必殺という単語で彼女は兄の魔獣への決定打を思い出す。そしてその魔獣が半闇性野獣どころか完全闇性魔獣だったことも。

 後輩魔闘士はうなずいた。

「北嶺の魔獣もそうでした。過去三十年、討伐遠征が実施されなかったのは悪天候が原因とされてきましたが、違います。過去の幾度にもわたる交戦で学習し、強くなりすぎた魔獣を討てる見込みがなくなったからです。すでに三十年前に魔獣は攻撃呪文の詠唱開始を理解して即座に回避行動を取っています。王国は滅亡を待つだけの、魔獣の前庭でした」

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