come next story 0003 心の問いかけ
会社の近くに小さな喫茶店がある。
木の香りがする静かな店で、ジャズが流れている。
昼休みに少し足をのばして、その店で珈琲を飲むのが五郎の密かな楽しみだった。
「いつもの深煎りですね」
カウンター越しに声をかけてくれるのは店員の佐々木紗英さん。淡いエプロンを付けてどこか穏やかな目をしている。
五郎は頷いて、席に座った。
彼女とは、特に深い会話を交わすことはない。注文を聞くときの声、コーヒーを置くときの横顔に安心感を受け止める。
「今日は雨ですね」
ある日紗英が言った。
五郎はどう返事すればいいのかさえ、戸惑って、ぎこちなく、
「・・・はい」と
応え頷いた。
「嫌いじゃないの、雨 雨音がどこかメロディに聞こえるから」
"嫌いじゃない"という言い方が、不思議なやさしさを感じた。
珈琲の香りと一緒に、ほんの少し心がほどけた気がした。
何気ない会話、人と話す時間が新鮮な世界で包まれたように思えた。
けれど、同時に、怖く、人と関われば心が揺れる。揺れたらいつか壊れる。そんな空想が五郎の癖になっていた。
"俺は大丈夫なんだろうか"
それは自分にしか聞こえない声にならない問いかけだった。