Ending03
氷の魔物は強大で、クロウは凍えた体を無理矢理に動かし戦っていた。
しかし、凍てつく空気も風も、クロウから力を奪っていく。
攻撃をかわしても、攻撃を与えても、弱っていくのはクロウの方だった。
寒さは体力を奪う。
命をも奪う。
魔物の攻撃がクロウに届いてしまった。
「うぐっ!」
今の環境下で攻撃を食らってしまう危険性をクロウは分かっていた。
かすり傷でも一瞬で凍傷になり、服が破れても体温は奪われる。
敵は強大。帰れないと分かっていた。
だが、必ず倒さねばならない。
そうでなければ、何も意味はないのだ。
クロウに頑張ったから良いも、しょうがなかったも、理由にならない。
幸い一撃をくらったといっても、爪で刻まれたわけでも噛み付かれた訳でもない。
殴るような一撃をくらい、胸に今も痛みが走るだけだ。
刺し違えてでも、やらねばならない。
やるには、刺し違えなければならない。
クロウは倒れたまま、剣を固く握った。
己を食いに来る時、喉元にこの剣を突き刺すのだ。
のそりのそりと獣が動く。
すぐ近くまで、異臭のする吐息が迫ってきた。
「うおおおおおおおおお!!!!」
その時、けたたましい声が響いた。
男たちの声。
血を、身を、心を奮い立たせるかのような声の波だ。
大声に反応して獣がそちらを向く。
その隙に足に剣を突き刺し、素早く引き抜いた。
悲鳴をあげてる間に転がり、獣から離れる。
駆けつけてきたのは村の男たちだった。
「え、どうして」
クロウは困惑したが、尋ねる間もなく、男たちは特攻する。
神と崇めた存在に刃を向けたのだ。
「どうしたこうしたもない!クロウ!一緒に倒すぞ!」
「お前がくるまでは俺たちで魔物を狩っていたんだ!なめるなよ!」
「女は男が守る!ははは!お前の言う通りだ!確かに!そのとおり!」
男たちは果敢に立ち向かう。
装備は悪く、中には農具を手にしていた者もいた。
全員で10人も満たない。それでも、クロウは1人では無くなった。
「死んでも!倒すぞ!」
「っ」
クロウの胸が熱くなる。込み上げるものがあった。
中にはここにくるまでに足が凍った人もいた。片目が既に見えていない人もいた。
それでも猛々しく、守るためと武器を握る。
「はい!」
初めて、村人たちとクロウがひとつになり、クロウは1人ではなくなった。
しかし、人数がいても相手は強大。
神の名を恣にしてきた存在だ。
片腕や片目、誰も満足に動けない状況で、簡単に倒せる相手ではない。
クロウのように、一撃も喰らわないは、だれでもできることでは無い。
やがて1人が捕まった。
神の牙に貫かれ、悲鳴が響く。
「今だ!」
分かりきっていたことのように、村人は言う。
実際そうだったのだろう。
噛み付かれた村人も抗うよりも口元を傷つけ、逃げるよりも攻撃をした。
助けるよりも先に攻撃をする。
村人の誰もが、生きて戻るつもりが無かった。
痛みに耐えかねた獣は口にした村人を乱暴に放る。
地面に叩きつけられ、ぐしゃりと嫌な音がする。
近くにいたクロウはその場に駆けつけた。
「ク、クロウ…。行け、お前が、鍵、だから…」
村人は首飾りを差し出し、クロウはそれを受け取った。同時に、彼から全ての力が抜ける。
「っっ」
クロウは首飾りを足に巻く。
温もりが伝わってきた。
村人たちの動きはどんどん悪くなり、傷つけられ怒り狂った獣は更に暴れた。
爪でなぎ倒され、村人の口から血が零れる。
村人は自分の傷を抑えるよりも先に、首飾りをクロウに投げた。
「クロ、すま、なかっ…」
クロウは頷く。
もう片方の足に、首飾りを巻いた。
もう村人たちの作戦は理解していた。
命をかけて、全てをクロウに託そうとしているのだ。
「クロウ、村を頼ん、だ」
「娘を…」
「生きて!戻れ!」
「生きろ」
全員の首飾りを身体にまとい、最後の村人は武器も持たずに自ら獣の口に突進し、両手で目をついた。
既に、首飾りは胸元にない。
クロウはその隙に駆けた。
体は温まり、熱く燃えたぎっている。
沸騰し、爆発しそうな程だ。
「炎の神の加護があらんことを!!」
村人は叫ぶ。
耳元の大声を、獣は顎を噛み締めて対応した。
そして、背後のクロウの刃に反応出来なかった。
クロウは振り抜く。
熱い熱い、刃だ。
ハルは待っていた。
ずっと、村の入口で。
クロウの首飾りを握りしめ、何時でも誰が戻ってきてもいいように。
長い夜が終わり、日が昇る。
霧のかかった珍しく明るい空の下に、人影が写った。
クロウだ。
「クロウ!!!!」
ハルはかけ出し、クロウを抱きとめた。
崩れ落ちるように膝をつくクロウの四肢や胸元には、皆の首飾りが揺れている。
温もりはあっても、息は絶え絶えで、いくつもできた切り傷から血が流れていた。
そう。凍らずに、温かい血が流れていた。
「ハル………」
いくつもの言葉。
村人たちの、最後の言葉たち。
唇を噛み締める。唇からは赤い血が伝った。
皆が生かしてくれた命。この温もり。クロウは身に刻んでいた。
「……おかえり。クロウ」
「ただいま」
抱きしめ会う二人の胸に首飾りはゆれる。
極限までに冷えた世界の中、ここにはどこにも負けない温もりがあった。
やがて村からは命を奪う凍えは消え、儀式は村のために命をかけた者たちのために行われるようになった。
その日は炎を炊き、寒さの中で死んだ英霊たちに温もりを。
感謝と生存を喜ぶ時となった。