魂の査察官
車がこっちに突っ込んでくるのを最後に、俺の意識はいったん途切れていた。
目が覚めると、円卓のちょうと中央に空けられた空きスペースの中にいた。
「彼が、新たな査察官候補か」
クリーム色をした髪の毛の男が、俺の目の前に座っている。
「どちらでもかまわないが、図書館へ本を忘れてきたんで取りに行ってきもかまわないかな」
「早く取りに行ってきて。スグに戻っといでよ」
「子供じゃないんだから」
シュンという風音とともに、真左にいた人が消える。
真右には正面の男とよく似た女性が座っていた。
「お兄ちゃん、そんなことよりもはやく審議をしておかないと…」
「そうだったな。では、一人欠けているがはじめる。アダムには、あとで伝えておいてもらおう」
アダムと呼ばれたのは先ほど消えた男だろう。
そんなことを気にもする暇がないほどに、目の前でコトは進んでいく。
「では、イブ、朗読してくれ」
イブと呼ばれたのは、俺が見えてなかった後ろに座っていた女性だった。
「佐内川西、貴殿を魂査察法第3条に基づく魂の査察官に任命する。魂査察法第3条の朗読。魂を査察し以降どのように処断すべきかを決定するため魂の査察官の職をもうける。2項、魂の査察官は4神[4神とはスタディン、クシャトル、アダム、イブの4名のことである。以下同じ]全員の一致によって任命される。3項、魂の査察官に任命された者に対しては、時期任命者が現れるまで解任することが出来ない。ただし、本人が強く希望し4神および議会の議決に基づき辞任を認めることが出来る」
手に持っていた紙を円卓のテーブルに起き、俺の真正面に座る男を見る。
「以上で朗読を終了します。なお、今回の4神会議は、エア・アダム、エア・イブ、イフニ・スタディンおよびイフニ・クシャトルとします。今回の議決は、速やかに神議会に上程されることになります」
俺の頭の中は、まったくもって混乱していた。
「どういうことか、説明してもらえますか」
俺が聞くと同時に、再び軽い風が起こり男が帰ってきた。
「悪いな、もう始まっているようだが」
「まったくよ、アダムもしっかりしてもらわないと」
「悪い悪い」
悪びれる様子もなく、椅子の後ろに立っていたアダムと呼ばれた男は、一人カジュアルな服装になっていた。
「スタディン、続けてくれ」
椅子に座ると、正面に座っている男に話しかける。
残されたクシャトルという人は、おそらくは俺の左に座っている女性のことなのだろう。
「魂の監査官という役職は、魂監査法に記載されている職権に従って、人が生前どのような行為を行ったか、輪廻の輪の中に組み込むのが妥当なのか、神のみもとで聖都が復興するまで待機させるようにするのか、全ての魂に対して裁きを下さしてもらう。もちろん、一人では大変なのはわかっているから、複数人で当たってもらう。時間はほとんど無限にあるし、どのような裁きが下ったとしても、神議会に上訴することも可能だ。もっとも、神議会で決定されたら覆せないが」
スタディンはそこまでいった時点で、どこからか出した服を俺に渡した。
「仕事に関しては、図書館員が面倒を見てくれる。秘書みたいなものだと思ってくれればいい。仕事中は、その服を着ることになっているから、終わったら脱いでもらって構わない」
「はぁ…」
何も言い返すことができないまま、彼らはどこかへ消え、入れ違いになるように女性が現れた。
「あなたの秘書をすることになった、久廼來海です。よろしくお願いします」
少女が目の前に現れたが、微妙な違和感がある。
「あの…もしかして、どこかで会いましたか?」
「ええ、あなたの主観時間で10年ほど前に。あの時はお礼がいえませんでしたが、ありがとうございました」
深々と頭を下げられる。
そんなことを言われるようなことをした記憶がないのだが、彼女の話を聞いていると、どうやら、車にぶつかりそうになった時に俺がとっさにかばったらしい。
その時は助かったのだが、彼女はさらに5年後に車にはねられたという話だった。
中学校に上がったばかりでの悲劇だったが、当の本人は気にも留めていないらしい。
こちらの図書館で働いているのは、小学生の時から図書館に通い詰めていたし、まだ読みたい本もあったからという理由らしい。
「それで、俺はどうすればいいのかな」
右も左もわからないような俺に、彼女は懇切丁寧に教えてくれた。
それから主観時間と客観時間の差について教えてくれた。
「重要なことです。あなたが思っている時間の流れである主観時間と、この世界で流れている時間である客観時間は、大きく異なります。というか、この空間に時間の概念はないのです。あなたが5分と思っても、この時間では1秒も立っていないということがざらにあります。その点を注意してください。あなたが時間がないと思っていても、この空間にいる限りは時間は無限大にあります」
彼女の言葉はよくわからなかったが、とりあえず、この空間にいる限りは時間を気にする必要はないということらしい。
それだけ分かっても、どうにかなりそうな気は全く起きなかった。
主観時間で1年近くがたつと、仕事にもすっかり慣れていた。
魂の監査官といえば、かなり堅苦しいようなイメージがあるが、法に基づいて執行する裁判官のような役回りだ。
この世界に来る魂は、俺が生きていた世界にいるすべての魂であり、魂のなかには生前の記憶や行いに、本能といったものが組み込まれている。
その情報をもとに、どのように処断するべきかを決める。
処断の内容は、地上に戻すために神[地上に戻すための神がいる]にゆだねる、地上に戻さずにこの空間で生活させる[俺のような存在]、次の世界で神が人を作る時の素となる魂のためにためておく[父親や母親のような存在]、歪んでいると判断され消滅処分とする[歪んでいるというのは、魂レベルで強力な殺人本能や繰り返し虐殺をおこなった指導者のような魂のこと。決して、魂の形が妙になっているという意味ではない]の中から選ぶことになっている。
俺が仕事をしている部屋は、6畳一間の京間仕様の畳が敷かれた和室で、相手の魂は人魂のように光っているのではなく、俺の頭の中が勝手に考えた姿で監査を行うことになる。
だから、相手の生前の姿は全く分からない。
しかし、だからこそ、俺はあのようなことを思うことになってしまったのだろう。
さらに半年が過ぎたころ、一人の女性の魂の監査に俺は当たることになった。
彼女は、生前は保険金殺人を繰り返し行っており、延べ15人の人を殺害していた。
通常ならば、歪んでいると判断し消滅処分は免れないが、その時、俺の頭が思い浮かべた姿は、なぜか母親の姿だった。
「…少し待っててください」
書類を部屋の中にある金庫にすべてしまい、鍵をしっかりと掛け、外へ出た。
「あれ?まだ監査は終わってませんが…」
すぐ外では、中学校や高校にありそうな机といすに座り、作業を続けている久廼がいた。
「ちょっと、頭を冷やしてくる」
俺はそういうと、その場を足早にはなれた。
あの人は母さんではないとわかっているが、それでも頭がとらえた姿は確実にそっくりだった。
トイレの手洗い場で頭から水道を引っ被っていた。
息も荒くなって、肩で息をしていた。
「冷静になるんだ……」
主観時間と客観時間の二つをじっと考えていた。
そういえば、俺がここに来た時にも同じような審査があったはずだが、全く記憶にない。
どういうことだろうか。
「記憶がないのは、当然のことだよ」
声に振りかえると、アダムがすぐ横に立っていた。
いつの間に来たのか気付かなかったが、彼は手を洗いに来たように見えた。
「記憶というのは魂に宿るとは考えられてないからな。あくまでも頭につくものなんだ」
「でも確か、魂を現世へ戻す神は記憶を魂から消し去り本能のみにしてから返す、ということになっていませんでしたか?」
髪の毛についた水をそのまま滴らせておいて、アダムへ聞いてみる。
「そうさ。だが、その記憶は魂に書き加えられるほど強烈な印象を残したもの、たとえば、後々の人生を大きく変えるような人との出会いとか、目の前で強盗によって愛する人を殺されるようなものとかだよ。普通に過ごしている分の記憶は、ほとんどのこることはない。そもそも、魂に書き加えられるようなことは、一般の生活上はありえないんだ。例えば、君が1週間前に食べたご飯の内容を覚えてるかい?」
「では、監査の時の記憶が残っていないのは……」
「あれは、すでに魂だけの状態になっていて、記憶できるような状態じゃなかったからだよ。それに、魂に書き加えられるような強烈な印象もないしね」
アダムが手を洗い終えると同時に、俺にさらにひとこと言った。
「主観時間では、時が動いていることも忘れているような瞬間というのが君にもあったはずだよ。それがずっと続いているのが、ここの客観時間と呼ばれているものさ」
全く意味がわからないが、アダムに聞く前に影になっていた。
「あ、おかえりなさい」
久廼は出て行ったときと同じように、机に座って何かを書いていた。
「…ああ」
粛々と監査を続けていくだけだ。
次の候補者が現れるまでは、母親だろうが、父親だろうが、恋人だろうか関係ない。
やり続けていくだけだ。
主観時間でいくらかけようと、客観時間では一瞬にも満たない間である可能性も否定できない。
だから、俺は自分の思ったようにする。
正しいかどうかは、俺が決める。
部屋に入る直前に、久廼に聞いた。
「…主観と客観ってなんだろうな」
「自分がどう思っているかが主観、人から見てどう思っているかが客観じゃないんですか」
「じゃあ、主観が正しいと思うか、客観が正しいと思うか。どう思う」
「正しいものなんて、ないですよ」
はっきりとした口調。
取っ手に手をかけた格好のまま、彼女に振りむく。
「神ですら過ちを犯すというのに、全員が同じ正義を思っていると思うほうが間違いです」
にこやかに笑う彼女を見て、俺と同じ結論に達していたことがうれしかった。
「そうだな、ありがとう」
なぜそう言われたか彼女が聞く前に、急に恥ずかしさが出てきた。
さっさと部屋へ入り、監査の続きを行うことにした。