来世に予約した贖罪かよ、とベスパが喩えた。
高校三年の夏、クラスの違う友達が自分で自身のバイクに火を点けて燃やした酷い夜がある。今もってそれは、男の人生に於いて目撃した、あるいは立ち会った、もっとも醜い「暴力的な攻撃」だ。現実的に誰かの命と係わることではもちろんなかったが、呆れることすら出来なかった・・・・・・でも今夜あらためて想い返すと肯定などしたくはないながらも幾らかは理解する。人生に願わないまま胸の中も頭の中も、当時は、沢山の理不尽を是とするそれを不思議に思えていた、そんな似たような大人の一人に自分がなっているからかもしれない。
来世に予約した贖罪かよ、とベスパが喩えた青黒い海からは死んだ潮の香りがする夏の夜の湾岸でのことだ。南中にいた日中の陽の色が溺れるほど蒸し暑い夜だった。
一学期の期末試験が終わると直ぐに、以前から目星をつけていた場所へ五人の高校生は五台のバイクで向かった。彼らは揃いのTシャツやパーカーなどを(はりきって)作っていただけで、当然暴走族とは違う。乗っているバイクも統一性はなく、だからいわゆるバイカーズチームとも違った。同じ学年にいる「俺はアン・羊だぞ」と自覚した、少しは似たような匂いの、かつ中型免許取得者の繋がりだった。ネイッキド、カフェ、そしてアメリカン。一人はベスパだった。
さて、男を含め三人のバイト上りを待ち22時過ぎに学校の傍のミニストップで合流して現地に到着したのは23時前だった。
ナンバープレートを外され、唇のない顔みたいに見える無数の乗用車が整然と駐車された「関係者以外立ち入り禁止」とある更地の奥まで進んだ。尖った小さな乳房のような波が護岸を打つ永遠に止むことのない水の音が聞こえた。
底意地の悪い大人とか、クラスのいじめみたいに黒く細かく揺れる沖には巨大なタンカーが浮かんでいた。他にも最小限の明かりを灯す何艘かの船が停泊していた。
少年期の夏の夜の闇を加味した対岸には、無口な白い煙とそれをせっつくような灰色の水蒸気が立ち昇る広大なケミカル工場があり、敷地内に組まれた直線的な構造物の端々に灯った無機質な光は寂しげな銀色。当時の世界が想像した、荒廃した未来のロボット工場よりも美しい冷たさを放っていた。
自分のバイクに話しかけることをよくしていた男は、罪のないバイクの火刑など思いとどまれと最後まで説得したのだったが、見たくないなら一人で帰りな、と全員に言われた。一番強く言っていたのは自分の新車を燃やす本人だった。
立ちコケすらしたことのない無傷のタンクの中のガソリンに漬けた、4メートル程の真新しい作業用ロープをタンクから足元まで伸ばして着火すると、青白く細い火は感情のないまま勢いよく彼岸たるタンク口まで綱渡った。たっぷり残っていた彼岸のガソリンは性的な勢いで揺れ、小さな地割れのような重い音を立てると思っていた以上の爆発を起こした。
吹っ飛んで来た見えない熱風の塊は口早に炎の言語を翻訳し、地獄のオブジェのような火柱に罵られた彼らが見る景色の全てはスローモーションだった。
全員がほぼ一斉に尻もちをつき、子供の、あるいはガキの火遊びとは到底言えない、真新しい夏の一コマに歓声を上げた。誰かのイデオロギーを燃やしてやったぞ、というようなくらいだった・・・・・・直ぐには立ち上ろうとしない仲間へイライラしていると、爆発で横倒しになったバイクのタイヤに火が回り煙の色がもっと黒くなった。夜よりも濃厚で、夜に騒ぐ胸の中の黒い怒りよりも激しく思えた。
ゴムの焼ける、本能的にも焼いてはいけないと思わずにはいられない臭いがレギュラーガソリンの気化と刺し違えた・・・・・・。
車の流れのいい帰りの環状線で、普段ならまずすることはない蛇行運転を繰り返すほど興奮の冷めなかった仲間たちに比して、信号で止まる度に少年だった男はますます無口になっていた。
なぜお前は自分のバイクを燃やさなければならいほど父親を憎むのか? お前の彼女はここ最近体重を増減させ(元々は細くて白い)腕にはマッチ棒のような切り傷があからさまに目立つようになっていやがる。
男はカフェのリアに乗って帰る、火刑執行人に首を振った。