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夜の蓋  作者: ハクノチチ
2/18

男友達とそいつの彼女のことをずっと考え続けた。

 なるほど、最後に持ち出したのは数年前だ。去年、一昨年ではない。婚約者に裏切られて陥った厭世的な気持ちはもう薄れていたはず。とっくに今の、この冴えない仕事を自宅で一人していたのだから。誰にも誇れぬ、また口外できない見事な仕事内容に対する背徳心にも慣れてきていて、いよいよ話に聞いていた通りお気楽くな日々を過ごし始めていたころだ。だからいずれにしろ三十代にはなっていた・・・・・・記憶の座標を思い出しながら、同時に、あの時もかなり不意にこの感じはやってきて・・・・・・でも俺は初めての「無臭」がもたらす喪失感を覚えたんだ。蘇る記憶を押さえ続ける水の音を聞きながら・・・・・・。


 男はとりあえず最後の座標を脇にどかせもう一つ遡った。

 二十二、三歳でアド・ブラウンの女の子と出会った、その後のことは確かだ。だからこちらは二十代の半ばだろう。二十五とか六とか。あるいは四だったのかもしれない。

生きている限り一日に一回は必ずやってくる夜の積み重なりの中で、不意にやってくるこの感じは確かに特別な夜だろうが、その時自分が幾つだったかなど正確には覚えていない。ザックリした年齢的範囲にある、思いで深い、極めて思いで深い出来事の前と後、そのどちらかだったかを何となく覚えている程度だ。

 さて、男はさらに遡ってみた。

 今度ははっきり特定することが出来た。もちろんこれほどはっきり特定できるのは「この時」しかない。言い換えれば男の人生、というか人生観みたいなものが初めて揺すぶられた出来事がずっと尾を引いていて、結局は解決する方法なんてないことが一生にはあるのだろう、と理解した記念すべき日だったからだ。


 後年、頼るべき匂いのなかった夜、寝入るためというより派手な汚点の記憶を押さえつける為に代替した水の音など必要とせず、蒸し返す嫌な気持ちの問題を明け方の心の中から新鮮な大気の中へ丸々投げ捨てることが高校生だったころには可能だった。


 十八歳の時の正月が明けて高校三年の三学期が始まり数日が経った日の夜。あの時、今夜のようには座標を遡ることをしなかった。そのことをはっきり覚えている。

寒い夜に布団がようやく温まり始め、当時は余り口を聞くことのなかった家族が一日の活動をとっくに終えていた家の中は静まり、風のなかった家の外も子供の頃についた嘘を思い出してしまうような冬の星の近くまで届く静けさがあった。ベッドの上で、重たい布団にくるまり足の甲を反対の足の裏で交互に擦っているとき、やはり瞼の裏に幼いころからの馴染の気配を嗅ぎ取った。「あっ、あれだ」と思っているうちに神経が覚醒してきたので、逆にこの機会を使い一人の男友達とそいつの彼女のことをずっと考え続けた。眠れない夜「夜の蓋」を意図して開けずに朝を迎えたのはこの時だけだった・・・・・・。



 そこで今夜の男はまた溜息をついた。朝目が覚めて瞼を開けると同時に鞘から太刀を抜く空想を繰り返していた当時の腹の立ち具合が頭の中で蘇る一方、胸の中ではどこか懐かしい気持ちも沸いたのだったが、今更不安な気持ちが混じった。

一晩中起きていて、どこかの時点から我慢していたトイレの限界が訪れた朝に丸投げした、我が青春時代に特出する嫌な気持ち・・・・・・。    

 今それは一体何処にあるのだろう? もちろん大気の中になどあるわけがない。当時そう思えたのは若かったからだ。

 人の記憶の中には個々人だけの時間が流れているらしいから、あの気持ちはきっと白い流れの河原で硬い骨になって残るのかもしれない。いつか俺が河原の列に並ぶときその骨を石と一緒に積み上げるだろうな、と男は思った。

 つまりは二十年近くかけて「大気」の中から「河原」に移しただけだってことに気が付かなかった。それは男の、大人になっても変わらない、少しばかりは愛おしい滑稽なる「モノ」なのだ。この男に限らずそういう類の進歩なき不変は案外自分では気が付かないのかもしれない。


 あいつらはどこかでちゃんと生きているのだろうか?





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