その①「猫と喋ってるよ、静所さん」
高校生活が始まって、すでに2週間。4月も折り返しに差し掛かり、ゴールデンウィークの足音が聞こえる。そんなある日の昼休み。岩濱成行は、校舎北側に広がる森林ゾーン近くを歩いていた。
成行の通う高校・柏餅幸兵衛学園は、私学の中高一貫校。創立は明治時代。当時、実業家であった柏餅幸兵衛氏が創立した学校だ。
成行は高校受験をして入学した。彼のような高校受験組は、中等部からの進級者からすれば『外様』だ。
だが、すぐに新しい友人を作っていた成行。今日は昼食後、校舎北側でスマホゲーム大会をしようと約束していた。その約束を果たすため、彼は待ち合わせ場所に向かっていた。
森林ゾーン。文字通りの森林が広がっているゾーン。名前は大層だが、要は雑木林だ。それでも遊歩道が整備され、ベンチも設置されている。聞けば、あそこに異性を呼び出して、告白したり、いちゃこらしたりする場所でもあるとか。
数日前、初めてそこを訪れた成行。遊歩道の奥には、円形状に切り開かれた広場がある。問題は、そこまでの道中だ。とてもカップルが良いムードになれるとは思えない雰囲気なのだ。
ほったらかし同然で伸びた木々は、晴れた日でも天の光を遮さえぎる。遊歩道やベンチ以外の場所は、手入れがあまりされていない。
森林ゾーンの入口付近まで来たが、人の気配はない。一切ない。今日は快晴とまでは言えないが、晴れた良い天気。にもかかわらず、遊歩道は薄暗く続いている。
「こんな所、誰も来ないよな・・・」
思わずそう呟いてしまう成行。さっさと待ち合わせ場所へ向かおう。そう思ったときだ。一瞬、何かが遊歩道へ入るのに気づいた。
「猫?」
犬派か、猫派かと聞かれると、猫派の成行。あれはハチワレ猫だったか?なぜか気になったので、遊歩道へと向かう。
辺りを注意深く眺めながら、ゆっくり歩く成行。遊歩道の脇は雑草が生い茂り、タヌキや野ウサギが姿を見せても不思議ではない位だ。しかし、肝心の猫の姿はない。気のせいだったか。
成行は遊歩道を引き返そうとした。
『ニャア!』
「えっ?」
一瞬だが、猫の鳴き声が聞こえた。反射的に鳴き声のした方を向く。
そこは成行が足を止めた所から、またさらに奥。遊歩道が緩やかな下り坂なる。その先に、円形状に開けた場所がある。そこがまさに先日訪れた広場だった。この広場の中心部に、ベンチがポツンと一基設置されている。
あの広場に猫がいるのか?成行は奥へと進んだ。
すると、広場のベンチが見えてきた。だが、成行の視線の先にいたのは、猫ではなくベンチに座る女子生徒だった。
成行の位置からは、ベンチに腰掛ける女子生徒の後ろ姿しか見えない。顔の確認ができない。だが、彼女の後ろ姿に見覚えがあった。オレンジがかったストレートの茶髪ロングヘア。天から降り注ぐ太陽の光は、その髪の毛を眩まばゆい位に輝かせる。
しかし、その僅かな情報で彼女が一体誰なのか、すぐにわかった。
「静所さん・・・?」
そこにいたのは成行のクラスメイト・静所見事だ。
入学式の日。クラス名簿で彼女の名を目にしたとき、名前を何と読むのかわからなかった。その疑問もフリガナですぐに解決したが。
静所見事。『見事』と書いて、『みこと』と読む。こんな珍しい名前は、一度見聞きしたら忘れることはないだろう。
見事は高校一年生の女子では背が高い。聞けば165センチの長身で、風貌ふうぼうも同世代の女子生徒に比べて大人っぽい美しさを兼ね備えている。クラスメイトでなければ、上級生だと思っただろう。
こんな人気のない場所で、見事は何をしている?己への問いに、パッと答えが浮かぶ。
待ち合わせだ。ここで、誰かと待ち合わせをしているのだ。以前、聞いた話からすれば、そう考えるのが妥当だろう。
誰かが見事を呼び出し、ここで愛の告白をする。彼女の美貌からすれば、あっさり恋に落ちる男子生徒がいても不思議ではない。麗しい容姿だけでなく、勉強も、スポーツもそつなくこなす。人格的にも、嫌われるような言動は一切ない。
誰と待ち合わせだろうか。少なくとも、今の見事は食事をしている様子ではない。静かにベンチに佇んでいる。クラスメイトのことで、猫のことを忘れかけていた成行。だが、猫の鳴き声が彼の注意を惹く。
「ニャア!」
だが、その鳴き声は猫ではない。声を発したのは見事だ。
『ニャア!』
それに呼応し、恐らく本物の猫が鳴き返す。猫があそこにいるのか。
見事の仕草から、彼女が座っている左側に猫がいるのだろう。だが、ベンチの背もたれのせいで、猫の姿が見えない。しかし、猫が見事に懐いている様子は、簡単に想像できる。
「ニャア」
『ニャア』
見事が微笑みながら猫の鳴き真似をする。猫がそれに鳴き返す。猫が美少女にじゃれつく。そんなことを考えていると、なんだが気持ちがほっこりする。
「で、あちら側は?」
『特に不穏な動きはないニャ。だが、平穏だからって何もないというワケじゃない。警戒してほしいとのことだニャ』
聞き間違いだろうか?成行には、猫が日本語を喋ったように聞こえた。感じたのではない。聞こえた。日本語の会話として成立しているように聞こえた。
見事の独り言なのか。はたまた、腹話術の練習なのか。あまり考えたくないが、彼女が猫と会話しているようにしか見えない。
成行は自然とその場にしゃがみ込み、見事の不審な動きを監視するような態勢になった。
「そう、わかったわ。用心に越したことはないし」
『全くだニャ』
「でも、厄介ね。以前はこんなこと滅多めったになかったのに」
『確かに。だけど、ニャアはいつか、こんな事態が起きるかもしれないと思っていたニャ』
「本当に?でも、想定できないことじゃないわね。ただ、昔に比べれば巧妙化しているというか、悪質になっているとも言えるわね」
『確かにニャ』
ダメだ。やっぱり猫と会話しているようにしか見えない。独り言や、腹話術の練習には見えない。人と人が会話する。この場合、人と猫が会話するようにしか見えない。
真実を確かめるには、見事を問い詰めるしかない。しかし、今は出ていかない方がいい気がする。見てはいけないものを、見ている気がしたからだ。
『厄介なことは、それだけじゃないニャ』
「何?他にも何かあるの?」
不意にベンチの背もたれから猫が顔を出す。黒と白のハチワレだ。
『ニャアたちの会話を盗み聞きする奴がいるニャ!お前、何してるニャ!』
ハチワレは成行に向かってそう叫んだ。明らかに成行を威嚇するように睨んでいる。
「えっ!」
見事も振り返る。
「あっ・・・!」
スッと立ち上がる見事。驚いた様子で成行を見ている。
「気づかれた!」
反射的に走り出す成行。後ろを一切振り返らず走る。体育の授業でも、こんな必死に走ったことはない。走るのに適していない遊歩道を全速力で走る。湿った落ち葉に足を掬われそうになりながらも、飛び跳ねるように走った。
己の姿を、以前BSで観た映画『フォレスト・ガンプ』の主人公にダブらせる。友軍機のナパーム弾攻撃から逃れるシーンだ。
悪いことをしたワケではないが、間違いなく見てはいけないものを見た。お喋りする猫。そして、その話し相手のクラスメイト。成行は薄ら寒い感覚に囚われていた。
遊歩道を一気に駆け抜けて、森林ゾーンの外へと辿り着く。そこで一旦、足を止めて背後に目を向ける。そこには誰もいない。
「誰もいない・・・」
それを確認すると、呼吸を整え再び走り出す。成行はスマホゲーム大会のことも忘れて、一目散に自らのクラス、一年C組の教室へ退却した。