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 ⁂


 目を覚ますと、部屋は茜色に染まっていた。

 褥に寝かされていた主馬は、体を起こした。額から落ちた手拭いを握ると、湿っていた。

「はぁ……」

 昼間のことを反芻しかけた時。褥の横に、塊があることに気が付いた。

 それはたくみだった。

 一瞬、心の臓が馬鹿になったかと思うくらい、動悸がした。しかし、たくみは身を小さくして眠っていた。口の端からよだれを垂らしてすやすや眠っている姿が、まるで童で。邪気の無さに、ほっと、胸を撫で下ろす。

 大きな小袖に体を包んで、着ているというより着られているという表現が合っている。きっと、与六郎が貸し与えたのだろう。だぶだぶの袷から、腹掛けが覗いていた。

 主馬は笑みをこぼした。

 夏なのに、しっかり腹掛けを付けさせるところが、与六郎らしい。自分も、口を酸っぱくして言われ続けて、今では腹に何か巻いていないと居られない体になっている。

「腹を冷やすんじゃない」と、たくみにも説いて聞かせたのだろう。


 利家が、与六郎にたくみを預けると言うから、主馬は弟分が出来たと、内心嬉しかった。たくみの雰囲気が、自分を受け入れてくれそうな予感がしていたから。

 城を出る前、自己紹介をすると。たくみは無理に笑って名乗った。そしてすぐ俯いてしまった。無理もない、殿様直々に詰問されて、怒りを買い、尻の危険を孕みつつ参陣を命じられた直後なのだから。

 女でも男でも、殿様のお手付きになることは名誉なことだと主馬も知っている。けれどたくみは心から嫌がっているようだった。その心を理解できる主馬ではない。だが、気分が落ち込んでいることは理解していた。

 主馬は、使命を感じた。

 弟分を笑顔にしよう、と。

 忍び道具は任務の時しか表に出さないが、使命感の前には、そんな自分規則はあっけなく投げ飛ばされる。人通りの多い往来で、棒手裏剣を消し去る奇術を披露した。

 たくみは、ぱっと顔を明るくして、興味を示してくれた。

 消えた棒手裏剣の行き先が気になって仕方ないようだった。

 ―ぜったい、教えないけど。

 次に、水晶玉を掌で転がすだけの手遊びを披露した。手のひら、手の甲でゆらゆらと転がす。手首を返したりして、落ちそうで落ちないようにするのが技の見せ所だ。見ているものにはまるで水晶玉が手に吸いついているように見えるのだ。

 水晶は腕を伝って、肘で宙にはね上げる。反対の肘で受け取って腕を伝わせて手のひらへ……と、繰り返す。

 たくみは無謀にも、初見でこの技に挑戦して水晶玉を地面に落としていた。

 ―おもしろい

 慌てふためくたくみの表情が、思い出される。

 可愛い弟分。

 俺の、弟分。

 少しだけど、話して楽しかった。

 馬が合いそうだし。

 女は苦手だけど、たくみは平気だった。

 裸は少し驚いたけど、たぶんもう、平気……

 たくみは女だけど、平気。

 たくみは、平気。

「可愛い、きょうだい、できた」




 ⁂


 主馬が目を覚ます、数刻前――


 利家様曰く、たくみは『未来人』なのだという。

 大野川の河口で倒れていたところを、漁師が見つけて城へ連れてきたと聞いた。

 ―未来人とは、何者で、どうやって来たんだ

 たくみの背後に膝立ちをして、腹掛けの紐を結んでやりながら。与六郎は疑問を巡らせていた。

「腹を冷やしちゃいけない。ほら、この紐を結べばいい。わかったか」

「わかった」

 ようやく上半身が隠れて、倒れ込みたくなるくらいほっとした。

 まったく、人騒がせな娘だ。

 歯に衣着せぬ物言いで、利家にも同じような口をきく娘。

 ―未来人てのは、偉いのか、阿呆なのか。

 育ちの良さはうかがえるが、口を開くと阿呆丸出しで、どうにも判断が付かない。

 それでも、頭の回転は悪くない。殿に物申したとき、理由をしっかり述べていたから、ああいった状況でも冷静に判断できるのだろう。

 食って掛かる度胸もある。


 ―だからといって、戦に連れて行ったら一瞬で死ぬだろうなぁ


 孤独な忍び、主馬と馬が合うようだし、死なせるには惜しい。


 ―さてどうしたものか。ああそうか、利家様はたくみを傍に置いておくだろうから、死ぬ可能性は低いか。いやいや、傍に居たらこの桃尻、否、女の操が……


 腹掛け一枚で、アヒル座りをしているたくみの、潰れた大福のような生尻をぼんやり眺めて。いつの間にか考えに耽っていた与六郎は、胸元をちょいちょいと引っ張られて我に返った。

「どうやって着るの?」

 与六郎の小袖を持ち、肩越しに見上げる濁りのない瞳、濡れた髪……

 背中側ははっきり言って裸ん坊だ、むつみあった翌朝のような既視感を覚えて、年甲斐もなく、ぎゅん、と胸が昂った。

 ―なぜ、こんな外道な感情を!

 自分を責めるが、本能の部分で、

 好みだ。

 と、叫ぶ自分がいるのも事実だ。


 女は好きだ。興味も普通の男並みにある。

 そうだ、いつもの、軽薄な感情だ。

 言い聞かせる心の奥底で、違和感があった。違和感の理由は、与六郎が一番知っている。

 今日会ったばかりの、年端も行かない娘にこんな気持ちを抱くなんて。

 与六郎は、自分を呪いたくなった。


 深呼吸を数回。

 気持ちを落ち着かせてから言った。

「とりあえず袖を通せ」

「わかった」

 素直に袖を通したら、今度は子供が大人の小袖を着たような格好になった。

 ―うぐっ……!

 それもそれで刺激が強い。

 手で目元を覆い、急いで気持ちを静めようと試みる。さもないと、全速力で海まで走って行って雄叫びを上げなければ収まりそうになかった。

「通したよ」

「立って、右のひらひらを中に、左のひらひらを前に合わせろ。俺が着てるみたいに」

「……合わせた」

「帯巻くぞ、一度しかやらないからな」

「ねぇ、さっきから目を瞑ってるけど、」

 それで帯巻けるの? と、たくみの不思議そうな声がする。

「合わせた胸元押さえて、俺の前に立て。俺の方向いて、腕を上げろ」

「あげたよ」

 帯を腰元で結んでやる。物心ついた時から巻いているのだ、目を瞑っていたって出来る。

「できた」

 膝立ちで着付けていた与六郎はようやく立ちあがり、目を開ける。たくみは帯の結び目を興味深そうに覗き込んでいた。

「覚えたか」

「うーん……とりま結べればいいかなって思ってる。ありがとう、初めて着たの。似合う?」

「いいんじゃないか」

 自分の小袖を着て、一周回って見せる無邪気な姿に、微笑が浮かびそうになるのを必死でこらえる、与六郎であった。


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