3
屋敷の門をくぐってすぐ、後ろを歩いているたくみに呼び止められた。
軽く振り向いた与六郎に、たくみは改まって、体の前で手を重ねた。
「改めてご挨拶を……たくみです、今日からよろしくお願いします。早速、先ほどは心無い視線に噛みついてくださって、ありがとうございます、なんかこう……気分が晴れました」
淑やかに頭を下げる姿は、育ちの良さが伺えた。
「そういや俺の名前まだ言ってなかったな。俺は山崎与六郎。利家様の家臣で、典医をしている。隣の男はもう知っていると思うが、四井主馬だ。同じく、利家様の家臣で、俺の弟分だ」
紹介すると、たくみは主馬にも改めて頭を下げた。
「主馬さん、どうぞよろしくお願いします。それから、さっきは奇術を見せてくれてありがとうございました。あの棒手裏剣どこ行っちゃんだんだろう……? いつかタネを暴いてみせますから。あと、あの水晶を使った手わざも、見事でした」
照れる主馬に、にこっと微笑みかける顔も、屈託がなくて、可愛らしい。
城を出発した時の、たくみの塞ぎこみようを思えば、主馬に感謝しなければならない。
「主馬、ありがとうな。茶を飲んでいってくれ」
「そのつもりです」
主馬は真顔で言う。
最初こそ、この切り返しに驚いたが。今ではお決まりのやり取りで、与六郎は心のどこかで毎回期待してしまっていた。
よし。今日も主馬は冴え渡っている。
頷きたくなる与六郎の正面で、たくみは目を輝かせて主馬を見上げていた。
「主馬さん、それとっても素敵。あたしも使っていい?」
「別に、構わないけど……?」
無口な天然主馬はどうやら、年下に弱いらしい。
⁂
茶の前に、と前置きをして。
与六郎は井戸端までやってくると、釣瓶を顎で指した。
「水汲んで洗っとけ。たらいはそこ」
「洗う……ここで、」
「そ。そんな砂だらけで屋敷に上げるわけにいかないからな」
「……わかった。」
井戸に視線を彷徨わせていたが、意を決したように井戸水を汲みはじめた。
「じゃ、着替え取ってくる」
与六郎は踵を返し、『見張っとけ』という意味を込めて主馬に視線を送った。
が、主馬は頷かなかった。
呆然と、一点を見つめて固まってしまっている。
「主馬?」
瞬きをしない双眸の前で、手のひらをかざしてみるが、反応を示さなかった。
「どうした、」
主馬が硬直して見ているもの。それは井戸で体を清めているたくみだ。
百戦錬磨の忍びを固まらせた事態とは、何なのだろう。恐る恐る首を向けた与六郎は、驚きに目を見開いた。
諸肌を晒したたくみの胸に、男にはない、優しい膨らみがあったのだ。
髪が短いから、童だとばかり思っていた男らには、まさに青天の霹靂である。
滴る水は、上を向いた桃色の頂に弾かれ、張りのある丸みを撫ぜ。腰のくびれを舐めて、尻の丸みに零れて、落ちていく。
磁器のように白い、陶器のように滑らかな肌は陽光が透き通っているかの如くだ。
その様は、この世のものと思えなくらい瑞々しくて、美しい。
釣り具師清六の与太話が、与六郎の胸の中で、伝説級の神秘と輝きで神格化された瞬間だった。
与六郎と主馬が見ていることを承知のうえで、たくみは水浴びをしている。
そこには躊躇いも、恥じらいもない。
滝の奥に揺らめいて見える下生えが、女の宝物をしっかり隠していた。
「きれいになったかな」
振り向いたあどけない笑顔にとどめを刺され。主馬は、後ろに傾いて倒れてしまった。
「主馬さん!」
「大丈夫か、主馬っ、」
与六郎は、主馬の背中をがっちり抱き留めた。
駆け寄ったたくみは、主馬を覗き込む。黒目は裏側に回ってしまって、魂が抜けたかのような面相だった。
たくみは、勢い任せに与六郎の袖を掴んだ。
「どうしよう、主馬さんが!」
ぶんぶん振られ、与六郎も目のやり場に困った。ささやかな胸の膨らみも一緒に揺れるからだ。
女など星の数ほど見てきたし、その体も、心の機敏も、良く知っているつもりだ。
この娘より、もっと体つきのいい女だって、たくさん知っている。存分に触れたことも、若気の至りで、一度や二度ではない。
だのに、なんだか、見てはいけないものを見たような気まずさが、先に立った。
脳裏に、「磨いとけ」と尻を叩いていた利家の姿がふと、浮かんだ。
「ちっ」
舌打ちをして、空を仰ぐ。
突き刺すような陽光が、幻影を消し去った。深くて短いため息の間も、たくみはおろおろと与六郎の袖を振る。その周りで、蝉の合唱が轟いていた。