管理人からの電話
日曜日の事務所では、蕾がキッチンに立っていた。
部屋の中では、玉ねぎをすごい薄さでスライスしていく音だけが聞こえている。
スクリーンでは、相原宅の監視カメラの録画風景が流れており、それを薫が頬杖をついて眺めていた。
「薫、卵は何個?」
「2個」
蕾が、玉ねぎと鶏肉をフライパンで煮込み始め、部屋に甘い醤油の香りが漂う。
本日の昼食は、親子丼らしい。
「なんか進展あったのか?」
キッチンの方からスクリーンを眺めながら、蕾が尋ねた。
「特にない。分かったのは母親が不気味なくらい動かないってことと、乃那未がバカみたいに菓子を食ってるってことくらいだ」
一応教え子である為か、バカみたいに菓子を食っていると言われると、恥ずかしさを感じる。
「あと夜中に床下にこもっているけれど、何をしているか分からないからイライラしてる」
そう言いながら、不機嫌な顔をしてみせた。
蕾はそうか、と言ってフライパンに溶き卵を流し込み蓋をする。
「そうか、じゃないよ。床下に潜り込む作戦考えてくれてる? 蕾が潜り込むんだからね」
「考えるのはお前の仕事だろ」
丼にご飯をよそい、火を止めてご飯にかけ、みつばを散らした。2人分完成させ、1つにはスプーンをご飯に突き刺す。
スプーンを突き刺した方を、薫の前に持っていく。
「ほら、飯の時間だ。パソコン片付けろ」
「わぁーうまそう!」
薫は、ノートパソコンを床に置き、手を洗う為に席を立った。
「蕾にもこの苦痛を味わって貰わなくちゃ。後2日分あるんだ」
「もう2日分になったのか」
箸やお茶を準備しながら、蕾は驚いたように言う。
薫は、録画を7日間で切り上げ、既にカメラやマイクは回収してきてあった。特にバレることはなく、ハウスクリーニングも完璧にこなしてある。
2人で鑑賞しながら親子丼を食べるが、特に新発見などの動きは見られない。
「なぁ、こいつら、全く会話しないし乃那未はまるで1人で生きてるみたいだよ。学校で変な動きは見られないか? 周りに攻撃的とか――」
薫は、不安そうな顔で蕾に聞いた。
「いや? 目立つ生徒だが特に問題行動は……」
と、言葉を止めて考え込む。
吉岡先生には蕾の見えていないところで、攻撃的な行動をしているかもしれない。周りの職員も乃那未のことを煙たがっているように見えた。もしかしたら、何か大きな問題を起こして今は大人しくしているのかもしれない。
「どうした?」
「いや、問題は起こしてない……」
はず。
何故か薫が、不安そうな顔をしているのではっきりとは答えられなかった。
「乃那未を殺す理由なんて見つからない。だからもう母親ごとどこかに放ってしまう。これじゃダメ?」
「任務なんだ。俺たちなりの理由が見つからないと、任務を遂行しないリスクに見合わない」
「でも、高校生なんだ。今までの先が短い老人や悪人なんかじゃない」
「いや、駄目だ。子供だからというのは理由にならない」
蕾はそう言って冷酷な目で薫を見つめた。薫は数秒、瞬きしない蕾の目を見つめたがついに逸らして、親子丼を口にかきこんだ。
日曜の朝にテレビ放送されているヒーローアニメのオープニング曲が流れる。薫は慌ててご飯を飲み込むと、ポケットからスマホを取り出した。
「はい」
「やあ薫くん。今日は良い天気だねぇ。元気にしているかい?」
薫と蕾のボスである、管理人と呼ばれる男からの電話だった。2人は1度だけ管理人に会ったことがあるが、初対面から何故か薫は気に入られていた。その為、管理人との連絡役になっている。
「元気ですよ。ちょうどランチに親子丼を食べてるとこでした。管理人、今日は電話なんてどうしたんです?」
「実は依頼人が経過を聞きたがっていてね。仕事はどんな調子?」
薫が横の蕾の方を見るが、蕾は知らんふりをしてスクリーンを見ながら親子丼を食べすすめている。
「今身辺調査をしてるとこです。子どもなんでね。いろいろ慎重にならないと……。でも経過を聞きたがるなんて、マメというか、何か急いでいるんですか」
「いいや、特に急いでいる訳ではない。ただ依頼人が心配性なだけだよ」
「依頼人ってどんな人なんですか」
蕾が驚いた顔をして薫の方を向いた。依頼人の情報は聞かない決まりになっているのだ。
「……聞いてどうする。依頼に疑問を持つと仕事が出来ないだろう」
「聞いてみただけです」
薫はにこやかにそう答えた。
「……まぁ今は忙しいと思うが、早めに仕事を終わらせて家に遊びに来ると良い。シェフに薫くんの好きなものでもつくらせよう」
「本当ですか。その時は、そうてすね、お寿司が食べたいです」
「その調子で頑張ってくれ」
「あっ、蕾が横に居ますけど代わりますか」
蕾は嫌そうに首を横に振っている。
「いや、良い。私もこれから食事なのでね」
「分かりました。では仕事が終わったら連絡します〜」
電話を切ると、蕾が「なんで依頼人のことを聞き出そうとしたんだ」と、とがめるように聞いた。
「サラッと聞いたらサラッと答えてくれるかと思ってさ」
「そんな訳ないだろ。疑われるようなことはするな」
はーいと間延びした返事をして、食事に戻った。蕾は、薫の行動をいつもの好奇心ゆえだと考えていた。薫の中の、疑問が増大していっていることに気がついていない。