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顧問として


 蕾は、薫の為の夕食とデザートの準備に時間を費やしていた。今日は家庭科の授業がひとコマも入っていなかったので、暇を持て余していたのだ。


 朝はカラスの鳴き声で6時に目を覚ました。暇だったので、夜に楽をするために料理でもしようと考えたのだった。



 パスタの上にかけるミートソースを煮込み、ポテトサラダの為に茹でたじゃがいもを潰す。別皿でさつまいもを潰して、チーズクリームとゆで卵と一緒に混ぜ込むことがポイントだ。

 デザートはブルーベリーをトッピングしたパンナコッタ。薫用に手のひらサイズの皿で作った為、大分食べごたえがあるだろう。



 途中で昼食の時間になり、余らせていたホールトマトとささみを煮込み、ご飯と一緒に食べた。


 後はすることが無くなったので、ヨガマットを敷いて腹筋、スクワット、腕立て伏せなど、筋トレメニューを行う。

 大体この家――薫は人の家でもある事務所のことをボロビルと呼んでいるが――には、必要最低限の物しか置いていなかった。テレビの代わりにプロジェクターとスクリーンはあるが、DVDプレーヤーに入れるDVDは無いし、もちろんテレビチューナーもない。おまけにネット回線もWi-Fiもなかった。

 どうせ機械オンチの蕾にはパソコンを使いこなせないので、パソコンもない。スマホは持っているが使用するのはプライベートの連絡くらいで、特に連絡する友人もいないのでほとんど使用していなかった。

 あるのは黒い服とヨガマットと調理器具ぐらいだ。


 だから蕾は暇になると、大体料理か筋トレをしている。


 筋トレを終えると、カラスの行水かの如くシャワーを浴び、また黒い洋服に身を包んだ。




 一応、科学部の顧問として部室に行かねばならなかった。

 とっても面倒である。

 まぁ仕事とはそういうものだし、やったらやったで何かは得ている。何かは。


 なんてことを思いつつ、蕾は部屋を出た。


 少し離れた駐車場に止まっているのは、蕾の愛車。黒の日産ウイングロードである。




 学校に着くと、職員室には寄らずにそのまま部室へ向かった。部室のほうが駐車場から近いのだ。



 せんせえと、呆けたような発音で声を掛けられる。


「今日も来たんだ」


 席について星の図鑑を眺めていた乃那未は、顔を上げて微笑んだ。


「顧問だからな」


 当たり前だという顔をして言う。本当は、出来るだけ乃那未の監視をという薫の指示だったが。


「そうなの。吉岡先生は全然見に来なかったけど」

「吉岡先生とはちがうよ」


 蕾は、乃那未の目の前に座った。

 乃那未が眺めている図鑑には、色とりどりの星雲や星団の写真があった。


「今日は図鑑? 暇してるな」

「暇じゃないですよ。図書館で懐かしい図鑑を見つけて空想してたんです」

「空想?」

「この図鑑と同じものを、私は小学校の頃の誕生日でお母さんに買ってもらってすごく嬉しかったんです。毎日飽きることなく眺めてた。でも今は。ううん、図鑑をくれた一瞬だけが幸せでした。今も昔も私はお母さんに家族として認められていない気がして――」


 図鑑のページをめくる。

 蕾はその悲しそうな目を、どこかで見たような目だと思った。


「せんせえ、シャーレの中で産まれた人間は冷たいと思いますか」

「……え?」


 言っている意味が分からずに、蕾は乃那未を見る。乃那未も蕾を見つめた。


「私家で、お母さんに人間のふりをした化物だっていう目で見られてるんです。未知と遭遇したみたいな顔、見たことあります? すごく嫌ですよ。お母さんのあの目が大嫌いです。家に私の居場所はないから、こうして時間を潰しているんですよ」


 拗ねたように言って図鑑に目を落とす。


 蕾は最近似たようなことを言っていた金森を思い出していた。

 ――乃那未(コイツ)も同じ。俺も同じなのかもしれないな。


「きっと他にかえる居場所があるんじゃないか。これから見つかるかもしれないし。俺が家から助け出してやろうか。顧問として」

「顧問として……?」


 蕾は思わず、そんなことを言ってしまった。


「私に、逃げ場があるっていうことですか?」

「あ――」



 ある――と言えば嘘になる。

 逃げ場だと思えば逃げ場だし。しかし、何処まで行っても世界と自分自身は付いて来る。

 今この現実から逃げたいと思っている限り、逃げ場なんて存在しないのだ。


「生きる覚悟はあるか」


 言葉が足りない、と蕾は自分でもそう思ったが、今はそれしか言うことが出来なかった。


「覚悟が無いと駄目なんですか」

「駄目ということはないが、逃げたその先でも困難なことが待ち受けているかもしれない。そしたらまた逃げ出すのか? 次に助けようとする人がいないかもしれないのに?」


 乃那未は、嫌なものを見るような、苦しそうな、そんな顔をする。


「私はただ夢を見て夢だって安心したいだけなんです。夢が悪夢でも構わない。悪夢の方が、起きたときに安心するかもしれませんし」

「よく……分からないが、それは間違った考えだと思う。俺たちは夢に生きているんじゃないだろう」


 乃那未は首を傾げる。


「何で夢じゃないなんて言うんですか」

「ここが夢だと思っているのか? じゃあそれは夢じゃなくて鏡だよ。自分の脳みその世界を見てるんだ。早くそれに気付け」

「気づきたくないです。私は何も真実を見たくないです」


 乃那未は、涙を一筋流す。


「それじゃあどうしようもないだろう。見たいものも見えなくなっていく」


 蕾は深呼吸をする。



 さて、どうしたものか……。

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