目を覚ました蕾は再び忘れる
蕾が目を開けると、来たときは暗幕の隙間から日光が漏れていたのに、教室の中は真っ暗だった。
「アイツ起こさず帰ったな……」
ポケットからスマホを出して、ライトで周りを照らす。……と、そばで人体模型が蕾を見ていた。
「驚かすなよ」
時刻は20時前。
ここは部室以外に使用されないと聞いていた蕾は、毛布をそのままにして教室を出て施錠した。
職員室に2人残っている職員がいたが、蕾が鍵を返しに来るとまだ居たのかという目で見る。
「お先に帰ります」
「おつかれさま」
学校から車を運転していると、黒いパーカーにデニムパンツを履いた薫の後ろ姿が窓から見えた。蕾はクラクションを鳴らす。
薫も車の中の蕾に気がつくと手を振った。
「久しぶりだな」
薫が助手席に乗り込むと、蕾は嬉しそうに言った。
「そうだね。先生役は調子どう?」
「今のとこ、天職かと感じてる」
「珍しく楽しそうだね」
「やっぱ規則正しい生活、他人との関わりって健康に良いんだろうな。身体が軽くなった気がする」
嬉しそうに話す蕾を見て、微笑む薫。
「お前の方は成果あったか?」
「うん、まぁまぁ。車では話せないから早くボロビルに向かってくれよ」
「ああ」
盗聴器を仕掛けることがある2人だ。事務所であるビル以外では、盗聴器が仕掛けられている可能性や盗み聞きされる可能性を考え、仕事のことを話さないようにしていた。勿論、電話やメールでも仕事のやり取りをしない。疑い始めればキリはないが、出来るだけ仕事に関する情報の流出経緯を狭くするように2人で決めていた。
ビルへ入り、玄関を閉めるや否や、薫は蕾の前に立って早足に部屋へ入った。蕾が部屋に入ると既に薫はノートパソコンを机で開いている。薫は、急かすような目で蕾を見ている。
「どうしたんだ?」
「どうにかしてここに入りたいんだ」
ここ、とパソコン画面を指差す。画面は、相原宅のリビングの静止画で、床下へ降りていく乃那未の姿が映されていた。
「商店街の福引の温泉旅行を相原乃那未に持たせたんだけど、あの母親はソファから動いてくれないんだよ」
「福引? そりゃまたベタな……」
「当たったんだけど俺は行けないので、君のお母さんにでも渡してくれって言ったら、一応渡してくれたみたいなんだけど。やっぱりこの母親は動かないんだ!」
へぇと相づちを打ちつつ、蕾は手を洗ってインスタントコーヒーを入れる。
「ハウスクリーニングでも、『このソファ長年動かしてないですね、床が汚れてますのでついでに掃除しましょう』って話しかけたのに無視された! この母親手強いぞ!」
「頑ななのには理由があるんだろ」
「だからこの床下収納があるからここから動かないんだって。この床下収納に……いや、地下室なんだけど気にしないで。ここに、何が隠されているかが重要なんだろ」
薫はその後も試行錯誤で乃那未の母親をソファから動かそうとしたのに、と愚痴をこぼす。
「一度だけ、ストレートにいつもソファにずっといるのは何かあるんですかって尋ねてみたときはヒヤヒヤしたけど。帰ってくださいって言われて……その後何もなかったから良かったけど」
「お前はあんま危ないことするなよ」
そう言われた薫は蕾の目を見ると、ごめんと呟く。
「俺も地下室に行く方法を考えておくから、お前は引き籠もって別のルートから探ってくれ。情報を集めるのは得意だろ?」
「うん、そうだね」
落ち込んだように返事をするが、次の瞬間には蕾に夕食のハンバーグをリクエストしていた。