温泉旅行券を貰った夜
日が沈み始めた、とある商店街で……。
「ねぇ、ちょっと!」
相原乃那未は商店街で買い物をした帰り道、後ろから声をかけられた。
だぼっとした黒いパーカーに不健康な白い肌の薫が笑顔で立っていた。
「はいっ?」
乃那未は、驚いて返事をする。
「商店街の福引で温泉旅行券が当たったんだけど、俺温泉苦手でさぁ……良かったら君のお母さんとでも使ってよ!」
「はぁ……」
薫は、ペアの温泉旅行券を差し出す。
乃那未は、薫の前髪に隠れている目をおずおずと見た。
……ただの良い人か。
乃那未は、呑気にそんなことを思う。ありがとうございますと礼を言って券を受け取った。
「福引で温泉ってすごい当たりじゃないですか?」
「うん偶々だよ。じゃあ俺は忙しいんで失礼するよ。ちゃんとお母さんと一緒に行くんだよ」
念を押すように言う。
危機感のない乃那未は、世の中にこんな良い人もいるんだなと感動する。
乃那未は今日は偶々限定のロールケーキを安く手に入れたし良い日だとスキップをしながら家に帰った。
「お母さん……商店街で温泉旅行券貰った。たまには外に出ない……?」
乃那未は、母の隣に来て温泉旅行券を見せてみたが反応は無かった。
「お母さん……今日のご飯は――」
「あぁ! うるさいからあっち行きなさい!」
乃那未の方も見ずに、声を荒らげてそう言った。乃那未は萎縮して返事もせずにその場を離れる。
――なんで、こうなっちゃったんだろう……。
久しぶりに聞いた声が、怒りのこもった声だったので乃那未の目からは涙がにじみ出た。