006:アーディス王国の小さな街マーメント
フラスティ大陸の中でも国民最大数を誇るアーディス王国、その中の小さな街マーメント。
今現在、街を統治しているのはアーディス王国貴族、辺境伯のサムニエル・リア・クライシスである。クライシス家は代々国境の警備を任され、国王からの信頼も厚い。
クライシス家は実質アーディス王国首都の騎士団と同等の軍事力を持つが、人数が僅か十数名と少数精鋭の騎士団であることが幸してその事実は知られていない。
また、国王からの信頼が厚いので今のところ余計な離反の疑いを持たれることもなく、クライシス家にも毛頭そのつもりはなかった。
マーメントはクライシス家が統治下に置く街の中で一際小さな街である。
高価なものがあまり流通しない、控えめかつ地味な街。
村より規模は大きいが、街と呼んで良いのかどうか判断がつかないレベルの民の数しかいない。
そのおかげで統治が楽ではあるのだが、なにぶん事件の殆ど起こらない街なのでマーメント担当という役職は騎士団の中でも実力が最低のものが選ばれるようになっていた。
ミライがこの街に来てから、三日ほどが経つ。
魔法が使えることを隠してミライは組合で仕事を探した。
斡旋所のようなことをしている組合が街にはあり、名前と年齢、経験を聞いて適切な仕事をいくつか提示してくれる有難い組合だった。
身分証明がない変わりにかなり込み入った部分まで話を聞かれ、本人には告げないが容姿や服装などにも目を光らせているようだ。
ミライももちろん、そこまで聞くかと思わされるくらいの質疑応答をさせられた。
そして絶えず動く相手のペン、書き込まれていく文字。
ちょっとばかり気になって透視の魔法を使ったら、外見などが記入されていたのでなる程と思った次第だ。
ミライはとても素直だった。
ミライの斡旋を担当してくれたのは厳しい目つきの中年男性だが、彼が内心で驚く程にミライは長く境遇を語った。
ツヴァイとの出会い、ツヴァイとの生活、ここに至るまでの全て。
包み隠さず話したが、異世界からきたということだけは言わないで、気が付いたら森で目覚めたていたと当時の状況をこと細かく説明した。
実際のところ、ツヴァイとの生活を誰かに聞かせたかったのかも知れない。
父親の素晴らしさを自慢したいという気持ちがなかったとは言いきれない。
ミライの長話を聞きながら、若干辟易としてきた担当の男性はとりあえず掻い摘んで事情を記入し、ミライにできそうな仕事を探した。
「あんた、寒いところは平気か?」
「寒いところですか?」
「ああそうだ。この街はな、アーディス王国の恩恵を受けて魔法道具が数個ある」
――魔法道具。
……どういうものか教えて。
ミライが願うと知識は与えられた。
この世界での魔法道具とは魔力を込めた道具のことで、魔法で作られた道具というわけではないらしい。まず物を作ってそこに魔法を一部組み込む。魔力を補充することでその魔法は行使される。結構シンプルなものだ。
しかし、知りたいと願って出てきた情報はこれだけではない。
魔法道具は現時点ではアーディス王国の専売特許で、国外に持ち出すことはおろか技術の開示もしていないという。
だからなのか、中年男性は誇らしげな表情でミライに説明をした。
冷却の魔法が組み込まれた大きな箱があるらしい。
話を聞く限り箱というよりはとても大きなコンテナのようなものみたいだが、そのコンテナ自体に魔法が組み込まれているので中は容赦ないくらい冷える。氷を作るためだけにしか使われていないというその箱の周囲で働く人間を、今ちょうど募集しているんだとか。
「仕事自体はそんなに大変じゃねえ。氷を運び出す奴から氷を受け取って移動式の箱の方に運搬するっていう仕事だ。移動式の箱の方はな、もっとすげえ魔法がかけられてる。重量を軽くしてるんだとよ。なぁ、すげえだろう?」
「すごいですね……」
冷凍庫だ、とミライは思った。
冷凍食品などは存在していないが、紛れもなく冷凍庫だ。異世界とはいえ、なんとなく身近だったものに出会い嬉しくなった。冷凍庫があるならば、冷蔵庫や保温庫なんかも存在しているのかも知れない――と思ったが。
「冷蔵?凍らせないでどうするんだ?冷やしてぇなら入れてすぐ取り出しゃあ良いだろう」
それはまた別の発想らしい。
冷蔵する為にこの世界の人は冷凍庫に入れて出してを頻繁に繰り返しているみたいだ。
思わずミライの顔は引きつった。面倒だとか思わないのかな……と一瞬だけ考えてしまって、現代の考え方が抜けない自身に苦笑する。
「どうする?氷の運搬だ。台車で運ぶから多少力があればいいぞ」
「でも、人気なんじゃないですか?そんな、魔法の道具に近づける仕事なんて……」
ミライがそう言うと、分かりやすく男性は顔を顰めた。
「それがなぁ、寒いだろ……?」
その一言で、ミライは悟った。
この大陸、やはり気温が高い方だったのだ。
ツヴァイが服を買ってくれるまで、実はミライは体操着で過ごしていた。
季節柄かとも思ったが、ツヴァイが言うには今は現代で言う秋に近い季節であった。
それなのに風は冷たくなく、寒さもそこまで感じない。
毛布が小屋になかったので、ミライは不思議に思っていたが――やはり、大陸そのものの気温が高かったのだ。
この大陸の人たちは、きっと寒さに弱いのだろう。
ミライはそう結論づけて仕事を受けることに決めた。
ミライは冬を知っている。
雪山で置いていかれたとき、凍死の危機にも陥った。
そんな寒さに比べたら、ひと時の寒さなどなんのその。
仕事内容は難しくなく、箱に入る必要もない。本当なら箱の中に入っても良かったが、箱から氷を取り出す仕事は運搬とは比べ物にならないほど重労働だった。
コンテナ――箱の入口は上にしかなく、まず箱の上まではしごで上り箱の中へもはしごで降りる。
そして、箱の上から垂らされた太いロープの先に氷の入った大きな袋をくくりつけて、大人の男性何人かでその袋を引き上げるのだそうだ。引き上げた氷を取り出して台車に乗せ、運ぶのがミライの仕事だ。
箱の周囲には冷気が広がらないように仕切りがたてられている。仕切りの中はとても寒くて服を何枚着ても震えるほどらしい。
それでも、ミライはなんとなく大丈夫だと思っていた。
この大陸の人間よりずっとミライは寒さに強い。
そして、それは翌日にはっきりと証明された。
ミライは長袖のシャツと長ズボンを穿いて仕事に行った。仕切りの前にはかなり着込んだ数人が集まっており、ミライに気づいて何人かが怪訝そうな顔をする。ミライは愛想笑いを浮かべてその集団へと近づいた。
「初めまして、今日からここの仕事をさせて頂きます。ミライです」
「やあ、可愛いお嬢さん。話は聞いているけれど……その格好はどうしたのかな?」
穏やかそうな顔の青年――とは言っても、それなりに大人な男性が代表してミライに尋ねた。
ミライの格好はこの仕事をずっとしている人間にとって明らかにおかしいものであった。
薄着にもほどがある。無知な娘だという第一印象をもれなく抱いた数人は男性の言葉に同意するように頷いた。
「上着は……まだ、買っていなくて」
ツヴァイの上着は宝物だ。できることならあまり使いたくはない。けれど、上着を着るならツヴァイのものを着るとミライは決めていた。それ以外の上着は着ない。不格好になろうが、それは絶対だった。
「そうか……貸してあげたいが、着ているもの以外持っていなくてね……」
この仕事をしているものならば、自分の上着を貸したくないのは当たり前だ。どれだけ寒いかを知っているのだから。
ミライが首を振って大丈夫です、と告げるとその場にいた全員が困ったような顔をしたが、それでも誰も上着を貸そうという行動は起こさなかった。
しばらくして、責任者らしき男が到着した。
その際にもミライは一言言われたが準備していなかったのは自分のせいなので、と先に責任は自分にあることを主張する。
現場で死に至った人物は過去ひとりもいないようなので、責任者も心配はしつつミライの主張に頷いた。
仕切りを外して中に入るとひんやりとした冷気が届く。
思った以上に寒くないとミライは少しだけホッとして、仕事の説明を聞いた。
「なぁ、ソラム。あの子……大丈夫か?」
ソラムと呼ばれた男性は顔を上げてミライを見た。
さきほど、ミライに苦言を呈した男がソラムである。
つい先日、結婚したばかりの新婚夫婦の夫であるソラムは幼いミライを心配こそしていたが、仕事の厳しさを知っている以上、自分の身を削ってまで親切にはできなった。そのことに負い目を感じているが、やっぱりどうしようもない。
ソラムに話しかけてきた男も恐らく同じ心境なのだろう。ミライを見る目は同情的だった。
「今日この寒さを体験したんだ。明日には上着を用意してくるさ」
「だと良いけどな……なんか、妙に平然としてるような気がしてな……」
「まぁ……確かに……。寒くないのかな?」
「寒いだろう。もしかして心配かけないように我慢してるんじゃないか?」
ソラムともう一人の男性が妙な勘違いをし始めた頃、ミライは台車を押しながら先のことを考えていた。
仕事を始めたはいいが、なんだかしっくりこない。
この仕事を死ぬまでするということに納得できていない自分がいた。
ツヴァイはただ仕事を見つけるようにと言っていたけれども、ミライとしてはツヴァイが喜ぶ――立派な仕事に就きたかった。
この仕事も立派ではあるが、ミライの中でツヴァイに誇れるものかと言われるとそうではない気がしている。
判断基準は曖昧だが、もし、本当にもしもだが――ツヴァイの故郷を知ることができたなら、ツヴァイの親族への手ががりを知ることができたなら――と思っている部分はある。
その為に必要なのはミライがこの世界で有名になることだ。ツヴァイの故郷までミライの名前を響かせて、その上でツヴァイの名前を出す。
そうすれば何かしら、足がかりは掴めるのではないだろうか。
ミライの中ではとっくに「できれば」という言葉が消えつつある。
できれば、ではなく、やりたいのだ。
ツヴァイに縁がある人を探して、ツヴァイの死を伝えたい。
自分の父親になってくれたこと、どれだけ素敵な人であったか――ツヴァイのことを知ってその存在を覚えていて欲しいのだ。
ツヴァイの過去をミライは知らない。
もしもツヴァイが村から追い出されたことを知っていたら、そんなことは考えなかったかもしれない。
何も知らないミライはひっそりと目標を立てた。
有名になろう。とりあえず、有名になってみよう。
その目標を達成するのがどれだけリスクの高いことか、この時のミライには考えられなかった。