005:王国の混乱
ミライが街へ向かっている最中、フランツェルバ王国はとんでもない事態に襲われていた。
誤って召喚されたはずの少女が急に「継承の儀式を受ける」と言い始めたのだ。
これには国王も宰相も、魔女ミーツェアも驚愕した。
急にそんなことを言い出すだなんて――一体、どういう風の吹き回しかと。
少女はそれについて語らず、ただ「儀式を受ける」としか言わない。
ミーツェアの話を聞いていただろうに、何故急にそんなことをと周囲は少女を訝しんだ。が、侍女に溢した少女の言葉により、真相は明らかになる。
どうやら、彼女は「本物」がいたことに納得できていないらしい。
自分がまるで「偽物」のようで腹が立っているとも言っていた。
国王と宰相は説得したが、少女は頷かない。
ミーツェアは困り果てて神様に報告したが、同意なくして強制的に返すことはできないと神様も困惑していた。
二人の新しい今代の魔女。
先代魔女ミーツェアも国王もこの少女に魔女は務まらないと思っている。
忍耐力もなく、自制心もなく、今まで召喚されてきた魔女とは比べものにならないほど幼稚な思考を持つ。しかし、少女は受けると頑なに言い張り帰らないとまで言い出した。
王宮は一層雰囲気を暗くして、今にも誰かが泣き出してしまいそうな雰囲気だっだ。特に国王が。
「どうしたものか……」
歴代の国王の中でも一番筋肉質な現国王ハーフェン・シー・フランツェルバは困り果てたと言わんばかりの表情で正面のミーツェアを見やる。
ミーツェアは魔法陣の一部を弄ったり書き加えたりと指先で行いながら、国王と似た表情で頷いた。
「そうですね……条件が甘いとはいえ、彼女もそれなりにひどい環境下にあったのではないでしょうか。だから、帰りたくないと」
「しかし、最初は帰りたいと喚いておったではないか」
「それはきっと、この国の対応を見て言ったんでしょう。この国は魔女を大事にしますから、勘違いして気が大きくなってわがままを言いたくもなるでしょう。私も最初は驚きましたよ? こんなに偉い場所にいていいのかしらって」
「下手に出過ぎたことが問題か? ふむ……」
「注目して欲しい気持ちはわからないでもないですよ。誰かに自分を見てもらいたい、自分が一番でありたい。そんな気持ちがなかったとは私も言い切れないですし。――長く、過ごしてきて、そんな気持ちはとっくに薄れましたが」
ミーツェアは同じ立場だからこそ、少女の気持ちが理解できた。
最初はひれ伏されてお願いされる立場にいてわがままを言えていたのに、別の存在――それも本物と言われる次代の魔女が現れ、自分は間違いで喚ばれたとなれば面白くはないのだろう。
わがままを言える環境がなくなり、自分の世界に帰る。
帰りたいというのは「帰れない状況下」だからこそ言えていたわがままの建前のようなもので、本心では自分を手厚く持て成してくれる今の状況に喜んでいたのだろう。
「受け入れるしかないか……?」
「やめておいたほうが良いと思います」
「即答だな、ミーツェア」
「国王陛下も聞きましたよね。喚ばれた条件が"甘い"んですよ。彼女ならばこの世界を恨むこともありますし、長い時に耐えらずにすぐに次代を喚ぼうとするかも知れません。そうなれば国は荒れ、魔力の安定も難しい。それに、魔女とこの国の繋がりを彼女は安易になくしてしまう可能性だってある」
「だが、魔女の裏切りは魔女にとって屈辱を招くだろう。強制的に魔女を使い、この国は魔女から搾取し続ける。そんなことはあの娘も……」
「この世界を恨む可能性があるということは、悪意を持って魔法をこの世界に向けて行使する可能性だってあります。大規模な攻撃の魔法をこの国の間近で行使されたらどうするんですか。この国に悪意はなくても傷つけることはできます。大体、取り決めには抜け道が多すぎるんです。魔女の方がとても有利で……今まで神様がきちんと選んだ魔女だったからこそ、この国はなくならずに済んでるんですよ」
厳しく言い過ぎたか、とミーツェアは国王を窺ったが、国王は顔に皺を刻んで嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そうだな。神の選んだ魔女だからこそ、私は魔女を信用できる。こうして、隠しだてすることなく魔女について話し、苦言を呈するミーツェアもまた、神が選んだ素晴らしい魔女だ」
「……褒めてもなにも出ないですよ、国王陛下」
「もう充分に働いてもらった。ミーツェア、私はお前を早く解放してやりたい。……ブラームから早くしろと怒られてるかもしれんな」
「そうですね……。待ちくたびれて、浮気していないと良いですけれど。せっかちな人ですから」
ミーツェアの三番目の夫、ブラームは前国王陛下時代の王国騎士団団長であり、現国王陛下の剣の師匠でもあった。
幼い頃からミーツェアは現国王の身近に在り、次第に曇っていくミーツェアの笑顔に気づかないはずもない。
実は国王の初恋はミーツェアでもあったのだ。
十七歳の容姿からずっと変わらない美しい少女。
今となっては国王も随分と見た目が年上になり、幼少期のように強引な性格は身を潜めたが、ミーツェアに安らかな眠りを与えたいという思いは変わらない。
「幸い、サヤカは魔力も少ないですし――世界の均衡が崩されることもないと思います。ただ、心配なのは……」
「結界のことか」
「そうですね。悪意を持った者を選別する魔法の魔力が足りなくなってきています。侵入を許してしまうかも知れません……」
――フランツェルバ王国。
この世界の一端について知っている国は、恐らくこの国だけであろう。
王宮の中枢部分には世界に関する、重要な秘密が隠されていると言ってもいい。
一般的な人間が知ることを許されない、神のことや魔女と神の親密な繋がりなど。
魔女を利用しようとする人間が過去いなかったのは、初代が創造した侵入者選別の魔法のおかげと言えるだろう。しかし、ミーツェアの魔力が少なくなり、間違いで召喚されたサヤカも魔力量自体はそんなに多くない。
結界として役立っていた選別魔法が弱まっている。
フランツェルバ王国、建国以来の危機だった。
「本当に……どうしましょう……」
「……頼りきりだったとはいえ、いつかはと思って準備をしてあるんだが……それも、意味は為さぬか」
フランツェルバ王国の騎士団は実力はあるが実戦経験がない。戦争などしたこともない。
数百年間の間、一度も戦争をしたことがなく、戦争経験者の移住者はこれほど平和な国はないと泣いて喜ぶほどだった。
初代魔女に続き魔女たちは総じて戦争というものを嫌い、理想の国家を作り上げたと言っても良い王国体制である。
比べる対象がいない、騎士団が腑抜けになってしまうという成長自体の妨げは魔女のおかげで取り除かれたが、実戦経験は皆無だった。魔女が創造した人形相手に訓練をつみ、戦争を想定した亜空間を創り出し戦う訓練は頻繁に行っている。
恐らく個々の実力は世界レベルに等しいだろう。しかし、所詮は作り物。実力はあっても本当の意味での経験がなければ、尻込みする騎士が相当な数出てくるだろう。
「私の創造は融通がきかないので、実際に戦争となるとかなり厳しいと思います」
ミーツェアの創造魔法は融通がきかない。
発想が豊かであれば創造は可能性をどこまでも広げていくが、ミーツェアの思考は小難しく型にはまったものなので、臨機応変に対応するということがどうしてもできなかった。
あらかじめ、決められていたことしか実行できない。
柔軟に対応できるようにと考えて行使しても、やはりどこかでもしもの事態の数を把握してしまっているのか、勝手に魔法が範囲を狭める。ミーツェアの頭がかたいということは、魔法の可能性までもをかたくしてしまうということだ。
戦争になればどうなることか。――高確率で敗北してしまうだろう。
「少し、残酷ですが――最悪を見て貰うことにしましょうか……それでも、あまり大きな魔法は使えないですが」
「そんなことをすれば更に国は痩せるだろう。ただでさえ短い期限が更に短くなるぞ」
「……仕方がないです。戦争になったとき、少しでもこの国が生き残れるようにと本気で考えていなかったのは私を含めた――魔女の過ちですから」
自分の首を絞めることになる。
既に少ない魔力を使い更に自分を追い詰めれば、ミーツェアの先にあるのは何も残らない消滅だ。
しかし、ありえないことではない。
戦争に備えてミーツェアは"最悪"を想定した亜空間での訓練を行うことに決めた。
幻覚魔法もやむを得ない。騎士団にとっては辛い訓練になるだろう。
「訓練の準備を行ったら、転移魔法でフラスティ大陸に飛びます。マーメントで彼女を探して必ずここに帰ってきますから、早まったことは絶対にしないで下さいね、国王陛下」
「……あの娘を魔女にすることはない。どんな事態になろうともな」
「それなら安心です。なるべく早く帰ってきます」
創造魔法、幻覚魔法、転移魔法と続けて行使したミーツェアが無事に済む確率は低い――。