012:私は、ベルガーさんにとって何ですか?
崩れた地下牢をあとにしたミライの後ろを、騎士団の団員たちがぞろぞろとついてきていた。
先頭に立つのはベルガーで、そのすぐ後ろにミライがいる。さらに後ろには、団長と副団長、数名の騎士たちが続いていた。
ベルガーは、最初から団長が案内すればいいんじゃねえか、と思わなくもなかった。
もちろん、例のごとく口には出さない。
クライシス家の騎士団は、ベルガーにとって化物の巣窟だ。団長も副団長も、気軽に意見を言える相手ではない。下手なことを言えば、訓練という名目で半日ほど地獄を見る可能性がある。
それに今は、ただでさえ面倒な状況だった。
ミライは地下牢の天井を崩した。ベルガーを治癒した。団長たちの前で、修繕もできると言った。とんでもないことをした自覚はあるらしいが、どうにも危機感の形が普通と違う。
ベルガーは横目でミライを見る。
ミライはツヴァイのコートを胸元に抱え、ずっと俯いていた。さっきまで地下牢の天井を崩してまでベルガーを探しに来た少女とは思えないほど、肩を小さくしている。
大人の男たちに囲まれているからだろう。
ベルガーはそう見当をつけた。
組合で男に怒鳴られ、父親同然だったツヴァイのコートを踏まれた。その直後に魔法を暴走させ、今度は騎士団に囲まれている。
平気なはずがない。
魔法の規模は常識外れだが、中身は傷つきやすい少女なのだ。
「ミルァイ、着いたぞ」
ベルガーが小さく声をかけると、ミライは顔を上げた。
そこには、重厚な木製の扉があった。
辺境伯サムニエル・リア・クライシスが待つ応接室である。
扉の前には、すでに侍従らしき男が控えていた。彼はベルガーたちを見ると、深く頭を下げ、すぐに中へ取り次ごうとする。
だが、ベルガーは自分で扉を叩いた。
ここまで来た以上、形だけでも自分が連れてきたことにしなければならない。そうしなければ、またスペリアズあたりに何を言われるか分かったものではない。
「――失礼します。騎士団、第12席、マーメント担当ベルガーです。魔法使いをお連れしました」
扉の向こうで、ほんの少し間が空いた。
それから、静かな声音が返ってくる。
「入ってよろしい」
辺境伯の声は落ち着いていた。
少なくとも、扉越しにはそう聞こえた。
ベルガーは扉を開ける。応接室の中は、マーメントの騎士詰所とは比べ物にならないほど整っていた。深い色の絨毯、磨かれた机、淡い香りのする花、銀の茶器。窓から差し込む光さえ、どこか計算されているように見える。
その奥に、サムニエルが座っていた。
年齢は壮年に差しかかった頃だろう。整った身なりをしており、目元には穏やかさがある。けれど、ただ優しげな男というだけではない。静かに座っているだけで、人を従わせる重みがあった。
ベルガーは、その重みを知っている。
この人物は、にこにこしていても辺境伯だ。魔法使いに会いたくて泣き、部下に慰められるような人ではあるが、領地を治め、騎士団を抱え、王国から信頼されるだけの人間なのだ。
ミライはずっと俯いていた。
ベルガーが背中を軽く押すと、弾かれたように一歩前へ出る。
「きみが魔法使いだね?」
サムニエルは確認するように尋ねた。
ミライは小さく頷いた。
声は出さない。
サムニエルはその様子を見て、責めることはしなかった。ただ、ほんの少し目元をやわらげる。
「座って。お茶とお菓子を用意したんだ。一緒にお茶をしてくれるかな?」
「……いえ」
ミライの小さな声が落ちた。
ベルガーはぎょっとした。
騎士団の面々は、明らかに空気を硬くした。何人かは、こめかみに青筋を浮かべている。団長は表情を動かさなかったが、副団長トルティアは少しだけ口角を吊り上げた。
サムニエルは一瞬だけ動きを止める。
「……嫌かい?」
その声は、まだ穏やかだった。
ただし、少しだけ寂しそうでもあった。
ミライはコートを抱きしめたまま、視線を上げない。
「調べる、とお聞きしました。……お茶は結構ですので、調べをはじめてください」
「……ふむ。そうか……そうだな……」
サムニエルは静かに目を伏せた。
その瞬間、騎士団員たちが一斉に慌て始める。
ベルガーは嫌な予感がした。
サムニエルは顔を上げない。
肩が、わずかに震えている。
やめろ。頼むからやめてくれ。ここで泣くな。初対面の魔法使いの前だぞ。
ベルガーの祈りは届かなかった。
サムニエルは泣いた。
「お茶は嫌か……紅茶を、用意したんだよ。若い子が好きそうな、おしゃれなお茶なんだ……」
うっうっと嗚咽を漏らし始めた辺境伯に、応接室の空気が一気に沈んだ。
騎士団員たちは目に見えて動揺する。何人かは今にもミライを責めそうな顔をした。別の何人かは、サムニエルを慰めるために動くべきか迷っている。
団長は無言でベルガーの真後ろに立った。
「ベルガー」
名前を呼んだだけだった。
しかし、確実に威圧された。
ベルガーは背筋にぞわりとしたものを感じ、反射的にミライの腕を掴む。
「み、ミルァイ。お茶をしろ。喉乾いただろ? 腹も減ってるんじゃねえか?」
「……ベルガーさん」
「な? 公は良い人だ。ミルァイをどうこうするような人じゃない」
「……ベルガーさんって」
「お、おう? なんだ?」
ミライはようやく顔を上げた。
その目は不安そうで、けれど妙に真剣でもあった。
ベルガーは嫌な予感を覚える。
ミライが真剣な顔をしているときは、大抵ろくでもない魔法か、ろくでもない問いが飛んでくる。
「私は、ベルガーさんにとって何ですか?」
「はあ!?」
応接室の空気が、奇妙な方向に凍った。
ベルガーは思わず声を上げる。騎士団員の何人かが、息を呑んだ。トルティアは笑みを深め、団長は無言のまま様子を見ている。
サムニエルは泣くのをやめた。
いそいそと椅子に座り直し、まるで舞台でも見るような顔で二人へ視線を向ける。
ミライはずっと考えていた。
ベルガーは自分にとって、どのような位置にいるのだろう。
ツヴァイは父親だ。
家族で、大事な人で、代わりの利かない唯一の存在だ。
けれど、ベルガーは違う。
顔見知りというには近い。友人と言われると、何かが違う。騎士と捕まった魔法使いという関係なら確かにそうだが、それだけで終わらせるには、ベルガーはミライに何度も手を貸してくれた。
破れたコートを直す許可をくれた。
ミライが悪人ではないと見てくれた。
地下牢の天井を崩して怪我をさせてしまっても、責めるより先に受け止めようとしてくれた。
けれど今、ベルガーは騎士団に言われるまま、ミライにお茶をしろと言っている。
それが悪いことだとは、ミライも分かっている。ベルガーには立場がある。逆らえない相手もいる。自分のために全てを投げ出せと言いたいわけではない。
けれど、もやもやした。
自分がベルガーにとって何なのか、分からないからだ。
何より、ミライには魔法がある。
仲良くなればなるほど、その人のために魔法を使いたくなる。困っている人を見れば助けたくなる。大事な人なら、なおさら際限がなくなる。
だから、線引きが必要だった。
顔見知りなら、魔法は使わない。
友人なら、無理のない範囲で助ける。
家族なら、きっと自分は何でもしてしまう。
決めておかなければ、誰にでも魔法を使ってしまいそうだった。
それはきっと、良くない。
ミライは自分の危うさを、少しずつ理解し始めていた。
「あのな、ミルァイ。今はそういう話をしてる場合じゃないだろ。それに、俺がミライの……その、何かって言うのはアレだ……変じゃねえか」
「変じゃないです。私はベルガーさんとの関係を、はっきりしたものにしたいんです」
ベルガーはたじろいだ。
何を言われているのか、さっぱり分からない。
いや、言葉の意味は分かる。分かるが、この状況で聞くことではない。辺境伯の応接室だ。団長も副団長もいる。騎士団員たちも見ている。サムニエルに至っては、明らかに面白がっている。
一体どうしてこうなったのか。
ベルガーは頭を抱えたい気分だった。
「はっきりって言ってもな……」
「……私のこと、どう思ってますか?」
「ま、魔法使い……?」
そうじゃないだろ、という空気が応接室に満ちた。
騎士団員の誰かが喉を鳴らす。
ミライは深く溜息を吐き、落ち込んだように俯いた。
「分かった! 分かった、ミルァイ! おまえは俺の、大事な、ゆ……やつだ!」
ベルガーは、友人と言いかけて詰まった。
友人なのか。
自分でそう問いかけてしまったのだ。
ミライとは深く付き合った覚えがあるわけではない。最初は捕縛した側と捕縛された側だった。街を消した魔法使いと、それを連行する騎士。それが本来の関係だ。
だが、ただの犯罪者と騎士ではない。
コートを抱いて泣く姿を見た。魔法を使えるのに逃げないと答えた。地下牢の天井を壊してまで助けに来た。
友人というには近いような、遠いような。
妹と言うには、出会ってからの日が浅い。
保護対象と言えば近いかもしれないが、それではミライの問いへの答えになっていない気がした。
ベルガーが詰まった瞬間、騎士団員たちはおお、と小さく声を漏らした。
なぜ感心される。
ベルガーは余計に追い詰められた。
ミライはきょとんとしている。
「……えっと、もう一回言ってもらっていいですか?」
どうやら、ベルガーがごまかした部分を聞き逃したと思ったらしい。
ベルガーは息を吸い込み、覚悟を決めて口を開く。
「おまえは俺にとって、大事なやつだ。ミルァイ」
「えっ?」
「え?」
そこでようやく、二人は噛み合っていないことに気づいた。
ミライは瞬きを繰り返す。
自分が聞きたかったのは、そういう言葉ではない。いや、嬉しくないわけではない。むしろ、すごいことを言われたような気がする。
けれど違う。
今は、関係性を聞きたいのだ。
ミライは思い切って、直球で聞くことにした。
「えっとですね。私がベルガーさんに聞きたいのは、私との関係性です。顔見知りなら顔見知り、友人なら友人とはっきり言葉にして、明確にしたいんです」
「……それは、どうしてだ?」
「私が魔法使いだからです」
応接室の空気が少し変わった。
ミライは胸元のコートを握りしめる。
「誰にでも魔法を使っていては、きっと駄目なので……大事な人、例えば友人や仲間、そういった人にだけ限定しようと思っています。そうでもしないと、際限なく魔法を使ってしまいそうな自分がいるんです」
しんみりとミライは語った。
なんとも大雑把な決め方だ。だが、それでいいと思っていた。
はっきり言葉にしなければ、分からないことが多すぎる。
魔法も異世界も、この世界の身分も、騎士団の立場も、すべてが曖昧だ。だからせめて、誰かとの関係性くらいは明確にしておきたかった。
顔見知りには、安易に魔法を使わない。
友人なら、助ける。
仲間なら、もう少し踏み込む。
家族なら、きっと何でもしてしまう。
自分でそう決めないと、ミライは自分を止められなくなりそうだった。
ベルガーは言葉を失った。
さっきまで唐突な質問に困惑していたが、ようやくミライの意図が見えてきた。
この少女は、自分の力を本気で怖がっている。
誰かを助けたいと思うたびに、魔法を使える。使えてしまう。だからこそ、線を引こうとしている。
それは不器用だが、真面目な考えだった。
「友人」
すっと手が上がった。
ベルガーではない。
辺境伯サムニエルだった。
「友人になりたい。私は」
切実な声だった。
応接室がまた妙な方向に静まる。
サムニエルは本気だった。彼はずっとミライに会いたかった。この数日、期待して、落ち込み、また期待し、ようやく目の前に魔法使いが現れたのだ。
茶会を断られて泣いたばかりだが、もう立ち直っている。立ち直った上で、友人に立候補している。
ミライは少しだけ困った顔でベルガーを見た。
「……あの、ベルガーさん」
「なんだ」
「私も大概空気を壊す人間ですけど、この人も結構そうですね」
「……どうだろうな……」
否定はできなかった。
ベルガーは遠い目をする。
団長は無言のままだったが、トルティアはついに肩を震わせて笑い始めた。騎士団員たちは、サムニエルの友人希望に感動すべきか、ミライの率直な言葉に怒るべきか判断できずに固まっている。
サムニエルは、少しだけ胸を張った。
「空気を壊したつもりはないよ。私は真剣だ。魔法使いと友人になれる機会など、人生でそう何度もない」
「普通はないと思います」
「なら、なおさら貴重だ」
ミライは返答に困った。
この人は、たぶん悪い人ではない。
少なくとも、悪意は感じない。けれど、勢いが強い。ベルガーとは違う方向で、扱いに困る大人だった。
ベルガーは咳払いをする。
「公、その前に調べるんじゃなかったんですか」
「ああ、そうだった。いや、友人になるためにも、まずは互いを知る必要があるだろう」
「それはそうですけど、順番ってものがあるでしょう」
「順番か。なるほど。では、まず調べよう。そのあと茶会をして、友人について話し合う」
「茶会は確定なんですね」
ミライが小さく呟く。
サムニエルは真剣な顔で頷いた。
「もちろんだ。紅茶が冷めてしまう」
かくして、ベルガーとの関係性をはっきりさせる前に、ミライと辺境伯との面会が正式に始まることになった。
ただし、ベルガーの中では答えが少しだけ決まりかけていた。
友人。
そう呼ぶには、まだ照れくさい。
だが、顔見知りではない。
ただの魔法使いでもない。
大事なやつ。
さっき咄嗟に出た言葉は、案外間違いではなかったのかもしれない。
ベルガーはそんなことを考え、すぐに頭を振った。
今はそれどころではない。
目の前には、魔法使いに憧れる辺境伯がいる。背後には、サムニエルに過剰な忠誠を向ける騎士団がいる。隣には、自分との関係性をやたら真面目に確認しようとする少女がいる。
厄介ごとしかない。
それでもベルガーは、ミライを一人でこの場に置いていく気にはなれなかった。
応接室の扉は閉まり、茶器の香りが静かに漂う。
ミライはツヴァイのコートを抱きしめたまま、サムニエルの正面に座った。
ベルガーはその隣に立つ。
団長と副団長は、少し離れた場所から二人を見守っていた。
こうして、魔法使いミルァイと辺境伯サムニエルの、妙に噛み合わない初面会が始まった。




